森ビル、「やせ我慢」こそ本物の街づくり
日本の超高層ビルの中で最もテナントの新陳代謝が激しいビルの1つ、六本木ヒルズ(東京・港)。早い場合は5年ももたずに脱落していくテナントもあるほどだが、決してその場所を動くことがない「テナント」が1つだけある。53階の森美術館だ。
今年4月までの予定で幕をあけたアルゼンチンの画家レアンドロ・エルリッヒの展覧会。人の目の錯覚を利用した現代アートは着眼点の面白さが話題を呼び、スタートから2カ月足らずで20万人が来場した。仕事帰りのビジネスマンが立ち寄れるよう閉館時間を夜10時に設定したこともあり現代アートとしては異例のにぎわいだ。
だが、ビジネスとしては疑問符が付く。美術館のある高層ビルの最上階といえば最も高い賃料がとれる「王座」。六本木ヒルズの新規募集賃料は平均で坪(3.3平方メートル)4万円前後、最上階ならさらに「10%程度は高い」(石沢卓志・みずほ証券上級研究員)。
にもかかわらず、あえて美術館を配置する森ビル。自社で運営する美術館には賃料が発生しないばかりか、美術品の借り受けや管理にコストがかさみ赤字になることもしばしばだ。六本木ヒルズの収益性を考えれば忌避(タブー)以外の何ものでもないが、指示したのは、六本木ヒルズを手掛けた森ビル中興の祖である森稔自身だ。
「空に住む」――。森稔はビルの高層化にこだわった。学生時代、フランスの建築家ル・コルビュジエに傾倒したこともあり、森稔は小規模宅地や商業施設などを束ね高層化することを提唱し続けた。
高層化すれば職場と住居を1つのビルにまとめられる。究極の「職住近接」で浮いた移動時間を余暇や高い質の文化活動に振り向けるのだ。
これこそ森稔が理想とする人の生き方。そして、理想の人の生き方をサポートしてこそ、デベロッパーは存在意義を持つ。
森稔は東大の学生時代、「不動産業は不労所得で成り立っているのでは」と悩み続けた。悩み抜いて出した結論だった。「文化という要素を取り入れた都市づくりを進めることで森ビルはデベロッパーの使命を果たす」
だから「やせ我慢」「非上場企業の道楽」と他のデベロッパーから批判されても、シンボルとなる美術館は六本木ヒルズの最上階になくてはならなかった。森美術館は森ビルの存在意義そのものなのだ。
その森稔も6年前にこの世を去った。じかに会って話を聞いた社員の数も次第に減りつつある。しかし、DNAは社長の辻慎吾(57)と社員が引き継ぎ、虎ノ門ヒルズプロジェクトで形になろうとしている。
「『どうやって金をもうけようか』なんて話には一度もならなかった」――。
都市開発本部の中嶋俊幸(34)はこう証言する。2014年4月、虎ノ門ヒルズと新橋エリアを結ぶ新虎通りの中間地点のナンバービルを建て替え、「新虎通りCORE」として再開発する時の話だ。
当時は虎ノ門ヒルズが完成する1カ月前。「『点』は間もなく立ち上がる。次は連なる『線』である新虎通りをどうつくっていくか」考える段階だった。容積率は最大1000%。「賃料相場はオフィスの場合で坪あたり3万~4万円。商業店舗に貸し出すならさらに高い」(オフィス仲介会社)。そのまま建て替えて、丸々貸し出せば収益は確実に上がった。
しかし、そうはならなかった。設計部門や管理、都市計画など部署から集まった10人のメンバーはかんかんがくがく。「新虎通りの沿線開発のモデルになる。いいかげんなものはつくれない」「新虎通りのコンセプトを埋め込もう」。夜通し話し、気がつけば外が白んでいたこともあった。
そして決まったのが1階部分の開放だった。上層階にはオフィスを入れるが、1階部分は通常、カフェにし、イベントがある場合は期間限定で貸し出すのだ。再開発の拠点は情報や文化の発信源となり、新虎通りのにぎわい創出の起点となる。
まさに六本木ヒルズの美術館と同じ発想だった。「ビルをつくるのではない。豊かな人の営みを演出する」――。森ビル流だった。=敬称略
(企業報道部 前野雅弥)
[日経産業新聞 2018年1月22日付]
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