お笑いの総合商社といわれる吉本興業が、スポーツビジネスに本腰を入れ始めた。トヨタ自動車のスポーツ部門を包括支援するほか、米大リーグで活躍する青木宣親など70人近い著名選手のマネジメントをしている。テレビで吉本の芸人を見ない日はないほど、お笑いビジネスは好調だが、今の隆盛が続く保障はない。子供を対象にしたスポーツイベント、引退後の選手のセカンドキャリア支援、地元出身選手による地域活性化など、手掛ける領域は広い。イベントではスポーツ選手とお笑い芸人が肩を並べて盛り上げるなど、吉本ならではの強みを発揮している。

イベントではスポーツ選手と芸人が共演し、盛り上げる。石井一久(右)とペナルティの中川秀樹
イベントではスポーツ選手と芸人が共演し、盛り上げる。石井一久(右)とペナルティの中川秀樹

 米大リーグで活躍する青木宣親が9月、ニューヨーク・メッツへ電撃移籍し、日本の野球ファンにも衝撃を与えた。7月11日、当時はヒューストン・アストロズに在籍していた青木は、日本選手として7人目となる日米通算2000安打を達成した。スタンドで喜びを爆発させる佐知夫人と2人の子供に、影のように寄り添う2人の男がいた。よしもとエンタテインメントUSAの高橋昭と日本の吉本本社から駆けつけた大田誠だ。高橋と大田の仕事は、青木の米国でのあらゆる活動をサポートすること。大田は2000本まで残り3本になった時点で渡米、それから1週間、記念すべき瞬間を青木の家族とともに迎えた。青木は「吉本の駐在スタッフが住居や子供の学校探し、遠征中の家族のサポートまでしてくれる。野球に集中できる環境を作ってくれるので助かる」と語る。

米有力エージェントと太いパイプ

幅広いスポーツで吉本の存在感が増す
幅広いスポーツで吉本の存在感が増す
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 吉本の手によって海を渡った野球選手は多い。現役大リーガーでは青木のほか田沢純一、OBでは石井一久、斎藤隆、黒田博樹のほか、日本でプレーを続ける福留孝介もそうだ。吉本が米国移籍に強いのは、現地の有力エージェントであるクリエイティブ・アーティスツ・エージェンシー(CAA)との間に太いパイプがあるからだ。米大リーグへの移籍は、どこのエージェントに交渉を頼むかが重要なポイントになる。

 年俸だけでなく、通訳、日本との往来など多くの条件面で選手に有利な契約を勝ち取れるかどうか、エージェント次第だ。吉本が提携するCAAは、米国トップエージェントのひとつだ。CAAの野球担当ネズ・バレロ氏は、「吉本とは10年に渡り信頼関係を築いてきた。今後も野球はもちろん、他のスポーツでも協業できるだろう」と語る。

 吉本による米移籍の草分け的存在の石井は、「吉本は事務的な手続きや生活面の支援だけでなく、石井一久というブランドが、どうすれば米国で最も輝くか、常に考えてくれた」と振り返る。石井は引退後、吉本の契約社員となった。野球解説者としてテレビなどで活躍している。吉本は現役選手でも岸孝之(楽天)、涌井秀章(ロッテ)といった有力選手のマネジメントをしている。吉本と野球とのつながりは、元ヤクルト投手の小坂勝仁が吉本副社長の岡本昭彦と親交があり、スポーツ部門の新設時に協力したことがきっかけだ。以来、15年になる。

バスケの外国人選手を獲得

アルバルクの試合は吉本が演出を担当、会場を盛り上げた
アルバルクの試合は吉本が演出を担当、会場を盛り上げた

 昨年始まった日本のプロバスケットボールBリーグ。初代王者の座をかけたチャンピオンシップ準決勝で、トヨタを母体とするアルバルク東京は惜しくも敗れたが、会場でひときわ注目を集めたのが、アルバルクの中心選手、ディアンテ・ギャレットだ。米NBA選手だったギャレットを日本につれてきたのは、吉本だ。

 アルバルクのBリーグ加盟にあたり、吉本は2015年12月から16年10月まで、チーム強化のためのコンサルタント業務を担当した。チームロゴ、ユニフォーム、マスコットの刷新、試合会場の演出などを手掛けたが、中核業務は有力外国人選手の獲得だった。吉本は米国の有力エージェント、ワッサーマン・メディア・グループと太いパイプがあり、ギャレット獲得もこのルートが生きた。

