大ヒット!『君たちはどう生きるか』漫画化が売れた理由とは?

1937年に出版された小説『君たちはどう生きるか』が、2017年8月に漫画化され、不況に喘ぐ出版界で約2カ月で43万部の大ヒットとなっている。

宮崎駿監督の新作タイトルが「君たちはどう生きるか」になることが発表されるなど、今最も注目される1冊だ。

佐渡島氏といえば、漫画『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』など、これまでにさまざまな漫画を大ヒットさせている名物編集者だ。その佐渡島氏をして、「編集者人生初めて」と言わせる大ヒットとなったこの作品の魅力とは何か。

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テレビでも数多く取り上げられ書店でも在庫切れが続く。

提供:紀伊國屋書店新宿本店

原作の著者は後の雑誌「世界」初代編集長・吉野源三郎。主人公の男子中学生“コペル君”と叔父さんのやりとりを通し、「人はいかに生きるべきか」を説いた物語で、宮崎駿さんや池上彰さんも愛読書という名著だ。

若い社員の「すごくいい本ですよね」から始まった

今回出版から80年経ったこの作品の漫画化を思いついたのは、マガジンハウスの鉄尾周一執行役員(58)だ。鉄尾さんはananの元編集長として巻末の林真理子さんのエッセイにも度々登場した、こちらも出版界では名物編集者として知られる。

鉄尾さん自身、『君たちはどう生きるか』は親から手渡され、20歳ぐらいの時から読んでいた愛読書だった。

「5年ほど前、会社の若い編集者たちがこの本のことを話題にしていたんです。『すごくいい本ですよね』って。そうか、若い世代にも愛されるのか、と思ったのが、一つのきっかけでした」

どうすれば、この良書を今の若い世代に読んでもらえるだろうか。

企画レジュメ1

2015年に企画はスタートした。

提供:鉄尾周一

岩波文庫の原作も良い本だが、今の若い人たちに読んでもらうにはハードルが高い。ちょうどその頃、名著や古典を漫画化する手法が広がり始めていた。

「読者層を広げるために漫画化は『アリ』じゃないか」

漫画化することで、より若い人にも読んでもらえれば。それが企画の始まりだった。

名著と若者の間に橋を架けたかった

託されたのは、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』や『嫌われる勇気』などのベストセラーの編集者で知られる柿内芳文さん(38)だ。

「鉄尾さんから漫画を作ってほしいと話を持ちかけられたとき、真っ先に思ったのは、日本を代表するこの名著とこれからを生きる今の若い世代との間には大きな川が流れていて、その断絶した両者の間に橋を架けることには、大きな価値があるのではないかということでした。絶対にやるべきだ、と」

企画レジュメ2

若手漫画家の羽賀さんには大きな挑戦となった。

提供:鉄尾周一

問題は誰が漫画を描くかだったが、皆が適任だと思い浮かべたのは、羽賀翔一さんという新進気鋭の漫画家の顔。

「羽賀さんに漫画化を提案する前に、羽賀さんが描くコペル君の顔がありありと浮かんで動き出したんです。それくらい、羽賀さんの作風とこの作品は相性が合っていました」

羽賀さんは、10年間講談社で漫画編集の仕事をした佐渡島さんが新人の中で最も才能を感じたという漫画家だ。2010年、大学ノートに描いた『インチキ君』で第27回MANGA OPEN奨励賞を受賞し、就職をやめて漫画家の道に進んだ。

柿内さんが羽賀さんに企画の話をすると、彼はこう応じたという。

「こんなチャンスはない。漫画家として、この名著に挑戦してみたい」

ファンの多い作品を漫画化して失敗したら大バッシングを受ける。若手の漫画家としては大きなチャレンジだった。

当時の世界観を大事にした

『君たちはどう生きるか』の核になるのは、叔父さんからコペル君への手紙の部分だ。ネーム(えんぴつで描く漫画の下書き)の時点で柿内さんは、原作通り、手紙とストーリー部分を完全に分けようと考えた。手紙部分も全て漫画にすることは可能だったが、そうするととても1冊には収まらない。漫画化する部分のボリュームが膨らむからだ。漫画版はシリーズではなく一巻完結にして、手に取りやすくしなければ、漫画化する意味もなくなる。

あとは、ストーリーの中で一番感情に訴えかけるシーンを、あえて漫画の冒頭に出すことで、立ち読みする読者の興味を惹きつけたり、叔父さんとコペル君ふたりの関係性を「バディ」的なものに変えたりするなど、視覚に訴える漫画ならではの手法を、羽賀さんと相談しながら次々と取り入れていった。

