いわゆるバブル・エコノミーの時代、日本では魅力的なセダンが続々登場した。スタイリングコンセプトやパッケージで個性を競い、かつ高性能やぜいたくさで際立つクルマもあった。
1990年代にいわゆるRV(レクリエーショナルビークル)ブームが到来し、そこからSUVとミニバンがファミリーカーの王座を分かち合うになるまで、ブランドの顔はセダンだった。
いまでも、セダンのブランドの顔でありつづけている。たとえば、メルセデス・ベンツ。さいきんモデルチェジをおこなった「Sクラス」を「ブランドのセンターピース(中心的存在)」としている。そこは揺らいでいない。
ロールス・ロイスにしても、販売の牽引役を務めるのはSUVの「カリナン」であるものの、2020年10月に日本でも発表されたセダンの新型「ゴースト」の存在感は圧倒的だ。スタイリッシュで堂々としていて、質感はばつぐんであると思った。
日本製セダンをみても、いまもおもしろいモデルがいろいろ見つかる。ただし、ものすごい熱気を感じたのは、1980年代から1990年代にかけてだ。とくに1990年代前半までの、いわゆるバブル経済下で登場したセダンは、いまも思い出ぶかいモデルが多い。
(1)トヨタ・アリスト(初代)
バブル経済下で、市場に潤沢なお金がまわっていたころ、トヨタの「クラウン」は大きく成長した。1991年の9代目クラウンで注目すべきは「クラウン・マジェスタ」の設定だ。
「セルシオ」(1089年)とクラウンシリーズのギャップ(といっても大きくはなかったはず)を埋めるモデルで、ボディ全長は4900mmもあり、トップモデルは4 .0リッターV型8気筒ガソリンエンジンを搭載していた。
従来の、ソフトな乗り心地のためのセパレートシャシーを廃して、軽量化のためにモノコックシャシーを採用したのも、当時のニュースだった。
そして、このとき同時に誕生したのが、「アリスト」という派生車種だ。マジェスタがプレスティッジ性を強くもつ4ドアセダンだったのに対して、2780mmのホイールベースや、トップモデル用の4リッターV8は共用しながら、すこし前後が切り詰められたボディを載せ、パーソナル性を強く打ち出したモデルである。
テストドライバーの意見を大きく採り入れて開発したことを謳い、3.0リッター直列6気筒エンジンには段階的に作動するシークエンシャルターボチャージャーを採用したり、駆動性を高めるための4WDシステムを搭載したりと、スポーティさを前面に打ち出したのが印象的だった。
ショートデッキのボディは好き嫌いがわかれるところだ。基本コンセプトを手がけたのは、イタルデザインと言われている。ジョルジェット・ジュジャーロひきいるイタルデザインは、それまでもトヨタのためにコンセプト開発など、水面下の仕事をいろいろ手がけていたとか。
とりあえず、ビジネスの関係にひと区切りつけた最後の作品が、このアリストと言われたのをおぼえている。1997年に2代目にモデルチェンジ。パワフルなセダンというコンセプトは引き継がれた。
(2)ホンダ・ドマーニ(初代)
1992年に発売されたホンダ「ドマーニ」は、売れ線をねらって”けれん味”のあるコンセプトに走らず、パッケージングといい足まわりといい、地道に作られたのも、お金に余裕ある時代ゆえか。
前身は、ホンダが英オースチンローバーと共同開発(というか車両をOEM提供していた)ローバー「200」(ホンダ名『コンチェルト』)だ。ホンダは4年でコンチェルトを廃すると、この初代ドマーニを開発したのである。
当時、生産工場のラインを一新して、それまでホンダ車の弱点だったホイールベースの短さも克服。ドマーニのホイールベースも、コンチェルトより70mmも延長されて2620mmになった。
足まわりの面でも、ブッシュ類を見直し、欧州車的な”コンプライアンス”(ショックをソフトに吸収する性能)を採り入れたのが、特筆に値する。
安全性の面でも、ドマーニは意欲的だった。運転席エアバッグは全車標準装備(助手席用はオプション)。オゾンホールが問題化したときであり、ドマーニのエアコン用の冷媒には代替フロンが使われた。
