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原発避難の困難を物語る 13年前の「文書」

  • 2024年04月08日

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から13年。このほどNHKが茨城県に行った情報公開請求で、事故当時の住民の避難をめぐる「文書」の存在が明らかになった。文書の日付は2011年3月16日。
大勢の福島県の住民が原発周辺から避難しているさなか、茨城県は福島県に対し「避難が要請されていない住民には、個別自動車による避難をできるだけ抑制されるようお願いします」と要請していた。
“避難の抑制”を求める文書はなぜ出されたのか。その背景に迫った。

発端は耳を疑うような情報

震災と原発事故から10年余りが経過した頃、私はある取材先から、驚くような話を聞いた。それは、原発事故の状況が悪化の一途をたどり、福島県内から大勢の住民が県内外へ避難を行っていたさなか、茨城県が福島県内の報道機関に対して「茨城県に来ないよう呼びかけてほしい」と要請していた、というもの。
そもそも、あの事態の中で茨城県がそのような要請をするだろうか。信じられなかった。その時、脳裏によぎったのは、原発事故の直後に福島県内の国道が車で渋滞している様子を映したヘリの映像。私は原発事故がもたらした混乱のようすを福島で取材していただけに、もやもやとした気持ちだけが残った。いっそ、茨城県に確認してみよう―。これが今回の取材の発端だった。

開示決定された13年前の「文書」

茨城県から届いた開示決定通知書

行政が保有している公文書は、手続きをすれば基本的には誰でも入手できる。この情報公開請求の制度を利用して真相を確かめようと、私は茨城県に開示請求を行った。「原発事故当時、福島の報道機関に対して茨城県に避難しないよう呼びかけた文書などがなかったか」。請求手続きを行ったのが2023年12月末。翌月には開示決定通知がなされ、まもなく「文書」が届いた。

開示された文書には…

文書の日付は2011年3月16日。
「福島原子力発電所事故に係る避難者の受入について」とある。
宛先は、福島県の佐藤雄平知事(当時)だ。福島県に宛てた文書だったことがわかる。
その中では、確かに、「住民の避難を抑制」するよう要請していた。

開示された文書の全部は以下の通り。
「内閣府緊急災害対策本部より福島県の避難区域からの避難者の受入についての要請があり、同日別紙のとおり受け入れる旨の回答をしたところですので、ご参考までに送付します」

「なお、屋内退避区域が30km圏になり、いわき市の一部が屋内退避になった後、本県への自動車での避難者が非常に増加しておりますが、避難指示地域の住民の方々を優先し、避難が要請されていない住民には、個別自動車による避難をできるだけ抑制されるようお願いします(内堀副知事及び、貴県マスコミへは昨日依頼済)」

茨城県は、国の避難指示が出された地域に住む福島県の住民の受け入れを進めていた。一方で、避難指示が出ていない地域の住民の車による避難を抑えてほしいと、佐藤知事(当時)だけでなく、副知事=現知事の内堀雅雄氏と、福島のメディアにも求めていたことがわかった。

事故の事態悪化で避難指示が拡大

避難指示の範囲(2011年3月15日時点)

当時、茨城県と福島県の間で何が起きていたのか。3月11日に巨大地震と津波に襲われた福島第一原発では、3つの原子炉で核燃料が溶け落ちるメルトダウンが発生。大量の放射性物質が放出された。3月12日には、被ばくの恐れがあるとして国から福島第一原発の半径20キロ圏内に避難指示が出され、多くの住民が避難を開始。そして15日には、20キロから30キロ圏内の住民に自宅や施設などの建物に留まる屋内退避の指示が出された。

このとき、30キロ圏外には、避難の指示は出されていなかった。

しかし、原子炉建屋が相次いで水素爆発し、放射性物質の放出がニュースなどで伝えられると住民の間に不安と混乱が広がり、行政の避難指示や屋内退避指示とは関係なく、大勢が自主的に避難を始めた。

茨城県内の道路は大混雑

福島県の南に位置する茨城県。

2011年3月16日 茨城県日立市上空

福島第一原発の周辺地域と直結している国道6号線は、福島方面から南下する車で激しい渋滞が発生していた。茨城県は、災害対応を行う緊急車両へのガソリンの供給に支障が出るなど、影響が広がっていた。

2011年3月15日 会見する橋本昌茨城県知事(当時)

福島県へ避難の抑制を文書で要請する前日の3月15日、橋本昌茨城県知事(当時)は記者会見で次のように述べていた。

橋本昌 前茨城県知事
いわきの方から来る方々の車で数珠つなぎになっている。個人的な形で心配になった方々が茨城の方に流れてきておられる。この付近(避難指示が出されていない地域)は安全だということについてもっと徹底してちゃんと情報を県民の福島県民の方々にお知らせしてほしいということで福島の県庁あるいはまた福島のテレビ、ラジオなどにもお願いを致しました。

