Cars

バブル期が生んだユニークなセダン5選

1986年から1990年頃までの好景気の時代、通称「バブル期」には、日本メーカーから個性的なセダンが多く登場した。小川フミオが気になる5台を選ぶ!
トヨタ TOYOTA アリスト マツダ MAZDA クロノス オートザム クレフ ホンダ ドマーニ 三菱 MITSUBISHI デボネア Honda ユーノス500 EUNOS
トヨタ TOYOTA アリスト マツダ MAZDA クロノス オートザム クレフ ホンダ ドマーニ 三菱 MITSUBISHI デボネア Honda ユーノス500 EUNOS
ギャラリー:バブル期が生んだユニークなセダン5選
Gallery38 Photos
View Gallery

いわゆるバブル・エコノミーの時代、日本では魅力的なセダンが続々登場した。スタイリングコンセプトやパッケージで個性を競い、かつ高性能やぜいたくさで際立つクルマもあった。

1990年代にいわゆるRV(レクリエーショナルビークル)ブームが到来し、そこからSUVミニバンがファミリーカーの王座を分かち合うになるまで、ブランドの顔はセダンだった。

いまでも、セダンのブランドの顔でありつづけている。たとえば、メルセデス・ベンツ。さいきんモデルチェジをおこなった「Sクラス」を「ブランドのセンターピース(中心的存在)」としている。そこは揺らいでいない。

EUNOS ユーノス800 マツダ TOYOTA トヨタ カローラ 日産 NISSAN レパード LEOPARD Jフェリー ホンダHonda コンチェルト 三菱 MITSUBISHI デボネア
ギャラリー:バブル期が生んだ名車?迷車?? 5選
Gallery37 Photos
View Gallery

ロールス・ロイスにしても、販売の牽引役を務めるのはSUVの「カリナン」であるものの、2020年10月に日本でも発表されたセダンの新型「ゴースト」の存在感は圧倒的だ。スタイリッシュで堂々としていて、質感はばつぐんであると思った。

日本製セダンをみても、いまもおもしろいモデルがいろいろ見つかる。ただし、ものすごい熱気を感じたのは、1980年代から1990年代にかけてだ。とくに1990年代前半までの、いわゆるバブル経済下で登場したセダンは、いまも思い出ぶかいモデルが多い。

(1)トヨタ・アリスト(初代)

バブル経済下で、市場に潤沢なお金がまわっていたころ、トヨタの「クラウン」は大きく成長した。1991年の9代目クラウンで注目すべきは「クラウン・マジェスタ」の設定だ。

「セルシオ」(1089年)とクラウンシリーズのギャップ(といっても大きくはなかったはず)を埋めるモデルで、ボディ全長は4900mmもあり、トップモデルは4 .0リッターV型8気筒ガソリンエンジンを搭載していた。

従来の、ソフトな乗り心地のためのセパレートシャシーを廃して、軽量化のためにモノコックシャシーを採用したのも、当時のニュースだった。

そして、このとき同時に誕生したのが、「アリスト」という派生車種だ。マジェスタがプレスティッジ性を強くもつ4ドアセダンだったのに対して、2780mmのホイールベースや、トップモデル用の4リッターV8は共用しながら、すこし前後が切り詰められたボディを載せ、パーソナル性を強く打ち出したモデルである。

テストドライバーの意見を大きく採り入れて開発したことを謳い、3.0リッター直列6気筒エンジンには段階的に作動するシークエンシャルターボチャージャーを採用したり、駆動性を高めるための4WDシステムを搭載したりと、スポーティさを前面に打ち出したのが印象的だった。

ショートデッキのボディは好き嫌いがわかれるところだ。基本コンセプトを手がけたのは、イタルデザインと言われている。ジョルジェット・ジュジャーロひきいるイタルデザインは、それまでもトヨタのためにコンセプト開発など、水面下の仕事をいろいろ手がけていたとか。

とりあえず、ビジネスの関係にひと区切りつけた最後の作品が、このアリストと言われたのをおぼえている。1997年に2代目にモデルチェンジ。パワフルなセダンというコンセプトは引き継がれた。

(2)ホンダ・ドマーニ(初代)

1992年に発売されたホンダ「ドマーニ」は、売れ線をねらって”けれん味”のあるコンセプトに走らず、パッケージングといい足まわりといい、地道に作られたのも、お金に余裕ある時代ゆえか。

前身は、ホンダが英オースチンローバーと共同開発(というか車両をOEM提供していた)ローバー「200」(ホンダ名『コンチェルト』)だ。ホンダは4年でコンチェルトを廃すると、この初代ドマーニを開発したのである。

当時、生産工場のラインを一新して、それまでホンダ車の弱点だったホイールベースの短さも克服。ドマーニのホイールベースも、コンチェルトより70mmも延長されて2620mmになった。

足まわりの面でも、ブッシュ類を見直し、欧州車的な”コンプライアンス”(ショックをソフトに吸収する性能)を採り入れたのが、特筆に値する。

安全性の面でも、ドマーニは意欲的だった。運転席エアバッグは全車標準装備(助手席用はオプション)。オゾンホールが問題化したときであり、ドマーニのエアコン用の冷媒には代替フロンが使われた。

