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「『ストリート・メディカル』で新しい医療のかたちを」(視点・論点)

横浜市立大学 コミュニケーション・デザイン・センター長 武部 貴則

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今日は「ストリート・メディカル」についての話をしたいと思います。
まず初めに1つのプロダクトを紹介したいと思います。
私たちは実は医学研究者として活動しているのですが、最近、あるパンツを制作しました。これはどのようなアンダーウェアかというと、「アラートパンツ」というプロダクトです。

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最近話題のメタボや肥満といった病気はよく知られていますが、このパンツは太ると色が変わり、体形の変化を色で可視化することで事前にメタボに黄色信号を出すというものです。このようなものを制作した理由を説明します。
多くのメタボの方や肥満の方にインタビューをした結果、健康診断でお医者さんから痩せなさいと言われてもやる気になれない、看護師さんから厳しく言われるとちょっとムッとするような方が多いということが分かりました。実はそういった方でも例えばスーツを買い換えないといけない状況になると痩せたくなります。異性と交流する時や好きなアイドル、芸能人に会う時は痩せたくなります。みなさん実際の体形、外見を認識することで痩せたいと思われることが多いようです。
それならばメタボだから痩せなさい、ではなく、体の形を見せていった方がより効果的にお役に立てるのではないか、ということで医学研究者ながら、このようなアンダーウェアを作るという事例を手掛けたのです。

このようなストリート(現場)での実践を、「ストリート・メディカル」と私たちは呼んでおりますが、なぜこのようなことに取り組んでいるのか背景からご説明したいと思います。

まず初めに医療の歴史と、その課題認識を共有させていただきたいのですが、そもそも医療は非常に長い歴史と共に進歩してきました。例えば、医療を最初に定義をしたのはヒポクラテスと言われています。この方が医療の概念を提唱したのは2500年も昔のことです。医療は、「病気」に対して科学と実践をもってこれを療するものである、と定義をしたのです。この定義は2500年たった今もなお、医療の現場に引き継がれておりまして、沢山の進歩を生み出しています。

例えば、ここ100年程で、麻酔という医学技術の進歩により、交通事故で腕が切断されてしまった場合、手術でこれを繋ぐことができるようになりました。あるいは、ペニシリンに代表されるような抗生物質が開発されたことによって、それまで多くの患者さんがいた肺炎や結核のような病気、こういった感染症もたくさん治すことができるようになりました。こうした近代医療の画期的な進歩が2500年間に亘りもたらされてきた結果、非常に大きな変化が最近の50年で起きています。その変化とは何でしょうか。
これは一重に長く生きるようになったということです。

社会的には高齢化というようなことも言われていますが、生活習慣を基盤に発症していくような病気、例えば一部のがんや脳卒中、心筋梗塞などが増えてきたことがその要因に該当します。更にこの10年の間に、画期的なテクノロジーが開発されました。スマートフォンやウェブ、こういったものが出てきた結果、現代人は精神的にも様々な負担やストレスがかかるという問題に直面しています。

しかしながら、このような劇的な変化に対処するには、「病気」になってからでは遅すぎるということが多いのです。ですから私たちは、これまでのヒポクラテスの時代から引き継がれた2500年の医療、つまり「病気に対して治療をするという医療」から定義を書き換える必要があるのではないかと考えるに至りました。

言い換えると、医療は病気のためにあるだけではなく、人間のためにあるべきではないかと考えています。病気の有無にかかわらず、人間というのは日々生活をしているわけです。そして色々な人々と一緒に暮らしているわけです。我々が介入すべきは、もしかすると病院の中で薬や手術や放射線を提供するだけではなく、例えば暮らしている空間、住宅の中や外にあるお店での買物、もしかしたら冒頭で紹介したようなアパレル、今まで活用されていなかった多様な業界の技術を持ち込んで、生活に実装していくような流れが必要になるのではないかと考えました。

これを私たちは「ストリート・メディカル」と呼びながら医学を再定義する活動として広げていきたいと思っています。

これまではあくまで「治療して人を健康にしていく」ということだけが、ある意味で言う医療の価値でした。しかし、私達は医療の価値を「人間をみる、人を診る」ということに再定義し、どのように暮らしたいか、どのような豊かな暮らしを提供できるか、幸せを提供できるか、という軸も重要な視点になると考えています。

つまり、ヘルシー(健康)であるというだけではなくて、ハッピー(幸福)であるということ。すなわち、ハッピーでヘルシーであるということをいかに生活の中でストリートの中で実践できるか、ということを考えて研究していきたいと考えています。

今までは医学部といえば、基礎医学を研究し、そして臨床医学の現場で内科学や外科学としての医療を患者さんに提供してきましたが、「ストリート・メディカル」を実現していくために、私たちは医学部の中に新しいセンターを立ち上げました。文系の専門家やデータの専門家、芸術やアートの専門家、幅広い業界、多岐に亘る分野の方々と様々な研究をしています。ゲームであったり、アートであったり、空間デザイン、建築であったり、不動産であったり、生活雑貨・家電、はたまた、娯楽・旅行やサービスということもあるかもしれません。こういった様々な今まで予期しなかったような実践を活用しながら人々の幸せと健康に貢献をしていきたい、というのが我々「ストリート・メディカル」のミッションです。

例えば私たちが、毎年繰り返してきた実験に「上りたくなる階段」というプロジェクトがあります。

私たちは、階段を使ってください、駅のエスカレーターよりも階段を使って運動してくださいと指導します。しかし多くの方は、将来の予防の為に階段を上ってくれません。どうしたら人は階段を使うのだろう、と考えました。そこで得た1つの結論は、上りたいとその時その場所で思えるような価値を提供することです。

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例えば、水族館にあるようなレジャー施設につながった駅の階段には、海の生物がトリックアートのようにして登れば見えるという仕掛けが施されています。アートを見たいから登る、となり、エスカレーターではなく階段を登るようになります。このような形で公共空間や施設での階段、様々な現場での階段を変えていくというのがこの上りたくなる階段というプロジェクトでした。

このような形で、私たちは人を診る医療、そしてハッピーでヘルシーな新しい生活でできる医療を「ストリート・メディカル」と呼びながら、多種多様な領域で実践を積み上げ、そして最終的に、あらゆる生活の現場や都市の中で、まとめて実践をされている世界を生み出したいと考えます。いわば、「ストリート・メディカル・シティ」のような構想を、近い将来実現させ、そして更には同じような取り組みを様々な世界の中で取り上げていただくことで、世の中の人々の幸福と健康に貢献したいと考えています。

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