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ユヴァル・ノア・ハラリPhoto by Visual China Group via Getty Images/Visual China Group via Getty Images

ユヴァル・ノア・ハラリ
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ニューヨーク・タイムズ・マガジン(米国)

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Text by David Marchese

「皆が同じ物語を信じることができれば、規範に従って大規模な範囲で協力し合うことができる」と、物語の重要性を説いてきたユヴァル・ノア・ハラリ。だが、彼は多くの人が気候変動の「物語」を信じているにもかかわらず、遅々として世界規模の対策が進まない理由に“敵”の不在を挙げる。

イスラエル人歴史学者で哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ(45)は、2015年にアメリカで出版した著書『サピエンス全史』がベストセラーになったことで知識人のトップに躍り出た。そしてそれに続く『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』『21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考』で、その地位をゆるぎないものにした。

ハラリの思考の軸になっているのは、「虚構」を信じる素質が私たちにはあって、それが人間社会の大半を動かしている、という考え方だ。この虚構の力は、たとえば神や国家といった、人類共通の想像力における存在に由来し、それを信じることで、私たちは社会規模で協力し合うことができる。

共著で『漫画 サピエンス全史 文明の正体編』を出したばかりのハラリはこう話す。

「よくある誤解は、私のことを最後の審判の預言者だとするものと、その正反対で、超楽観主義者だとするものに分かれていることです」

むろん、どちらも当たらざるとも遠からずなのかもしれない。

「ひとたび本が世に出れば、その内容も自分の管轄外になってしまうのです」

平凡なことほど社会でウケる


──人類に関する大がかりな概念、たとえば虚構や政治的権力を伴う社会構築物、そしてホモ・サピエンスはテクノロジーが主導して退化するかもしれないという考え方が広まったのはあなたの著書の影響が大きくあります。

けれど実は、以前からこうした概念はさまざまな形で世の中に存在していました。どうしてあなたは、これほど人を惹きつける伝え方ができるのでしょうか。


一つの仮定は、私が歴史学という学問領域の人間でありながら、この手の大がかりな推論を試みたものの多くは、生物学と進化論、あるいは経済学と社会科学の分野のものだったということです。

ここ数十年、人文学の分野は諦めてしまったというか、大きな物語を作ろうとすることがほとんどタブーとなっていました。しかし、人文学の視座は非常に重要です。何千年ものあいだ、人間を悩ませてきた哲学的な問いの多くは、今や実質問題となりつつあります。

以前、哲学は一種の贅沢品でした。哲学はやってもやらなくていいものだった。ところが今はそうではない。たとえば、新しいバイオテクノロジーをどう扱うかを決めるために「人間とは」とか「善の本質とは」といった哲学的な難問に答えなくてはならないのです。

ですから、私が歴史と哲学の分野の人間であって生物学や経済学の分野の人ではないというのが、広く受け入れられた理由かもしれません。

また、私の中心的な思想がシンプルであることも一つの理由でしょう。虚構の物語が何より大事、すなわち世界を理解するためには、ストーリーを深刻に受け止めることが必要なのです。あなたが信じているストーリーが、あなたが生み出す社会を形作るのです。

──人類について幅広く適応できる結論を導き出そうとするとき、それが平凡かどうかを判断するのは難しいのでしょうか。

私が悟ったのは、平凡なら平凡なほど人に感銘を与えるということです。

──それが秘訣なのですか?

虚構のストーリーのあれこれは、私が歴史学専攻の学部生になった最初の年に学んだもっとも基礎的事項の一つです。これは誰もが知っている、このうえなく平凡な事柄だと思っていました。

ところが、実は多くの人にとって、こうした社会構築物や間主観的現実というものがあるというのは、大きな発見なのだとわかったのです。この世で一番平凡なことだと私は思っていたのですけどね。

──この世で一番平凡なことだとあなたが思っていたものが、結果的にこれほど熱狂的に受け入れられたのですから、斜に構えたくなりませんか。

いいえ。科学界の大半と世間の大半とのあいだのコミュニケーションに問題があるというだけです。長年、科学界や学術界ではよく知られていて、真実とみなされてきた事柄なのに、世間の人々が知ったらビッグニュースになる、ということはありました。それと同じことです。

すべては「2%」次第


──科学界がしっかりと発信している分野の一つが、気候変動です。科学者とそのほか多くの人たちが気候変動について語っているのは、とてつもなく切迫したストーリーです。それなのに、なぜ国際政治の場では、大惨事の到来と等しい問題として取り組む意志がいまだに足りないのでしょうか。

キャッチーなストーリーを作るには、人類の敵を用意することが大事です。けれど、気候変動となると、それがない。私たちの精神は、そうした類(たぐい)のストーリーにはなじめなかったのです。

狩猟採集民に進化した頃、私たち人間が何らかの形で自分たちにとって悪いように気候を変動させたということはなかったのですから、私たちの興味を惹くようなストーリーではないのです。部族の誰かが自分を殺そうとしているというストーリーなら興味はあったのですけどね。

ですから、気候変動は物語として問題があります。しかし、良いニュースもあります。遅すぎて、あるいは難しすぎて克服できないわけではない、ということです。
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