トランク高が高いハイデッキスタイルも個性的で、路上ではドマーニとすぐわかった。1997年にモデルチェンジしたものの、高級化路線へとマーケティング重視になったのはみえみえで、いっぽう、コストダウン化で他モデルとのパーツ共用がうんと増えた。それで、初代がより輝いているように思える。

(3)マツダ・クロノス

バブルのときのマツダはほんとおもしろかった。その好例が、1991年発売の「クロノス」だ。マツダがおもしろかったのは、多車種戦略で、そのなかには、すごい速度感で開発されたエンジンの数かずも含まれる。

クロノスに用意されたのは、比較的小さな排気量のV型6気筒エンジンだ。マツダは、1844ccと1995ccという排気量のV型6気筒エンジンを開発した。ちなみに、おなじ1991年に登場した三菱「ミラージュ」は1597ccのV型6気筒で上を行っていた(下を行っていた?)。

トヨタ TOYOTA セラ SERA 日産 NISSAN PAO パオ ホンダ HONDA BEAT ビート ユーノス EUNOS プレッソ ダイハツ DAIHATSU アプローズ 喝采 バブル 日本車
ギャラリー:バブル期に登場したユニークな日本車5選
Gallery43 Photos
View Gallery

振動や重心高がメリットとされるV型エンジンであるものの、このていどの排気量なら直列エンジンでもよかったんじゃないか? と、思わないでもなかった。でも、無駄のように思えることをやるのが、趣味の道具としての自動車のおもしろさなのだ。

カペラの市場を継承すべく開発されたクロノス。ただし、ボディは全幅が1770mmのいわゆる3ナンバーサイズで、駆動方式は当初は前輪駆動、のちに4WDもくわわり……と、いってみれば、本来のマーケットに対してオーバースペック(やりすぎ)だった。

SUBARU スバル アルシオーネ ALCYONE バブル 高級車 トヨタ TOYOTA CELSIOR セルシオ インフィニティQ45 INFINITE HONDA ホンダ レジェンド LEGEND スーパーレジェンド EUNOS ユーノス コスモ COSMO SUBARU
ギャラリー:バブル期に登場した“和製”高級車5選
Gallery45 Photos
View Gallery

マツダははたして、いっきに市場拡大をねらったものの、さまざまな車種を個別にケアする事後マーケティングが不足。高級・高性能化するモデルを、ていねいにバックアップする販売ネットワークも残念ながら不備で、うまくいかなくなってしまった。

理想のクルマを作ったからといって、必ずしも売れるわけではない。そこがクルマ好きにはすこし悲しい。

(4)ユーノス・500

マツダの販売チャネル、ユーノス(1989年〜1996年)から1992年に発売された4ドアセダン。1989年に登場したユーノス「300」のうえに位置するモデルである。特徴は流麗なエクステリア・デザインだろう。登場時、多くの人が500のデザインを賞賛したものだ。今見ても、古さをあまり感じさせない。

内容は、マツダ「クロノス」と同じ。つまり、当時マツダが資本提携関係にあったフォードの「テルスター」、マツダのもうひとつのチャネルであるアンフィニ「MS-6」、そして2ドアクーペマツダ「MX-6」の姉妹車だ。当時のマツダはほんとたくさんのクルマを作ったものだ。

ユーノス500は、やはり、1.8リッターと2.0リッターのV型6気筒エンジンを搭載。ただし、ボディは専用設計と凝っていたし、全幅は5ナンバー枠に収まっていた。逆にいうと、おなじシャシーで、微妙にことなるニーズに対応しようとしていたのだ。

1994年にマイナーチェンジを受け、直列4気筒エンジンを搭載。いっぽうで、V6車には足まわりを硬め、アドバンの高性能タイヤを装着したスポーツグレードが設けられた。それでも1995年には生産中止。こちらも残念な終わり方だ。

(5)三菱・デボネア(3代目)

いまでも路上で見掛けると、異様なほどの存在感を持つのが初代「デボネア」だ。モデルチェンジを経るたびに、個性がなくなっていったのは残念。

1992年の3代目は、個性的なデザインとはいいにくい。ただし、ホイールベース2745mmと当時としては余裕あるサイズで、かつ、ボディは全幅1815mm。三菱グループの役員車としての合目的的な設計だ。

ボディが(当時のことばでいうと)”国際化”したのが、この3代目デボネアの特徴だ。このモデルは、三菱自動車が、韓国の現代(ヒュンダイ)自動車と共同開発した。

合理的な設計で、室内をなるべく広くするために前輪駆動方式が採用された。前後長が長めのルーフは、後席重視のパッケージとみてとれる。じっさい、一般用には新開発の3496ccV型6気筒が用意されるいっぽう、法人用(「エグゼクティブシリーズ」)には2972ccV型6気筒が搭載された。このエンジンにはLPG仕様もある。

三菱は2000年に「プラウディア」およびストレッチ版の「ディグニティ」を発売。これと並行して、デボネアは2001年に生産終了となってしまった。

文・小川フミオ