完成は、当初の予定より1年ほど遅れた。

企画レジュメ3

吉野源太郎さんとも話しながら内容を決めていった。

提供:鉄尾周一

羽賀さんはこの作品の漫画を描き始めた当時29歳。当然原作の時代を知らない。

80年前の当時の様子や世界観をつかむために、作者である吉野源三郎の息子の吉野源太郎さんに何度も話を聞きに行った。また、作品の舞台になり、戦前の家がいまだ点在する湯島にわざわざ引っ越して、時代の空気を忠実に再現できるよう下調べに時間を費やした。

読者は「ホンモノ」を欲している

それにしても、なぜここまで売れたのだろうか。柿内さんはこう話す。

「原作のパワーがとてつもなく大きいということです。僕もそうですが、何人もの著名人の方がこの本を人生の指針にしている。人の生き方を変えるくらいの力を持っている、本当に素晴らしい一冊です。それが初めて漫画化されたことで手に取りやすくなり、潜在的に読みたいと思っていた人に届いたのはもちろんこと、原作を愛する人たちが再び手に取り、自分の子どもや周りの人に勧めてくれたことがなにより大きいと思っています」

「○○の時代だから売れたんだとか、後づけで売れた理由を説明することは無意味です。ホンモノだから売れたんです。原作も漫画版も、80年前でも売れたし、今でもどの時代でも売れます。みんなただ、普遍的で本質的なものが読みたいだけです

柿内さんがこの本を個人的に面白いと思った点は、大人になると経済学と社会学を学ばなければならないということを、80年前にすでに指摘している点だった。

経済学の語源は、ギリシャ語の「オイコノミア」で、じつは、人々はどうすれば幸せになれるかということを追求する学問。社会学はその名の通り、「社会」とはいったい何で、なぜそれが成り立つかを考える学問。人間は他の動物と違って、社会や共同体をつくることで生き延びることを選んだ生き物で、人間という言葉は「人と人の間」と書く。

柿内さん

担当編集者の柿内芳文さん。過去に『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』や『嫌われる勇気』など数多くの大ヒット作を編集している。

「つまり、人間は社会的な存在であることから逃れることはできないわけです

作中に出てくるキーワード『人間分子の関係、網目の法則』も同様で、人間は生まれた時から社会的な存在であることが指摘されている。だからこそ、たったひとりだったら生じない、いろんなトラブルや人間関係などの悩みが出てくるが、本当にそれらは避けるべき問題なのか?

人間が社会的な存在である実感がなければ、それらは単なる忌避すべきことで、ただ嫌なことで終わってしまいますが、実はそうではないということが、この本では述べられています。

実際に読んでいただければ分かると思いますが、ものすごい希望と深い人間理解が、この本にはあふれているんです

例えば、本の文中にこんな一節がある。

「王位を失った国王でなかったら、誰が、王位にいないことを悲しむものがあろう」

正しい道義に従って行動する能力を備えたものでなければ、自分の過ちを思って、つらい涙を流しはしないのだ。

柿内さんは、ベストセラー『嫌われる勇気』で言われていることと全く一緒だという。

「心理学者であり哲学者であるアドラーが言っている『共同体感覚』と、この本に出てくる『人間分子の関係、網目の法則』は、全く同じことを言っています。あなたもわたしも、世界の中心にはいない。世界の一部にすぎない。だからこそ、その立場で自分がいる社会にどう貢献するか、どう生きるかが問われているし、それが自らの幸福感にも関わってくる、と

アドラーも100年前の学者。同時代を生きた2人が同じようなことを全く違うアプローチで言っていると感じたという。

何度でも失敗していいことを伝えたい

柿内さんも鉄尾さんも、この本は若い世代にこそ読んでほしいと言う。

鉄尾さん

企画を考えたマガジンハウスの鉄尾周一さん。anan編集長、書籍編集局局長等を経て今は執行役員

「SNSなど技術の進化によって、人間同士の距離がどんどん近くなり、まさに『君たちはどう生きるか』のメッセージがより大事になっていると感じています。 コペル君のような世界観をみんなが持ち得たら、『つながり』というものが、もっとポジティブに見えてくると思うんですね。

『自分が社会的な存在である』ということは、漫画を読んだ瞬間にわかる感覚ではないかもしれない。知識ではわかっても、実感まではできない。けれども、そういう感覚があるということを深く知った上で人生を過ごしていると、いつかは深くキャッチできるようになると思うんですよ。

良い本は、読むタイミングや心境によって、変化していきます。一字一句同じ本でも、たとえば10代に読むのと30代に読むのとでは、全く異なる印象を受けます。余白と対話性がある。それが豊かな読者体験だし、ホンモノのメッセージというのは即効性のあるものではなく、読むタイミングや心境によっても変質していくのだと思います」(柿内さん)

「『君たちはどう生きるか』では、コペル君が過ちを犯してしまいますが、それ自体は悪いことじゃなくて、そこから学ぶことが重要。それをコペル君から学んでほしいと思っています。最後の叔父さんの手紙は、僕が一番好きなページです」(鉄尾さん)

(文・写真:室橋祐貴)

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