Column

第72回「コロナ鬱」にどう対処するか?──内田樹の凱風時事問答舘

武道家にして思想家、道場にして寺子屋の「神戸凱風館」を主宰するウチダ先生が街場の質問にお答えします。今月は、人間には、「あなたが必要だ」という他者からの承認が絶対に必要です、ということについて。

Q : リモート・ワークが広がり、生活の現実感が薄くなっている気がします。いまは仮の生活で、もうすぐ元に戻れるように思う一方、後戻りができないのが現実で、自分は何のために生きているのか、考えたこともなかったようなことをぼんやり考えてしまいます。何かいい方法はないでしょうか。

A : ワクチン接種数0.6

コロナがこの先どうなるか、僕にもまったく見当がつきません。周りの専門家に訊いても楽観的な見通しを語る人は一人もいない。欧米ではワクチン接種は始まりましたけれども、ヨーロッパでは再び感染者が急増して、フランス、イタリアではまたロックダウンが始まりました。終息のめどが立ちません。

人口100人あたりのワクチン接種数の国別のランキングを見ると、1位がイスラエルで100人あたり109。2位が英国で47、米国が39で3位。バイデン大統領になってから60日間で1億人に接種したそうです。トランプのときは感染者・死者数とも世界最多でしたから、米国はこういうときの復元力がすごいと思います。その中にあって、日本は100人あたり0.6。

すでに感染が抑制された国では当然接種数は低い。ニュージーランドは0.8ですし、ベトナム台湾ではゼロです。ワクチンを打つ必要がないから。ですから、いまだに感染が拡大している国で接種率が0.6というのは異常なんです。日本と同レベルの国というと、カザフスタン、ホンジュラス、グアテマラ、フィリピンといった国々です。メディアは報道したがりませんけれど、日本政府の感染症対策というのはもはやそのレベルなんです。それだけ他の先進諸国と国力の差がついた。その事実を直視した方がいいと思います。

政府は市民の自粛を求めるだけで、積極的に感染を防ぐ方策は何もしていない。ですから、これからも第4波のあとは第5波、そのあとは第6波……というふうに感染者の増減を繰り返すだけだと思います。

だから、これからもリモート・ワークが続きます。やってみてわかったのは実に多くの時間が「ブルシット・ジョブ(やる必要のない仕事)」に費やされていたということです。通勤時間もほとんどの会議も実は必要なかった。どれほど時間と資源を無駄遣いしていたかが可視化された。それはこの出来事のサニーサイドだと思います。でも、当然ダークサイドもある。

雇用消滅

通勤しないなら、都心にオフィスなんか要らない、社員もこんなには要らない……ということになれば、地価が下がり、雇用全体が縮小することは避けられません。すでに観光、航空、外食、アパレルなどでは業界そのものが存亡の危機に立たされています。

コロナ前は雇用消滅は「AIが導入されたら」という仮定で論じられていましたが、いまはもうAIのエの字も目にしなくなりました。コロナのせいで、どの業界でどれくらい雇用が縮減するのか、予測もつかなくなったからです。バイデン大統領は巨額の給付金支給を決めました。収入が減った人たちは当座は助かるでしょうけれど、それで雇用が確保されるわけではない。ですから、米国でも、遠からずベーシック・インカムの導入と、失業者のための再教育プログラムの整備が議論されることになると思います。でも、日本ではまだどちらも論じられていません。政府部内にそれが喫緊の政策的課題であるという認識さえない。無策という他ありません。
コロナで自殺者が増えたのもつらい話題です。人とのつながりが希薄になったわけですから、メンタルが弱るのは当然です。特に高校生の自殺者が増えたのが特徴的です。

去年3カ月の一斉休校をした余波で、高校生たちは1年分の学習内容を残り時間で終わらせることを強いられました。文化祭も修学旅行も体育祭も楽しいイベントは全部なくなり、夏休みも短縮され、ひたすら授業だけ受けることになった。生徒たちが授業内容を理解していようといまいと、とにかく教科書を最後まで終わらせないといけない。そうすると教室にいても授業内容についてゆけない生徒たちが増えて来ます。意味不明の授業を上の空で聞き流しているうちに、自分がどうしてここにいなければいけないのか、その理由がわからなくなる。経験のある人ならわかるでしょうけれど、それは「誰もお前がここにいることを求めていない。お前はここにいるべき人間じゃないんだ。消えろよ」と耳元でささやき続けられているようなものです。

ここが君の場所だ

本来、学校の最もたいせつな仕事は子どもたちひとりひとりを個体識別して、ひとりひとりに向かって「君はここにいていいんだ。ここが君の場所だ」と確信させてあげることです。子どもたちを社会的に承認することです。でもいまはそれができなくなっている。

