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“礼をつくす会社、礼をつくすクルマ”の観音開き──サターンが日本にあった時代を振り返る

マツダの新型コンパクトSUV「MX-30」をテスト・ドライブした小川フミオが、かつて日本にも導入されたサターンを思い出した! そのワケは?
SATURN サターン GM SC2クーペ マツダ MAZDA MX30 SUV 観音開きドア

サターンも採用した観音開き

マツダ「MX-30」の特徴といえば「フリースタイルドア」だ。後席へのドアは観音開きである。かつてマツダ「RX-8」で採用されたこのデザインを見ていて、日本でも販売されたユニークなスタイルの米・サターン「SC2クーペ」を思い出した。

SATURN サターン GM SC2クーペ マツダ MAZDA MX-30 SUV 観音開きドア
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MX-30は、マイルドハイブリッドに続き、2月にEVモデルを発表し、完成度の高さを印象づけた。ルーフの前後長をあえて短めにしてクーペ的なキャビンのデザインをつくり、パーソナル感を強く打ち出しているのも特徴だ。

【主要諸元(MX-30 EVモデル HIGHEST SET)】全長×全幅×全高:4395×1795×1565mm、ホイールベース2655mm、車両重量1650kg、乗車定員5名、モーター107kW/270Nm、 バッテリー35.5kWh、トランスミッション電気式無段変速機、駆動方式FWD、タイヤ215/55R18、価格506万円(OP含まず)。

Hiromitsu Yasui

センターオープン式(観音開き)のドア構造を採用。

Hiromitsu Yasui

デザインを担当したマツダの伊藤祐貴氏は「乗降性も確保しつつ、塊感のあるモダンなデザインを実現する方法」として、フリースタイルドアの採用を思いついた、と述べている。

このドアで思い出したのが1999年に日本で発売された米サターンのSC2クーペだ。全長4.6mのボディに1.9リッター・エンジンを搭載した2ドアのクーペに見えるのだけれど、ボディの左サイドにだけ、フロントドアの後ろに、小さなドアが設けられていた。それが後ろヒンジで、前から開くセンター・オープン式だった。いま見てもユニークな設計で、なかなかよい。

サターンSC2クーペは、コンパクトサイズの2+1ドアクーペ。

助手生側後部にドアが設けられた。

先進的だったサターン

サターンとはそもそも、親会社ゼネラルモーターズで当時CEOだったロジャー・スミス氏が、日本車に流れている若い購買者層の眼を向けさせるべく、1982年に新規プロジェクトとしてスタートさせたブランドだ。クルマの販売は1990年にスタートする。

米国車に興味をもたない層の関心を呼び起こすため、GM/サターンが採用した斬新な施策は、当時、おおいに話題になったものだ。従来の“デトロイト流固定観念”からの解放が大事、と、あえてテネシー州に工場を設立した。用地に生えていた木は伐採することなく、よそへ移植。環境に配慮する企業、というイメージづくりをした。

従業員がメディアに登場するときの服装は、スーツでなく、スマートカジュアル、というか、ボタンダウンシャツにコットンパンツと単にカジュアル。そこも老舗自動車メーカーがつくったブランドとしては斬新だった。

日本に導入されたSシリーズは、クーペにくわえてセダンとステーションワゴンがあった。

SC2クーペは、設計もそれなりに凝っていた。トヨタホンダの競合として企画されたクルマなので、クオリティに気を遣うとともに、シャシーはスペースフレーム構造を採用し、ボディパネルは合成樹脂。多少のへこみなら復元すると喧伝された。

当時のGM車としては、室内の合成樹脂パーツの組み方とか、異なる素材の色の合わせ方とか、クオリティにもこだわっていた。少なくとも、当時日本で販売されていたオペル車ほどにはよかった。

ドアがもう1枚追加された理由

SC2クーペの当時のカタログを、かつてサターンの広報を担当していた人が、「記事の参考に……」と、送ってくれた。なつかしい思いで見ていると、3枚目のドアの企画は8歳の少年の発言から始まったとなっている(そのエピソードは忘れていました)。

米・ニュージャージーにあったサターン販売店オーナーの8歳の男の子が、クーペの後席に乗りこむのがややツライので「ドアをもう1枚つけてよ!」と、言ったのが開発のきっかけになったとか。