トランク高が高いハイデッキスタイルも個性的で、路上ではドマーニとすぐわかった。1997年にモデルチェンジしたものの、高級化路線へとマーケティング重視になったのはみえみえで、いっぽう、コストダウン化で他モデルとのパーツ共用がうんと増えた。それで、初代がより輝いているように思える。
(3)マツダ・クロノス
バブルのときのマツダはほんとおもしろかった。その好例が、1991年発売の「クロノス」だ。マツダがおもしろかったのは、多車種戦略で、そのなかには、すごい速度感で開発されたエンジンの数かずも含まれる。
クロノスに用意されたのは、比較的小さな排気量のV型6気筒エンジンだ。マツダは、1844ccと1995ccという排気量のV型6気筒エンジンを開発した。ちなみに、おなじ1991年に登場した三菱「ミラージュ」は1597ccのV型6気筒で上を行っていた(下を行っていた?)。
振動や重心高がメリットとされるV型エンジンであるものの、このていどの排気量なら直列エンジンでもよかったんじゃないか? と、思わないでもなかった。でも、無駄のように思えることをやるのが、趣味の道具としての自動車のおもしろさなのだ。
カペラの市場を継承すべく開発されたクロノス。ただし、ボディは全幅が1770mmのいわゆる3ナンバーサイズで、駆動方式は当初は前輪駆動、のちに4WDもくわわり……と、いってみれば、本来のマーケットに対してオーバースペック(やりすぎ)だった。
マツダははたして、いっきに市場拡大をねらったものの、さまざまな車種を個別にケアする事後マーケティングが不足。高級・高性能化するモデルを、ていねいにバックアップする販売ネットワークも残念ながら不備で、うまくいかなくなってしまった。
理想のクルマを作ったからといって、必ずしも売れるわけではない。そこがクルマ好きにはすこし悲しい。
(4)ユーノス・500
マツダの販売チャネル、ユーノス(1989年〜1996年)から1992年に発売された4ドアセダン。1989年に登場したユーノス「300」のうえに位置するモデルである。特徴は流麗なエクステリア・デザインだろう。登場時、多くの人が500のデザインを賞賛したものだ。今見ても、古さをあまり感じさせない。
内容は、マツダ「クロノス」と同じ。つまり、当時マツダが資本提携関係にあったフォードの「テルスター」、マツダのもうひとつのチャネルであるアンフィニ「MS-6」、そして2ドアクーペマツダ「MX-6」の姉妹車だ。当時のマツダはほんとたくさんのクルマを作ったものだ。
ユーノス500は、やはり、1.8リッターと2.0リッターのV型6気筒エンジンを搭載。ただし、ボディは専用設計と凝っていたし、全幅は5ナンバー枠に収まっていた。逆にいうと、おなじシャシーで、微妙にことなるニーズに対応しようとしていたのだ。
1994年にマイナーチェンジを受け、直列4気筒エンジンを搭載。いっぽうで、V6車には足まわりを硬め、アドバンの高性能タイヤを装着したスポーツグレードが設けられた。それでも1995年には生産中止。こちらも残念な終わり方だ。
(5)三菱・デボネア(3代目)
いまでも路上で見掛けると、異様なほどの存在感を持つのが初代「デボネア」だ。モデルチェンジを経るたびに、個性がなくなっていったのは残念。
1992年の3代目は、個性的なデザインとはいいにくい。ただし、ホイールベース2745mmと当時としては余裕あるサイズで、かつ、ボディは全幅1815mm。三菱グループの役員車としての合目的的な設計だ。
ボディが(当時のことばでいうと)”国際化”したのが、この3代目デボネアの特徴だ。このモデルは、三菱自動車が、韓国の現代(ヒュンダイ)自動車と共同開発した。
合理的な設計で、室内をなるべく広くするために前輪駆動方式が採用された。前後長が長めのルーフは、後席重視のパッケージとみてとれる。じっさい、一般用には新開発の3496ccV型6気筒が用意されるいっぽう、法人用(「エグゼクティブシリーズ」)には2972ccV型6気筒が搭載された。このエンジンにはLPG仕様もある。
三菱は2000年に「プラウディア」およびストレッチ版の「ディグニティ」を発売。これと並行して、デボネアは2001年に生産終了となってしまった。
文・小川フミオ