 米NBAなどから外国人選手を獲得する場合、これまでの常識なら、得点に絡むパワー・フォワードというポジションか、ゴールに最も近いセンターと呼ばれるポジションの選手が対象だった。吉本はチームの要望も踏まえて、日本で人気が出る選手の条件は、スピード感あるプレーと考え、ポイントガードという司令塔のポジションのギャレットに白羽の矢を立てた。もくろみは当たり、Bリーグが開幕すると、ギャレットの高速ドリブルや、切れ味鋭いパスに、日本のファンはくぎ付けになった。SNS上で「ギャレットやばい!」といった書き込みが殺到し、オールスター戦のファン投票で1位になるほど、たちまち人気選手となった。

 吉本のスポーツ事業センター長の星久幸は「海外から有力選手を獲得する場合、足元を見られて日本側に不利な契約を飲まされることが多かった。日本でも力のあるエージェントが育てば、こうした過去の悪習はなくなる。吉本がその先兵になる」と意欲を見せる。ギャレットの獲得では、条件交渉や法的な手続きまで、すべて吉本が担当し、チームと選手、双方が納得できる契約を結んだ。

アイスホッケーはチームごとマネジメント

 吉本が進めるスポーツビジネスの中心となるアスリートの支援ビジネスは大きく2つに分かれる。マネジメント業務とエージェント業務だ。前者はメディアへの露出、イベント活動、肖像権ビジネスなどを手掛ける。いわば選手の活動支援全般だ。スポンサー探しや日々の活動のサポートもある。6000人の芸人を抱え、日々マネジメントを手掛ける吉本にとって、そのノウハウはスポーツでも応用できる。同じような発想から、芸能プロダクションのアミューズやホリプロなども、スポーツ選手のマネジメント業務に進出している。

 一方、もうひとつのエージェント業務は、日本でまだ浸透していない。この分野に詳しい弁護士の水戸重之は「CAA、オクタゴン・ワールドワイドなど米国の有力なスポーツビジネスの担い手は、この2つの分野を一体で手掛けている。吉本は野球とバスケでは有力エージェントとのパイプがあり、徐々に実績をあげているが、例えばサッカーなどはこれから」と指摘する。

 日本におけるサッカーのエージェント業務では、ジャパン・スポーツ・プロモーションが先行している。今後、海外に移籍しそうな有力なJリーガーは、すでに囲い込まれている。そこで吉本は、まだエージェントがついていない若い選手に照準を合わせている。その代表格がガンバ大阪の初瀬亮だ。20歳と若いが、今年8月の20歳以下ワールドカップのメンバーで、いずれはフル代表入りと言われる逸材だ。吉本は初瀬のような3~5年後に海外移籍するような有望な若手選手とエージェント契約を進める方針だ。選手発掘のため、大学サッカーの強豪、びわこ成蹊スポーツ大、流通経済大のスポンサーになっているほか、有力指導者とのパイプ作りにも積極的だ。

 野球、バスケ、サッカー以外でも、表のようにゴルフ、陸上、体操、競泳などの著名選手が吉本とマネジメントやエージェントの契約をしている。スポンサー獲得、メディアへの出演、イベントへの参加など選手たちの価値を少しでも高めることが目的だ。

 チームを丸ごとマネジメントする例もある。アイスホッケーの栃木日光アイスバックスだ。シニアディレクターを務めるセルジオ越後の要請を受けて、チーム全体のマネジメントを担当している。セルジオ越後は日本でスポーツビジネスが広がらないのは、企業活動の域を出ないからと指摘する。プロ野球も都市対抗野球も企業の広報活動という点で大きな差はなく、ビジネスとして育てるなら独立性、地域性が不可欠とみている。セルジオ越後は「人を集めて,楽しませて、つなぐ。ここにビジネスが生まれる。吉本はお笑いでこれを実現している。スポーツでも同じことができる」と考え、吉本に秋波を送った

セカンドキャリア支援も

吉本に所属する岡崎朋美と元Jリーガー永島昭浩
吉本に所属する岡崎朋美と元Jリーガー永島昭浩

 吉本のスポーツビジネスにおける柱の1つが、選手引退後のセカンドキャリア支援だ。有名選手でも現役引退後は仕事が減り、収入が激減することが多い。監督、コーチなど指導者として第2の人生をスタートできれば幸福だが、現実は狭き門だ。慣れない飲食業に手を出して失敗する例も後を絶たない。「スポーツ選手は引退後の人生の方がはるかに長いのに、それを支援する体制がない。吉本がその役割を担いたい」(吉本興業社長の大崎洋)。

