MOVIE

【鈴木涼美】『赤線地帯』が描く"50メートルよりも5センチの距離"で見る世界はなぜ鮮やかなのか?──みんなで語ろう!「わが日本映画」

最新作からコロナ禍があぶり出した古典まで、各界の論客が「わが日本映画」を語る。──昭和33(1958)年の売春防止法施行前後の娼婦たちの生き様を克明に描いた溝口健二の『赤線地帯』が照らし出した細部は、鈴木涼美の方法と重なる。

SUZUMI SUZUKI

日本には暗くて長い夜があり、そこには昼の明かりの下にいられない、或いはいたくない生き物が、それぞれに肩身の狭い居場所を見つけて暮らしている。映画は時々懐中電灯を持って、その暗くて長い夜を歩き、闇の中に隠れた微かな音にそのライトをしばらく当ててみる。光を当てた先が驚いてすぐに散り散りになってしまう場合もあれば、そもそも何も面白いことが起こっていない所もあるけれど、時折、日光の下ではあり得ない美しさにライトが当たることがある。それは懐中電灯を当てて明るくなる程度の広さでしかなく、当てていられる程度の長さでしかないが、溝口健二の『赤線地帯』はそういう灯りを当てた奇跡的な映画だった。

売春防止法の審議に揺れる赤線地帯の娼婦たちを、悪意や善意によってではなく、手元のライトをふと当てるようにして浮かび上がらせた本作は、1人のはっきりとした主役の栄光と挫折や光と影を描く手法ではなく、出入りする女たちそれぞれの瞬間をその都度フォーカスする形で進んでいく。その切り取られた姿の奥には、光が当たらない生活が当たり前に広がっていて、それはおそらく一生誰かの胸を打つことも、誰かに注目されることも、美しく艶やかに光ることもない。本当は、切り取られて光るその姿だって、そういうとるに足らない暗闇の中の一コマに過ぎなかったのだけど、映画の懐中電灯が当てられたそれらは、甚しく華やかだ。

普通の主婦に憧れていた娼婦は、結婚してみた先で娼婦の時代よりずっと窮屈な生活に息を詰まらせ、女たちの里へ舞い戻り、若尾文子が演じる守銭奴のやすみは、客からせびり取るだけでなく、娼婦同士の金の貸し借りでも貯蓄を増やし、貸し布団屋の経営者になってしまう。病気の夫の面倒を見る娼婦がいれば、1人息子に家計を支えてきた自分の仕事を全否定されて発狂する娼婦もいる中、京マチ子扮するミッキーは、経済的には問題のない家庭への反抗手段として身体を売るその場所に流れ着いてくる。とるに足らない、彼女たちの事情。国会で審議される法案の中では大きな主語で括られて、侮蔑や同情、或いは救助の眼差しを向けられる彼女たちの、ごく短い日常の細部を映画は細かく描き切ってみせる。

重要なことはすべて細部にある、とはかつての大学の師の言葉だが、当時の私にはそれほどリアリティがなく、細かなところに気を配ってものを書けよという程度の教えと捉えてしまっていたかもしれない。ただ、ちょうどその頃に見た数本の映画と、師の言葉が、同時に私の中に入ってきたことによって、ものを書く私の人生は大きくうねりを迎えた気がする。細部にこそ神が宿るのだとしたら、私は世の中に起きていることが大きければ大きいほど、大きな主語の後ろに隠れる人の細かい営みに、間近で懐中電灯を当てるようなものの見方をしたいと思った。

第二次大戦後、GHQによる公娼制度廃止から売春防止法施行(1958年)まで、「遊郭」は「赤線地区」「赤線地帯」と名称を変えて、事実上公認で売春が行われていた。写真は1955年。

Archive Photos / 特派員

陽の光の下ではなく暗闇の方を選んで生きる女たちは長くこの世界にはいて、だから彼女たちにフォーカスした映画や小説も、国内外問わずに常に作られ続けている。私は別に、リアリティがあるかないかとか、完全なフィクションかどうかとか、そういったことに興味はないのだけど、彼女たちに付着した色を、世間の目と同じ距離でしか眺めないのであればそれは多少退屈だと思っている。50メートル離れたら黒く見えるものが、5メートルの距離にくればまだら模様に、5センチの至近距離に近づけば鮮やかな色の集合体になる。その色味を発見するのは、単にリアルな世界に近づいてみたから可能なわけではなく、どれだけ瞳を自由に研ぎ澄ませていられるかが問題なのだとも思う。

幸運なことに、日本にはかつて、自由な瞳を瞬間的に持っている人たちがいて、いくつかの、否定的でも肯定的でもない、真面目と言えば真面目、戯けているといえば戯けている夜の世界の映画が作られた。時の国の体制により、身体を売る場所が転々と変わる『にっぽん・ぱらだいす』の女たちも、若き日の加賀まりこがキスだけはさせないパパ活嬢を好演した『月曜日のユカ』も、描かれている対象は、それほど真面目に取り扱わなくたっていいし、リアルな社会を映す鏡である必要もないのだ。馬鹿げているといえば馬鹿げた女たちの生き様は、なぜか人の心を真剣になりすぎる一歩手前で可笑しく和ませる。救わねばならないとされる不幸の中にある、本当は楽しくって仕方がない瞬間を、救助の正当性だけで踏み消してしまうようなこの世の中で、そういった映画はひたすらに心強い。

赤線地帯の彼女たちは、多くの場合に、私や私の周囲に散らばった女たちである。私たちはありがたいことに、時々、過剰なほど注目してもらって、分析してもらって、説明してもらってきた。そんなことをしてくる人のせいでは多分ないのだけど、彼らはなかなか黒の中のピンクやオレンジを見つけられるほど自由な目は持っていないので、全体を黒く塗るか、或いはありもしない赤で覆ってしまうかして、私たちに、スクリーンや雑誌のページに耐えうる物語を背負わせてきた。それはそれでいいから、私は私なりに、人の気づかないピンクがいかにピンクであるとか、実は近づいても黒でしかない箇所もあるとか、そういうことを紡いでいこうと今でも思っている。明るみに出すべき不幸のなかに散らばった愉快な種は、明るみに救い出した瞬間に、灰となって消えてしまう気がするから。

オススメの3本

『赤線地帯 4K デジタル修復版 Blu-ray』
1956年公開、監督:溝口健二、脚本:成澤昌茂、出演:京マチ子、若尾文子。売春防止法施行前後の社会情勢を描いた女性主体の現代劇。¥4,800(Blu-ray)/発売元・販売元:KADOKAWA

『あの頃映画 松竹DVDコレクションにっぽん・ぱらだいす』
1964年公開、監督:前田陽一、主演:香山美子。売春防止法発効までの遊郭を舞台に、女たちと客、業者の人間模様を軽快なタッチで描いた傑作。¥2,800(DVD)/発売元・販売元:松竹  

『月曜日のユカ』
1964年公開、監督:中平康、脚色:斎藤耕一、倉本聰、主演:加賀まりこ。港町ヨコハマを舞台にしたポップでクールな現代の寓話。実在したという伝説の「ユカ」の物語をファンタジックに切り取った風俗ドラマ。配給:日活。

PROFILE

鈴木涼美

作家

1983年、東京都生まれ。作家。慶應義塾大学卒業。東京大学大学院学際情報学府を修了。2009年から2014年まで、日本経済新聞社に勤務したあと文筆業へ。2013年に著書『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』を刊行した。近著に『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(講談社)がある。

文・鈴木涼美