Hubert de Givenchy, the Style Maker

ユベール・ド・ジバンシィの功績を振り返る

オードリー・ヘップバーンという永遠のアイコンを成立させた偉大なデザイナー、ユベール・ド・ジバンシィ。 文:日置千弓
1995年7月、最後のコレクションを発表したユベール・ド・ジバンシィ。写真:ロイターアフロ
1995年7月、最後のコレクションを発表したユベール・ド・ジバンシィ。写真:ロイター/アフロ

ジバンシィ」の創始者が3月10日、91歳でこの世を去った。今年の春夏コレクションから同ブランドのアーティスティック・ディレクターを勤める、クレア・ワイト・ケラーは、こんなふうにインスタグラムに投稿している。

「彼は、私が今までに会った中で最も魅力的な男性の一人でした」

すでに1995年のコレクションを最後に引退した彼に、ちゃんと挨拶をしに行ったのだろうか? それとも他の時に出会ったのだろうか? いずれにしても、クレアの作る初ジバンシィのメンズコレクション、すなわち今季の春夏ものは、そういえば、彼、ユベール・ド・ジバンシィの品のあるキャラクターに、どこか似ている。

貴族出身で長身でハンサム、パリのエレガンスと洗練の象徴と評されるデザイナーだった彼は、しかし、イメージよりも実はかなり大胆なデビューをしている。

白づくしの鮮烈デビュー

1951年、24歳で初めて、自らの名を冠したコレクション発表を決意した時、彼はどうにも予算が足りなかった。まず、布地を買う金すらない。

そこで彼は、真っ白のシャツ地と生成り色のスーチング、すなわち型紙がわりに服の見本を作るための生地のみで作品を作った。だから、コレクションの全ては白。しかも、豪華な装飾のドレスが当たり前だった当時発表したのは、袖を膨らませた白いシャツブラウスと、ひざ丈のスカートばかり。

ところが、それがあまりにも新鮮で若々しくてお洒落!と大評判になり、一気にスターダムにのし上がる。今でいえば最先端のカジュアル!だ。ちょうどここ2年、袖をアレンジした白シャツがウィメンズのトレンドだが、それらは「ジバンシィの再来」とでもいいたいようなデザインが多かった。たとえば、あのマルタン・マルジェラは、自分もスタッフも全て白衣で仕事をし、オフィスもショップも真っ白に塗っていたが、まったくタイプの違うジバンシィのことを、少しは意識していたかも、と思う。マルジェラは予算の問題もあって、古着を材料に服を作り始めたのだから。

オードリー・ヘップバーンのドレス

写真:Gamma/アフロ

そして『ティファニーで朝食を』で、あまりにも有名な黒のミニマムドレスも、ジバンシィのデザインだ。オードリー・ヘップバーンの映画衣装の多くは、彼がデザインしていたから、オードリーを永遠のアイコンたらしめたのは、ジバンシィの服、といっても過言ではない。

実は彼は、クリストバル・バレンシアガの熱烈な崇拝者で晩年の恋人でもあった。だから1955年に発表した「革命的なシルエット」のドレスは、バレンシアガの特徴によく似ていた。それは体から離れたオブジェのようなシルエットを描き、世間を驚かせた。

先日デムナ・ヴァザリアによるバレンシアガの2018年秋冬コレクションに登場した、腰が体から離れたラインを描く「3Dスーツ」(GQ記事参照)、その、遠い発展形、といってもいい。

また一人、20世紀の偉大なファッションデザイナーが、星になってしまった。