Tales of a Multiple Shinjuku

新宿奇譚─加藤シゲアキ著『チュベローズで待ってる』に寄せて

加藤シゲアキの新刊『チュベローズで待ってる』の主人公は新宿のホスト。週刊誌連載時の担当編集が、同書を通していくつもの新宿を幻視する。 By Fujita Photo: Shinsuke Kojima
新宿奇譚─『チュベローズで待ってる』に寄せて
2年半ぶりの新作は、上下巻の大長編。『チュベローズで待ってる』 各¥1,200(扶桑社)

いまから20年あまり前。新宿で呑んだぼくらはその足でネオン街を彷徨った。いくつかの店を冷やかし、慣れた様子で雑居ビルの急な階段をのぼる先輩につづいてくぐった背の低い扉の向こうはテレクラだった。受け付けを済ませたぼくはカビ臭い個室に押し込まれた。ほどなく電話がリンと高い音を立てて、縮こまっていた心臓は跳ね上がった。数回の着信音をスルーしたのち、勇を鼓して受話器をとるものの、ほとんどのコールで先を越され、ようやくつながってもろくに会話ができず1分かそこらでがちゃんと切られる。すっかり意気消沈して部屋を出ると、ちっぽけなロビーのソファで煙草をふかしていた先輩は「行くぞ」といった。なんと、30分後に落ち合う約束を取りつけたという。憧れの目でかれの横顔を盗み見たのはほんの一瞬、すぐ冷静になって、ホテルにシケ込むなんていい出したらぼくはひとり残されることになってしまう─終電もとっくに終わった深夜2時─不安と期待が入り混じった思いで目的の場所へ向かった。

最後の角を曲がった先輩は顔を正面に向けたまま、ひと呼吸おいて、囁くようにいった。

「逃げるぞ」

踵を返す先輩にはじかれるように脱兎のごとく走り出した。ちらりとみえた女性は倦んだ色気を垂れ流していて、一目でそれとわかる男となにやら話し込んでいた。ちょっとはやくつきすぎたようだった。あまりの緊張に笑いがとまらず、その日にかぎって踵の収まりの悪い靴を履いていたぼくは何度も転びそうになった。

あのころの新宿はピンクのネオンがよく似合い、そしてたしかにいかがわしかった。

巧妙にオブラートに包まれているだけかもしれないけれど、新宿という街が放つピンクの彩りはずいぶんと褪せた。いま思えば戦後の残滓を肌で感じることのできたおしまいの数年だったのかもしれない。

新宿、ホスト、殺人。小説の骨組みはいわゆるアウトローのそれなのに、かつてのぼくがほんの少しだけ味わった、粘りつくような熱量がいっかな立ち上ってこなかった。

『チュベローズで待ってる』は就活に失敗してホストの道に足を踏み入れた主人公、金平光太の物語で、2105年とその10年後の2025年という二部構成となっている。およそ体温らしきものが伝わらない登場人物は、”いま”という時代を切り取ったのだとすれば腑に落ちる。

著者の加藤シゲアキは執筆にあたりホストの取材を一切しなかったという。でありながら、ぐいぐいと引き込んでくるところからも加藤の筆力を感じざるを得ないのだが、それはともかく、ステレオタイプからの脱却を目指し、想像に任せたその試みはたしかに成功していた。1987年生まれの加藤が抑制の利いた筆致で 描き出した世界は戦後新宿のアクをきれいにすくい取ってしまった。

そう思って読み進めると、生気を感じさせない描写はまた別の効果を狙っていたかもしれないと気づく。物語の核心に迫る部分なのでさらりと触れるにとどめるが、キーワードは、ロールプレイングゲーム。ぼくらはプレイヤーなのか、それともプレイヤーに操られるキャラクターなのか。後者であれば─。

畳み掛けるように事実が明らかになっていく終盤は圧巻。エンディングを決めずに書きはじめた、というコメントを聞けばなおさらその思いは強くなる。ちりばめられた伏線を回収していく手並みも鮮やかだ。久しぶりにページを繰る手がとまらなかった。

藤田道夫が語る加藤シゲアキの舞台裏
「週刊誌は夜のイメージがあるんです。就活に失敗してサラリーマンになりたくてもなれない主人公を考えたとき、夜ならホストかな」と語る加藤シゲアキ。2年半ぶりの長編小説は、読み進みながら味わえる驚きと興奮のエンターテインメントだ。下巻からのストーリー展開は、「これぞ加藤シゲアキ」という深みのある表現もともなって小説家としての成長を感じられる作品に仕上がった。(イラストの人物は加藤シゲアキ)