元文部官僚で「ゆとり教育」の起案者だった寺脇研さんは、80年代に学校が「荒れた」のは学習指導要領のせいではないかという仮説を立てています。60年代の中ごろに「超詰め込み」の指導要領が採択されました。教えなければならないことが多すぎて、早い段階で授業についてゆけなくなった子どもが大量発生した。彼らは学校に行ってもすることがない。そして、校内暴力が発生します。窓ガラスを割るとか、バイクで廊下を走るとか、教師を殴るという光景が日本中の中高で見られた。学ランきた高校生が殴り合うマンガ(『今日から俺は!!』とか『ビー・バップ・ハイスクール』とか『ろくでなしBLUES』とか)の世界が現実だった。でも、「ゆとり」になって教える内容を絞り込んだら、それがすっと消えた。他にも理由があったと思いますが、授業がわかるようになると教室にいても疎外感を感じずに済むということが一因だという寺脇さんの説に僕は説得力を感じました。

でも、「ゆとり教育」がよくないという(なんの統計的根拠もない)クレームが出てきて、世論を動かし、指導要領は再び「詰め込み」に戻りました。そこにコロナが襲ってきて一斉休校になった。また授業についていけなくなった。でも、バイクで暴走するとか、ワル同士で「テッペン」をめざして殴り合うというような伝統はもう途絶してしまった。社会に対して暴力的な仕方で「オレを認めろ」と承認を迫るノウハウを今の高校生たちは知らないのです。だから、その攻撃性が内攻して自殺者が増えている。僕はそう思います。

話は飛びます

人間が生きてゆくためには、「あなたが必要だ」という他者からの承認が絶対に必要です。リモート・ワークだと仕事仲間に「頼りにしているよ」と肩を叩かれたり、クライアントに「ありがとう」と手を合わされたりということが経験できない。仕事帰りに居酒屋でだらだら喋っているというのは、お互いに承認し合う儀礼としてはとても重要な意味があったんだと思います。それがコロナ禍で規制されてしまった。

社会的孤立による承認の不足がデフォルトになると、確実に精神のある部分が壊れる。「コロナ鬱」とどう対処するかというのは、これからの喫緊の課題だと思います。

話は飛びますけれど、Netflixで韓流ドラマを見るというのは、「コロナ鬱」からの自己治癒の一つの工夫じゃないかなという気がします。韓流ドラマって、人間関係がやたらに濃いでしょう? 家族でも恋人同士でも友だちとでも、愛憎こもごもで、すぐに怒鳴り合い、泣き、ハグする、殴る……。リモートのせいで人間関係が希薄になっている人たちはドラマの「濃密な人間関係」を服用すると、ちょっと気持ちが楽になるんじゃないでしょうか。実際に自分の周りであったら耐えがたい「濃さ」ですけれど、ドラマですからね。

韓流のお薦めはもちろん『愛の不時着』ですけれど、先日放映されて話題になった日本のTVドラマ『俺の家の話』も日本のドラマには珍しく濃厚な家族愛ドラマで、ああ、いまの日本人はこういう話に飢えているんだなとしみじみ感じたことでした。

Q : 先日、お腹が痛くなって、思わず「うーっ」と唸ったら、ものすごく楽になることを発見しました。武道で、「えいや」っと気合を入れるのと関係があるのでしょうか?

A : 打つときは「えい」

関係あると思いますよ。知り合いの整体の河野智聖先生によると、母音と腰椎の間には深い関係があるそうです。だから、お腹が痛い時には必ず身体を折って、痛むところに手を当てて、ある種のうめき声を出すでしょ? そうすれば楽になるということを本能的に知っているからです。お腹が痛い時に、身体を反らせる人なんかいませんもの。

杖道では、打つときは「えい」、突くときは「ほう」と声を出します。これは昔から決まっています。どうしてそうなのか、現代人である僕たちには、音声と運動の関連は実感としてはわかりません。でも、昔から決まっている以上、「何て言っても同じだろう」というわけにはゆかない。

身体を上下したり、前後に倒れたり、左右に揺れたり、回転したり、開閉したりという運動は腰椎がコントロールします。そして、母音と腰椎には関係がある。

河野先生によると、母音「う」は腰椎四番の動きに関連するそうです。腰椎四番は開閉にかかわる関節ですから、「う」の音を出すと、身体は閉じ開きし易くなる。お腹を抱えてうずくまる動作を母音「う」が支援するのだとしたら、よくできた話ですよね。

内田樹(うちだ・たつる)

1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家、哲学者にして武道家(合気道7段)、そして随筆家。「知的怪物」と本誌スズキ編集長。合気道の道場と寺子屋を兼ねた「凱風館」を神戸で主宰する。

Words 内田 樹 Tatsuru Uchida
Illustrations しりあがり寿 Shiriagarikotobuki