OPERA

イタリアでコロナ禍に直面して──国際的オペラ歌手「脇園彩」にインタビュー

ミラノ在住の脇園彩(わきぞの・あや)が、コロナ禍とたたかうイタリアのオペラシーンのいまを語る
イタリアでコロナ禍に直面して──国際的オペラ歌手「脇園彩」にインタビュー

イタリアのロックダウン

昨年2月、そして今年2月にも、東京の新国立劇場に出演したメゾソプラノの脇園彩。実は国内以上に目立つのがヨーロッパでの活躍で、イタリアの主要劇場を中心に主役を頻繁に歌っている。国境を越えて評価される久々の逸材だが、そんな彼女の活躍を阻んでいるのも、新型コロナウイルスである。人口比を換算すれば、感染者数も死者数も日本の20倍になろうというイタリアで、ミラノ在住の彼女はなにを見たか。今後にどういう希望を見出しているのか。イタリアに戻った彼女に電話で聞いた。

昨年3月から5月に長いロックダウンが行われたイタリアも、夏にはかなり開放され、歌劇場でも9月までは公演が行われました。ただ、観客は制限されて200人とか。ミラノ・スカラ座アカデミーの同窓で、先日、日本の新国立劇場で「トスカ」を歌ったソプラノのキアラ・イゾットンは、9月にスカラ座の舞台に立ったら、客席がスカスカでわびしい気分になった、と言っていましたね。ただ、観光も担う文化大臣が観光に力を入れたので、バカンスにはすごい人出で、もうコロナは収束したかのような雰囲気でした。もちろん、夏の間も行動を自粛している人は一定数いましたが、ビーチでソーシャルディスタンスをとらず、マスクもせずに過ごした人も大勢いて、全体としては意識がすっかり緩んだ感じでした。

でも、7、8月はみなバカンスに出かけて街は人が少なかったんですが、9月に人が都市部に帰ってくると、公共交通機関の乗車率も100%以上という状況に。ロックダウンで疲れ切ったあとだっただけに、夏に緩んだ意識をもう一度引き締めるのはとてもきつかった。10月からの第2波が大きくなった原因はそこにあると言われています。

第2波が来て最初に閉められたのが劇場でした。劇場関係者は、人数制限をしながら厳しい対策を実施し、上演前にPCR検査を義務づけ、ソーシャルディスタンスをとるために通常の演出も控えてきたのに、どうして劇場を閉めなければならないのか、と反発しました。一方、ほぼ屋外だけで営業していた飲食店も、涼しくなると厳しい状況で、そうこうするうちに第2波が拡大し、10月末にはロックダウン状態になってしまいました。ただ、私は11月25、27、29日と、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルで「セビーリャの理髪師」のロジーナ役を歌うことができました。ストリーミングのための収録で無観客でしたが、文化大臣の「閉めろ」という要請に対し、「閉めたうえでストリーミングならいいだろ」という劇場からの抵抗でした。ストリーミング配信で劇場が潤うわけではなく、文化の灯を絶やさないための策です。

秋のロックダウンで感染者が減ると、12月にはまた人々の意識が緩んだようです。ただ政府も、クリスマスの大移動を避けるために、その前に規制を少し緩め、12月21日から1月7日まで、ふたたび州を越えての移動が禁止されました。劇場も閉鎖されたままで、フランチェスキーニ文化大臣は劇場に対して、せめて「最良の選択ができず申しわけない」と謝ればいいのに、「みなさんは事の重大さがわかっていない」と言ったりしたものだから、文化大臣降ろしの運動も起きたほどです。それに、イタリアではこの期に及んで新政権に移行したんですよ。コンテ首相が降ろされ、欧州中央銀行総裁だったドラギ氏が首相になったのですが、コロナ対策が一番大事な時期に政権争いをしている場合でしょうか。それでも文化大臣は留任で、彼も多くの人の反感を買っているのに気づいたのか、最近「4月初めに劇場や映画館を開く」と言い出しました。

