純粋な欲求と義務のバランス
すべての写真:國見 祐介
「やはり意思を決定するわけじゃないですか。その決定プロセスが面白くて僕らは山に行っていると思っていて、プロセスに向かって行く距離がどんどん短くなってきている感じはします」
加藤直之は長いインタビューの後半にこう話してくれた。
ガイドを生業にしているのであれば、その経験値やスキルを上げるためにもガイディング以外の山行を常々意識していなければならないものなのか、という問いに対する答えの前置き部分だ。
彼に投げかけたこの問いを、2シーズンにわたる狩場山域への山行を映像としてまとめるための柱にしようと考えていた。
あの山に行きたい、この斜面を滑りたいという「純粋な欲求」と、経験を積むというガイドとしてのいわば「義務」とのバランスについてどう考えているのか。
それぞれがガイドとして活動する、狩野恭一、加藤直之、古瀬和哉、3人のガイドとしてのあり方を、山行の描写を通じて表現してみようというのがこの作品の目的だ。
狩野恭一と初めて会ったのは20年ほど前、彼がまだ自衛官だった頃のことだ。たしか、泊まりで積丹岳に行くときに佐々木大輔が連れてきたのだったと思う。多くを語らず、先を読んで人知れず必要な準備を整えてくれて、いてくれるとものすごく心強い。退官後にガイドのアシスタントをしていた頃までの彼の印象は概ねそんな感じだ。まったくもって失礼な話だけれど、僕は彼に対して何かの手伝いをすることには長けているけれど、特に自分から能動的に動くタイプではないという印象を持っていた。
その後、彼がガイドとして独立してから少しづつ受ける印象が変化する中で、今回の山行を共にした。先頭に立って先輩ガイド2人を率いる彼を、僕はもはや親のような気持ちで見守りながら記録したのだが、その後の取材を通じて、そもそも彼への認識は根本から間違っていると知ることになった。今回の作品では取り上げることができなかった、彼の自衛官時代の興味深いエピソードをここで紹介したいと思う。彼は、高校卒業後6年間自衛隊に所属していた。在籍2年目に志願してレンジャーの訓練を3ヶ月間受けたことがあるそうだ。ちなみに、この訓練は志願すれば誰でも受けられるわけではなく、選ばれたものしか受けることができないらしい。
レンジャー訓練は文字通り想像を絶するような内容だったようで、訓練する側はそれぞれの気力と体力の限界を把握してプログラムを組み「死なない程度に限界を少し超える」ところまで何度も追い込むそうだ。そんな訓練を経験した彼は、自分の限界がどこにあるのかを把握しているという。
「レンジャー訓練の最後は、40-50kgの荷物を背負って、ほぼ寝ず、食べず、飲まずの状態で6日間、60kmの藪漕ぎを続けるんです。そこまでキツい山行は、これまでには訓練以外に経験したことがないです」と笑いながら話してくれた。数年前にドキュメンタリー番組として行ったデナリ山カシンリッジ登攀の際に、同行した新井場隆雄が「狩野は行動中にあまり食べない」と心配して話していたことを思い出したので聞いてみると「たぶんエコモードみたいのに勝手になってしまうようで、あまり腹が空かない」のだそうだ。
本編は狩野のBackyard(裏山)という切り口で構成されている。
故郷を出て、様々な場所で様々な経験をしたそのあとで、狩野が初めて気づいた裏山の魅力を、尊敬する先輩ガイドと共に歩くことで時間と労力をかけて確認する行程。一年目の山行では、フモンナイ岳から東狩場山、狩場山、前山を経てオコツナイ岳まで続く稜線を、その直下に広がる急峻な斜面を実際に目で確認しながら歩いたわけだが、狩野が話してくれた「初めての場所で、地形を見ながら『あそこを越えたらこんな風になっているのかな』とか想像しながら先頭を歩いている時が一番楽しい」という、まさにそのままの山行だったのかもしれない。
冒頭の加藤の答えには当然続きがある。少々長いが引用したい。
「やるべきだ、とか押しつけるつもりはなくて、自然体というか、結局は山へのモチベーションがあって初めてそれがガイディングに活かされて、結果的にお客さんの安全性であったりエンターテインメント性であったり、色々なことにつながってくると思う。だから自分自身がそのモチベーションを失わないで、限界を上げて行くような作業ができたらそれが理想だと思う。僕たちガイドに必要なスキルというのは、世間一般で言われているロープワークとか滑降スキルとかそういうことではなく、それらはあって当然のベースであって、そうではない、それこそ『蓄積』なんだと思います」