 日米のプロ野球で活躍した斎藤隆は今、米サンディエゴ・パドレスでGM修行中だ。現役を引退した時、吉本は斎藤に「セカンドキャリアを全面支援する。何をやってもかまわない」と伝えた。コーチや監督など指導者の道、評論家などマスコミ関係、野球以外のビジネスなど様々な選択肢がある中、斎藤が選んだのがGM,すなわち球団経営者という道だった。斎藤は「僕の選択が、若い選手にとって1つの将来の道になれば嬉しい」と語る。 スピードスケート長野五輪銅メダルの岡崎朋美も、セカンドキャリアを充実させるため、吉本と契約した。岡崎は引退後、富士急行で次長職にあったが、子育ても一段落したタイミングで、「スケートの枠を超えて、いろいろなことをやってみたくなった」。講演活動やメディア出演のほか、岡崎が力を入れるのが、子供向けのスポーツイベント活動だ。

 吉本は子供を対象にした様々なスポーツイベントを手掛けている。こうしたイベントに現役選手とともに、元選手も送り込む。2016年から始めた「ふれあい運動会」は沖縄から北海道まですでに10回近く開いている。岡崎のほか、著名な元選手が子供たちと綱引き、玉入れ、リレーなどを通じて交流する。子供はアスリートの運動能力の高さを目の当たりにし、スポーツへの憧れを強めていく。日本陸上競技連盟と進めている「笑って!走って!全国横断かけっこツアー」、全国の小学校で体育の課外授業する「よしスポ学園」なども開催している。こうした子供向けスポーツイベントには、必ず吉本のお笑い芸人も参加する。司会進行や競技にお笑い芸人が絡むことで、場の雰囲気が盛り上がり、子供たちも楽しめる。スポーツ選手とお笑い芸人がコラボできるのも、吉本ならではの強みだ。

 もう1つ、選手のセカンドキャリア支援で、吉本が進めているのが「ふるさとアスリート(FA)」制度だ。全国的には無名でも、その地方に行けば超有名な元選手は多い。こうした人材130人ほどがFAメンバーとして吉本に登録し、地域のイベントなどに参加して盛り上げている。

沖縄には「アカデミー」構想

 スポーツの楽しさをシニアや障害者を含めて社会に広めることにも力を入れている。吉本は昨年11月、神戸トヨペットと提携し、「パラスポーツフェスタ」を開催した。トヨタ陸上部のパラリンピックメダリストや車椅子バスケット、ブラインドサッカー選手が参加し、子供たちがパラスポートを体験した。こうしたスポーツイベントに協賛する企業はまだイオンモール、神戸トヨペットなど少なく、単独のイベントとしては採算が取れないこともある。「協賛企業を徐々に増やし、将来はビジネスとしても成り立つように育てたい」(スポーツ事業センター長の星)。

 今、吉本社内でスポーツビジネスに関する大きなプロジェクトが進行中だ。それが「沖縄スポーツアカデミー」構想だ。米CAAと組んで世界から有能な指導者を招き、沖縄にスポーツアカデミーを設立する。選手育成はもちろん、指導者養成、トレーナーなどのスタッフ育成、スポーツビジネスに関わる人材育成などを目指す。沖縄は冬でも屋外スポーツに支障がないほど温暖で、野球、サッカーなどプロスポーツのキャンプ地になっている。県民の気質風土もスポーツ好きだ。

 東京ドーム43個分、500エーカーの敷地に天然芝の野球場4面、サッカー場16面、テニスコート55面、ゴルフ場、ラクロスコート、バスケットボールコート、400メートル陸上トラック、室内練習場などを完備する壮大な計画だ。2018年春に着工予定で、学校施設、合宿所のほか、県民が自由に使える運動施設、リハビリ施設も備える。国際的なスポーツ大会やキャンプの誘致にもつなげる。大崎は「沖縄の豊かな自然、温暖な気候は観光資源であり、スポーツ資源でもある。吉本の手で沖縄をスポーツツーリズムの中心地にしたい」と夢を語る。

 吉本は今年、創業から105年になる。100周年の時、社長の大崎は「次の100年後も吉本が輝いているためどうすればいいか。それを考えるのが僕の仕事」と語っていた。その解の1つがスポーツビジネスだ。米国のスポーツビジネスは市場規模が70兆円と言われ、自動車産業を超えたとの指摘もある、一方で日本の市場規模はまだ5兆円程度と発展途上だ。吉本という意外な担い手が本格的に働き出すことで、日本のスポーツビジネスの将来への期待が高まってきた。

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