イタリアでは州ごと、そして州内の自治体ごとに、感染状況がひどい順にレッドゾーン、オレンジゾーン、イエローゾーンと分けられ、レッドゾーンになると外出禁止です。毎週見直されるのですが、地域によって状況はまちまちで、どこが何色なのかだれも把握できないような状況です。そんななかワクチン接種が始まっていますが、いまはまだ80代の人に打っていて、70代には回っていません。しかもワクチンが足りず、小さな開業医には1週間に6人分程度しか回ってこないと聞きました。このところ変異株が流行りだして、また2月24日から3月27日まで、州を越えての移動が禁じられてしまいました。

新国立劇場のモーツァルト「フィガロの結婚」でケルビーノに扮する脇園彩

そんなイタリアを離れ、正月から2月半ばまで、彼女は東京に滞在した。新国立劇場でモーツァルト「フィガロの結婚」のケルビーノ役を歌うためだった。

イタリアを出国したのは1月3日でした。ところが、日本は12月28日から外国人の新規入国を禁止し、日本人が帰国する際にも、72時間以内に行われたPCR検査の証明書が必要になったのです。72時間を1分でも過ぎるとダメだというので、大晦日から1月2日までの間に検査をしてくれるところを死に物狂いで探しました。

新国立劇場での舞台は2月7日から14日までの計4回。お客さんの前でのオペラ公演は昨年2月、同じ劇場での「セビーリャの理髪師」以来、本当に1年ぶりでした。9月にドイツのヴィルトバートでコンサートに出演しましたが、観客は30人程度でしたから、今回は感慨深いものがありましたね。その前に1月末、新国立劇場で「トスカ」を観ましたが、お客さんで埋まった客席を目にして涙が出そうになりました。

私たちの業界は現状、存在しないかのように扱われています。不要不急の業界と言われてしまえば、それまでかもしれません。でも、劇場にせよ、映画にせよ、俳優や歌手、演奏家だけでなく、彼らの背後に運営担当者や裏方さんから批評家まで、多くの人が関わってひとつの世界を、経済を回しています。そして、この世界はほかのすべての業界につながっています。ですから、この世界が機能不全になれば、いずれ世界全体に影響が及ぶと思います。そういう意味では、すべての人が、どんな業界にでも当事者意識をもってくれたほうが、よりよい社会の構築に近づくと思うのですが。

私個人としてはこの1年、同居人の音楽家たちと助け合って練習ができていて、とても恵まれています。また、州を越えての移動が禁止の期間を除き、時間を見計らっては、(往年の名ソプラノの)マリエッラ・デヴィーア先生のもとにレッスンに通っています。いま練習しているのは、イザベラ・コルブランというソプラノが歌ったロッシーニのオペラ・セリア(喜歌劇ではない、まじめな正歌劇)のヒロイン、そしてベッリーニやドニゼッティのオペラの役です。私の声帯はあまり厚くない代わりに、ロッシーニが書いた小さな音符が並んだ装飾歌唱は得意。つまり小回りが利くんですが、その反面、レガートのレパートリーにコンプレックスがあって。声帯が厚いと小回りは利かない代わりに、声帯を動かさずにまっすぐな旋律を歌いやすいんです。私なりに声帯のバランスをとりながら、ベッリーニやドニゼッティのレガートを歌えるように、毎日少しずつ練習を積んでいます。

この時期に「フィガロの結婚」を歌えたことは、万全の感染対策を施し、お客さんを入れて公演を実現してくださった新国立劇場に感謝するしかありません。また、おかげさまで今年10月からの新国立劇場の2021/22シーズンでは、開幕公演のロッシーニ「ラ・チェネレントラ(シンデレラ)」でヒロインを歌わせていただきます。デヴィーア先生も「こういう時期が永遠に続くわけじゃなく、しっかり勉強をしておくべき時期だと思う」と言いますが、その通りだと思います。必ず明けるときがくるのだから、制限があるなかでも、やれることをやっていかないと。そうして10月に東京で、その後も世界各地で、さらに成長した歌をお聞かせしていきたいと思っています。

PROFILE

香原斗志(かはら・とし)

オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、共著に『イタリア文化事典』(丸善出版)。新刊に「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)。毎日新聞クラシック・ナビに「イタリア・オペラ名歌手カタログ」を連載中。日本の歴史や城にも造詣が深い。

撮影・寺司正彦 提供・新国立劇場