「指示」出ていなくても避難した人たち

茨城県に接する人口30万人の福島県いわき市

いわき市は、北部の一部が福島第一原発から30キロ圏内に入り、屋内退避の指示が出されていた。つまり、ほとんどの地域は30キロ「圏外」で、国からは避難指示も屋内退避の指示も出されなかった。しかし、いわき市がのちに行った調査では、60%近くの世帯が家族全員または家族の一部で市外に避難していたことが分かっている。

避難した人たちは当時、何を考えていたのか。津波で自宅が被害を受け、近くの避難所に身を寄せていた、いわき市の大谷慶一さんも、その1人だ。

大谷慶一さん
大谷さん

ここに来たのは3月12日(震災翌日)の午前10時くらい。

避難3日目。大谷さんが耳にしたのは、水素爆発など原発の深刻な事態を伝えるニュース。さらに、衝撃的な光景を目の当たりにする。

大谷さん

15日の朝。早朝から職員が目張りしていたんですよ。何の説明もないんですよ。私は目張りをしているから危険な状態なんだなと思いました。

強い危機感を抱いた大谷さんは、埼玉県の肉親を頼りに家族を連れて車で避難を決めた。

大谷さん

避難した一番の原因は放射能に対する恐怖心です。あのときは避難する、ここから離れることが一番正解だったのかなと思ってますね。

茨城県と福島県 行政の受け止め

茨城県は…

開示された文書をもとに取材を進めた私は、福島県への要請に至るまでの具体的な議論や、やりとりの資料が残っていないか、茨城県に尋ねた。

茨城県の回答
直接的な資料は残されておらず、今回開示した間接的な資料しか見つからなかった。

その上で、この要請を行ったことの是非については。

茨城県の回答
福島県の住民に、行政の指示にしたがって避難行動を取るという、原子力災害時の対応をとってもらうために、必要なものだったと認識している。

では、この要請に福島県はどう対応したのか。内堀知事に記者会見の場で尋ねた。

福島県知事の定例記者会見(2024年2月26日)

内堀雅雄 福島県知事
当時、茨城県から福島県に対して本県の避難指示区域から避難される方々を受け入れるとの連絡をいただいたほか、避難が要請されていない住民の方々が自家用車で茨城県に避難することを抑制してほしいとの依頼もありました。各市町村において自主避難を呼びかけていたこともあり、県では国に対して避難指示の発出など事態に応じた、全面的な支援や県民に分かりやすい情報提供を行うことなどを求めたところであります。

その後改めて、福島県原子力安全対策課に対して「茨城県の要請を受けて避難が要請されていない住民には個別自動車による避難をできるだけ抑制するよう呼びかけたのか」と確認してみたが、「当時の記録からは確認できない」との回答だった。

原発の避難計画

現在、各地の自治体の避難計画は、国の原子力災害対策指針の考え方に基づき、原発で重大な事故が起きた場合、半径5キロ圏内はただちに避難し、5キロから30キロ圏内は屋内退避で、放射線量が上昇した場合は避難するとされている。

13年前の原発事故を教訓に不断に見直し

東京大学 関谷直也 教授

原発の広域避難の難しさが改めて浮き彫りとなるなか、原子力防災に詳しい東京大学の関谷直也教授は、原発事故で不安を抱えた人が身を守ろうと避難を始めることは自然な行動だとした上で、次のように指摘している。

東京大学 関谷直也教授
原子力災害の避難の基本は遠くに避難することではなく、放射性物質から身を守るため内部被ばくを抑えるヨウ素剤の服用や屋内退避、それに広域への避難を組み合わせて防護することを十分理解することが大切。
原発の避難計画は、住民が行政の指示どおりに避難をすることを前提に組み立てられているがむしろ計画どおりにいかなかった場合の対応を考えておく必要がある。13年前の原発事故をふまえて不断に計画を見直し続けることが重要になってくる。

福島の原発事故の教訓を

13年の時を経て、明らかになったこの文書。原発事故が起きた際、少しでも安全な場所へ早く逃げたいという人々の本能的な行動を、行政はコントロールできるのかという広域避難の根本的な課題を突きつけているといえる。
そこで必要になってくるのは、正確で迅速な情報にほかならない。きちんと情報が伝わっていれば、住民も納得したうえで、その場にとどまる、あるいは段階的な避難行動をとれるかもしれないからだ。行政と、情報を扱うメディアは有事の際にそれができるのか。今回の取材を進めた私自身にも向けられた課題だと感じている。

  • 添田拓郎

    NHK福島放送局

    添田拓郎

    2021年入局。須賀川市出身。2児の父。茨城県の水戸市で大学時代の4年間を過ごす。

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