加藤直之は自分にも他人にも厳しい。だから彼と一緒に行動するときには意識して緊張してしまうと狩野も古瀬も語っていた。僕も同感だ。自分が何をしたいのか、そのために何をするべきかをしっかりと把握し、黙々と実行する。
「とにかく山にいることが楽しくてしかたがない人。あそこまでの人はなかなかいない」長年にわたって様々な登山家を取材してきたライターが彼を評した表現だ。
3人の中では登攀と滑走、どちらについても最も経験豊富で、それはガイドとしても然りだ。30代半ばまで自己中心的に山と向き合っていた彼は、ある時期から社会にまったく貢献していない自分の存在意義に疑問を持ちはじめた。そして、自分の好きなことを人に伝えることで社会貢献できるのではと考え、ガイド業に辿り着いたそうだ。彼の理想のガイドスタイルは、基本的になんでもできる顧客と、できるだけ対等でありながら足りない部分を補ういわばパートナーのような立場で、自分もワクワクするような山行を共にするものなのだという。いろいろな意味で成熟している欧米のアウトドア文化の中で揉まれながら経験を積んだ彼らしい考え方なのかもしれない。
作品中に加藤は言う「自分の生まれ故郷の山々をこんなに時間と労力をかけて確認することができたのだから、彼(狩野)はだいぶ充足していると思いますよ。地元でない僕だってこれだけ充足しているんだから」と。いきあたりばったりで、たまたま良い斜面を滑れてしまうのでは満たされない、過程を大事にする加藤の考え方が表れたコメントだと思う。彼がキャットオペレーションを行っている北大雪エリアでも、人知れず可能性のあるすべての斜面に足を運んで調査しているようだが、おそらく登って滑ることと同じくらい、場合によってはそれ以上に探す行為が好きなのだと思う。
古瀬和哉のことをよく知らない人はこの作品を観て、お気楽でテキトーな男だと思うのかもしれない。たしかに容姿や振る舞いは、良くいえばレイドバックした雰囲気があるが、まったくもってそうではない。ガイドとしてしっかりした部分と少々ユルい部分の混ざり具合が絶妙で、とても魅力のある人物だ。そんな彼をしっかり描くには、1時間のドキュメンタリー作品が必要かも知れない。
「滑りたくてしょうがないんですよ。僕の場合はそれは山だけに限らず、ゲレンデを滑るのも好きなんですよね。ガイドである以前にスキーヤーだと思っています。それを忘れないようにいた方が良いって、昔言われたことがあるし、僕も実際にそうだと思うし」。滑ることが好きなことは3人に共通しているが、その好きさ加減は古瀬が一番かもしれないと感じる。「春には本降りの雨でもゲレンデをひたすら滑ります。むしろ雨の日が良いです。春雪は雨が降っている時の方が板が滑るから」。純粋に、滑ることに対する情熱が飛び抜けている。
冒頭でふれた、例の柱になる質問には「カリッチ(狩野)にしても加藤さんにしても、すごい遠征をするじゃないですか。僕なんかあまりそういうのはなくて、多分普通の人よりも『あのピークから滑りたい』とか『あそこにシュプールをつけたい』みたいなのないんですよね。自分でも大丈夫かなって心配になるくらいそういう欲が全くないんです」と優等生的でない、彼らしい答えが返ってきた。ただ、達観しているように見えて、実はその後で「行ってみたい気持ちはあるんだけど、どうなんだろうな。遠征したいのかもしれないけど、本当は」とインタビューを終えるまで気持ちが揺れ動いている様子だったことが印象に残っている。前回がいつだったか覚えていないくらいに久しぶりの、こうしたプライベートな少し長めの山行を終えて、あるいは「こういうのも案外悪くないかも」と考え始めていたのかもしれない。
彼らの考えをじっくり聞くことができたのは、行動を共にして記録したからだと思う。こうした山行や遠征に誘われて、同行して記録する。それが自分の一番やりたいことだ。もちろん体力、技術的な要因でできないこともあるのかもしれないが、とにかく声がかかるうちは続けたいと願っている。
作品を補足するようなエピソードを羅列するだけの取り留めのない文章になってしまったが、より深く楽しんでもらうのに役立ていただければと思う。