「狂乱の時代」の埒外に在り続けた趣味の戦前車
車愛好家にとって……とりわけ旧いスポーツカーが好きな方にとっては耳にタコな嫌な話題ではあるが、近年は旧いスポーツカーの価格が全体に高騰する傾向にある。例をあげると、クラシック期となる1950年代のトライアンフTR2は、1990年代は300万円台が「普通」だったが、今では500万円位で購入できれば安い方。さらにネオクラシックと呼ばれる1980〜1990年代の国産スポーツカーでも、4桁万円くらいの値付けをされる個体が珍しくなかったりする。
21世紀になって特に顕著になった旧いスポーツカーの高騰化は、これまで絵画市場などに流れていた余り金的な投機マネーが、新たな投機先として注目された旧車市場に大量流入したことなどが原因にあげられている。当初のターゲットはフェラーリ250GTOやACコブラなどの極めてプレミアム性が高いエキゾチックカーだけだったが、これら欧米車が「掘り尽くされる」とともにトヨタ 2000GTや日産スカイライン GT-Rなどの日本製クラシックスポーツも投機の対象となり、ついには国産ネオクラシックにも波及……というのが今日までの大まかな流れである。旧いスポーツカーの高騰は、「いつかは憧れの1台を買いたい」と思う純粋な自動車趣味人にとっては、なんとも忌々しく思える現象だろう。だが悲しいかな、英国などのオークションレコードなどを見る限り、1度高騰した車両は値段が下がることがないことがほとんどである……。
旧いスポーツカーのプレミア価格は、その希少性と現存台数、そしてオリジナル度の高さによって大きく上下するものだが、いわゆる第2次世界大戦前生まれの「戦前車」については「戦後車」に比べると、一般論として比較的近年の高騰化の影響は少ない。1950〜1960年代のクラシック車のなかには、1990年代の相場から現在5〜6倍の値付けになっているモデルもザラにあるが、戦前車に関してはブガッティなどの特別なモデルを除けば、激しく価格が高騰している例は少ないと言える。この現象の確たる原因は定かではないが、多くの現役世代に馴染みがある「戦後車」に比べ、自分たちよりひとつ上の世代でもその内実を知る者が少ない「戦前車」には、趣味の対象にするにも投機の対象にするにも取っ付きにくさがあるのだろう。
手を出す人が少ないからこそ「狂乱の時代」の埒外で、戦前車はそれを理解する人々の、手の届く範囲の趣味であり続けることができた……のかもしれない。
新車並みのクオリティを持つ、特別なMGたち
趣味の車を選ぶとき価格は無視できない要素ではあるが、もちろん比較的高騰化していないことが戦前車の魅力の核ではない。パワステやサーボなどのアシスト装備は一切なく、プリミティブな自動車のドライビングフィールを楽しめること。そして所有欲を満たす、その佇まいの美しさこそが、多くの自動車好きを夢中にさせる戦前車の魅力だ。
「長年ロータスとかミニとかクラシックの英国車にこだわって仕事をしてきましたが、ここ4〜5年の間に戦前車を求めるお客様が増えてきました。それで私も真剣に、戦前車を扱うようになりました」
今回紹介する1935年型MG PA/Qタイプ スペシャルを販売する、愛知県岡崎市の英国車専門店「ACマインズ」の坂田憲彦さんは、この車両を含め計5台の戦前型MGの2シーター・スポーツを輸入販売する予定だ。すでに2台は販売済みで、現在在庫中のこのPA/Qタイプ スペシャルに加え、もう2台が秋から2022年春の間に輸入されるスケジュールになっている。
1920年代のモーリス・ガレージズ社をルーツとするMGは、長年スポーツカーの名機を生み出してきたブランドとして知られるが、Pタイプは1934年から1936年の間に生産されたシリーズである。4気筒の847ccを搭載するのがPA、同939ccを搭載するのがPBであるが、1973台のPAの内27台はPBにコンバートされている。そしてQタイプとは、1934年にMGがPタイプをベースにわずか8台製造したレーシングモデルであり(9台という説もある)、ストローク短縮で746cc化したエンジンに過給器を組み合わせることでPAの3倍以上にあたる113馬力を絞り出していた。
ACマインズが販売するPA/Qタイプ スペシャルは、PAをベースにポインテッドテールのQタイプ新品ボディとヴォルメックス製ルーツ式過給器を与えたもの。そのレストアなどを手がけたのは、英国の戦前型MGスペシャリストのスティーブ・ベイカー氏で、ACマインズが販売する5台の戦前型MGはいずれも氏の作品である。当然レストア車なので「新車」ではないが、MGの匠が精魂込めて仕上げたその仕上がりは「新車」に近いクオリティにある。
「シャシーなど多くの主用部品はオリジナルです。ベイカーは長年にわたりMGのパーツをオートジャンブルなどのネットワークで収集し、それら多数のパーツを再生してストックしています。彼はハイエンド・アマチュア時代からの経験と知識を使って、オリジナルに忠実な戦前型MGをプロデュースするのです」
戦前車も、高騰化の定めからは逃れられない!?
坂田さんは4年ほど前、英国のショーでベイカー氏との縁を得ている。ベイカー氏のスタッフは、息子さんとアシスタント1名。ボディ製造、エンジンオーバーホール、スポークホイール製作などは外注が分業。仕上げられた各部品を正しい知見でアッセンブルするのが、ベイカー氏の最終的な仕事となる。すべてが手作業ゆえに製作台数は年間4〜5台ほど。完成途上のモデル(今回のケースでは今後輸入予定の2台)に関しては、車体色、シート色、ホイール色、メーターパネル仕上げ、そしてヘッドライトのサイズなどを、オーナーになる方がセミオーダー的に選択することも可能だ。
坂田さんによると、比較的高騰化のスピードが遅い戦前車だが、やはり年々値上がりする傾向にあるのは否めないそうだ。また完璧に再生できるクオリティの中古部品の数は、年を重ねる毎にその性質上どうしても減少してしまうので、良品が残っている内に戦前車が欲しい人は購入を決断した方が後悔しないだろう、とのこと。