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言葉の力

松村 信也 神父

今日の心の糧イメージ

 司祭も一般の方と同様年度変わりには、人事異動がある。通常五年から七年同じ場所で働いた後、異動を宣告されれば、当然の事として受け入れる。しかし、何故か齢とともに、異動するのがだんだん億劫になってくる。その理由は、親しくなった人との別離の寂しさか、また新たな場所で再出発する煩わしさか、若い時は殆ど感じなかった。むしろ「新たな場所・新たな人との出会いに胸を膨らませた」。これが年老いた印なのかもしれない。

 私の場合、年度途中のある日突然やってきた。異動宣告が年度の終盤なら覚悟した。しかし、年度途中に異動を宣告された。戸惑い、疑心暗鬼が膨らんだ。「何か悪いことをしたのか」「何故はっきり言ってくれないのか」そんな感情が先走った。目上からは一言「何もない。次年度異動してくれ」。只、それだけだった。

 突然の異動宣告。正直、苦しんだ、悩んだ、仕事も身が入らなくなった。「せめてやり始めた企画を軌道に乗せたかった」。目上の言葉に当然、憤りを感じ、理不尽な要求として、受け入れることは出来なかった。そこですぐに黙想(識別)をとることにした。必死に祈った。でも堂々巡りの連日だった。「識別できない!」もう諦めようと思った最終日、教皇フランシスコの言葉が目に飛び込んだ。『あなたにとって居心地のよくなった場所、そこはもうあなたにとってのミッションの場ではない。』

 悔しいけど「なるほど!その通りだ」と受留めたが、苦しみは変わらない。しかし、私は司祭に選ばれた一人であることを、彼のこの言葉で再認識することになった。司祭であればこそ自ら日々回心することの責務があることを。