日本では“礼をつくす会社、礼をつくすクルマ”というフレーズが宣伝に使われた。CMソングは杏里が歌う「Close To You」(カーペンターズのカヴァー)だった。

企画がすぐに立ち上がって、最初に”こんなドアがあれば”という会議の席上での発言から20カ月後に、マイナーチェンジがあって3ドア車が発売されたというストーリーが紹介されている。このスピード感と、子どもの意見にも耳を傾ける姿勢が、重厚長大なデトロイトにはない、あたらしい自動車ブランドのよさ、と、されたのだ。

ただし、当時、サターンの広報担当者は「通勤に使うビジネスマンがブリーフケースなどをさっと後席に入れられるので3ドアを企画した」としていた。じっさい、SC2クーペのカタログでは、「トランクにしまっておきたくない、大切な荷物を運ぶのに3枚目のドアがある」と、利便性が高さを訴えている。

日本仕様のリアドアは、北米仕様とおなじく左側にあった。日本導入モデルのハンドル位置はすべて右のみだったけれど。

日本仕様のSC2クーペは右ハンドルだったけれど、ドアはそのまま左がわにあった。後席に子どもを乗せるファミリーなどにとっては、それでいい、という意見も少なくなかったように私は記憶している。

たしか、SC2クーペでは後席にいても、内側から3枚目のドアを開けるためのオープナーがなく、外から開けてもらうのを待つ必要があった。やっぱり、実際のところは“ひとより荷物”かもしれない。そこはMX-30とちがう。なにはともあれ、ドアは乗員のためだけのものではない。という、SC2クーペのデザインコンセプトは、おもしろかった。

短命だったサターン

ただし性能は凡庸というか、特筆すべき点はあまりなかった。エンジン・トルクはそれなりにあるけれど、エンジンを上までまわして楽しむものではないし、足まわりのストローク感もやや不足ぎみ。このあたりの割り切りのよさは、米国車的だなあと思ったものだ。

それでも、いいところはちゃんとある。ACデルコ・ブランドのオーディオは中音の鳴りがよく、ブルースやフォークなど、アクースティックギターのサウンドを大きくフィーチャーした、いわゆるアメリカーナというジャンルの音楽によく合ったのをおぼえている。

本国では「スカイ」という2シーター・ロードスターも設定された。

サターンの工場があったテネシーといえば、音楽の都・ナッシュビルがある州。もちろん、だからギターサウンドがよく聞こえるというわけではないとはいえ、ふつうのオーディオでも音がいい点に、モダンミュージックのゆりかごだった米国うまれのイメージが重なったものだ。

いずれにしても、SC2クーペが先鞭をつけたような、小さな観音開きのドアを後席のために設けるというコンセプトは、そののち、フォロワーを産んだ。

マツダが「RX-8」(2003年)を開発中、広島・三次(みよし)の工場にはSC2クーペが置かれていたとか。リア・ドアは軽くて操作しやすかった。1年前に発表されたホンダ「エレメント」(2002年)だって、のちのトヨタ「FJクルーザー」(2006年)や、ミニ「クラブマン」(2008年)も、同様の観音開きドアを採用していた。

日本未導入の「オーラ」は、第3世代のオペル「ベクトラ」とプラットフォームを共有する。

サターンは、しかし、競合が多い日本市場では、苦戦つづきだったようだ。Sシリーズという小型サイズだけで、デザインも日本車的だったプロダクトで苦戦した、と当時の関係者が語ってくれた。販売網も限られていた(でも、いまのルノーフィアットより、当時のサターンの販売網のほうが多かったと思う)。

サターンは、日本において「値引きしない」とか「店舗内でセールスから来訪者に声をかけない」とか、あたらしい試みを持ちこんだ。自動車業界的では、”黒船”的なおどろきだったようである。トヨタ系ディーラーがおおいに参考にしたという話もあるほどだ。

サターンが日本から撤退したのは2001年。ずいぶん早いタイミングでの決断だ。本国では2000年にやや大型ボディのLシリーズや、2002年にSUVの「Vue」などが出て、適宜売り上げに貢献したものの、赤字は累積していき、結局2009年にブランドじたいが廃止されてしまった。

でも、MX-30をみてSC2クーペを連想するひとが少なくないようで(担当編集も思い出したという)、いまもそれが撒いた種はしっかり残っているようだ。

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文・小川フミオ