ツボカル。

「アタック25」の世界 45年 児玉清さんの遺志継ぐ

【ツボカル。】「アタック25」の世界 45年 児玉清さんの遺志継ぐ
【ツボカル。】「アタック25」の世界 45年 児玉清さんの遺志継ぐ
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 クイズ解答者がオセロゲームのような陣地の奪い合いを展開する朝日放送テレビ(ABC、大阪市)制作の「パネルクイズ アタック25」。視聴者参加型のクイズ番組が少なくなった今も、昭和50年の開始から変わらぬルールで続く。息づくのは平成23年に死去した初代司会者、児玉清さんの遺志とスタッフの情熱だ。(渡部圭介)

スタッフの「義」

 ABC内で語り継がれている話をまとめると、番組のヒントになったのはオセロ。スタッフの一人が、クイズとオセロのような陣地の取り合いを重ねたら面白いのではないか、と考えついた。

 4色の紙を用意し、4人でクイズの代わりにじゃんけん。勝者がマスに自分の色の紙を置き、オセロのようなルールでゲームをすると手応えを感じたという。

 司会は別のクイズ番組で司会経験がある俳優の児玉さんに打診したが、難色を示された。元プロデューサーの岩城正良さん(57)は「前のクイズ番組の視聴率がいまいちで、児玉さんの中には『失敗したくない』という意識があったのかも」と話す。

 それでも児玉さんが受け入れたのは、スタッフの熱意に押されたから。児玉さんは後年、周囲に「何度も(交渉に)来てもらって『義』を感じた」と明かしたという。

クイズ番組の本質

 児玉さんの番組にかける思いの強さを物語るエピソードは限りない。岩城さんが挙げるのは、ドイツ語に関する問題が出たときのこと。解答者の答えが「聞いたこともない想定外の内容」(岩城さん)で、正誤が判定できず収録をいったん止めた。

 大学でドイツ文学を学んだ児玉さんも分からず、自ら知り合いの大学教授に電話して相談。誤答であることを確認した。岩城さんは「児玉さんはもはや司会者じゃない。スタッフの一人だった」と振り返る。

 「児玉さんが解答者に怒ったことがある」と明かすのは現プロデューサーの秋山利謙さん(60)。パネルの獲得争いで優位に立てる角の周囲しか選べないとき、角が取れる〝その次〟をにらんで、誰も解答しようとしない。

 答えが分かるのに答えない解答者たちに、児玉さんは「こんな問題も答えられないのか!」とたしなめたとか。パネル獲得の戦略より知識を競うクイズの本質を、誰よりも追究したのが児玉さんだった。

 一方で、テレビ出演に慣れていない解答者たちへの優しさにあふれた。すでに埋まっているパネルを、空けることができる「アタックチャンス」。勝負の大事な場面を前に、収録は休憩に入る。児玉さんは「あめ玉を1個なめると緊張がほぐれる」と解答者にあめを配ったという。

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