I love my Kicks Series 3: Shinobu Hasegawa

スニーカー芸人数珠つなぎ連載 第3回 シソンヌ・長谷川忍

芸人さんにお気に入りのスニーカーを紹介してもらいながら、ファッションへの愛を語っていただく数珠つなぎ連載! 第3回は、シソンヌ・長谷川忍の巻。
スニーカー芸人数珠つなぎ連載 第3回 シソンヌ・長谷川忍

“地にスニーカーをつける”芸人

2月のある日、明治座での舞台とライブの稽古の合間をぬって、シソンヌ・長谷川忍の取材が実現した。東京はひさしぶりの快晴で、あまりの気持ちよさに、待ち合わせ時間早々外での撮影を敢行。185センチの長身をもつ長谷川が、近くにあった神社の鳥居の前で仁王立ちすると、手に持ったブルーのスニーカーのインパクトもあいまってかなりの迫力だ。

2006年4月、シソンヌは長谷川とじろうのコンビとして結成された。2014年の「キングオブコント」で第7代目の王者になったのち、コントで培われた高い演技力も定評となり、現在ではバラエティにもドラマにも引っ張りだこだ。

その一方で、かれらは2016年から47都道府県をまわる全国ツアー「シソンヌライブ[モノクロ]」を開始。2019年の3月だけでも、千葉、兵庫、茨城、東京、福島と、7回ものライブを予定している。この企画には、テレビやインターネットの世界だけでなく、“生のお笑い”を全国に届けたいという願いが込められているそう。

お笑いへの堅実な態度とスニーカーへの愛。そこにはどんな関係が隠されているのか?

ファッションのブレーンは母親!?

──長谷川さんがファッションに目覚めたきっかけはなんだったんでしょうか。

長谷川:興味をもったのは小学校4〜5年生くらいだったと思うんですが、そのころは主に母親からの影響が強かったですね。

──お母さまがオシャレだったんですか?

長谷川:いやいや。実家は静岡の寿司屋ですし、いま考えるとただの“西洋かぶれ”だったと思うんですよ。オードリー・ヘップバーンが好きで、海外のドラマも好きで、その時代に朝食にオートミールを出してくるような人でしたね(笑)。じつは、スニーカーを最初に買い与えてくれたのも母親だったんです。

──それはいつごろのお話でしょうか。

長谷川:ミズノの「ランバード」(註1)が小学生の主流だったとき──いまで言う「瞬足」みたいなブームがあったときに、ウチの母親がナイキの白いランニングシューズを買ってきたんです。そのころ、小学生のあいだにナイキなんて一切浸透してないですから、それを学校に履いていったら「なんだその“ニケ”って!」ってからかわれたりして。母親には「なんなんだよ! 俺はランバードが欲しいんだよ!」ってキレてましたけど、結果、「当時のあいつ、いろいろ早かったな…」なんて言われたんですよね。ブレーンはすべて母親でした(笑)。

裏原宿の“よき”想い出

──当時読んでいた雑誌は?

長谷川:最初に母親が紹介してくれた雑誌が『メンズノンノ』で、ブランドとしてはアニエス・ベー、アーペーセー、ポール・スミスの全盛期でしたね。そこから自分でファッションに興味を持ち出したころには、ヒップホップの影響が強かった。『メンズノンノ』系は、当時から身体がデカかった自分にはしっくりきていなかったから。

──最初にヒップホップに興味を持ち出したのはいつごろですか?

長谷川:1994年、僕が中学生のころなんですが、スチャダラパーと小沢健二さんの「今夜はブギー・バック」が大ヒットして、こういう音楽があるんだ、面白いなと思ったのが最初の記憶ですね。高校に入ってからDJをやり始めて、海外の音楽もどんどん聴くようになりました。雑誌は『Boon』を手に取るようになって、服装もきれいめからストリートファッションの方向にシフトしていくんです。ヒップホップと同時にスケートカルチャーにもハマったし、“ギャング系“(註2)の格好もしましたね。

僕が高校生のころは、ちょうど裏原宿が盛り上がりつつある時期でもあって、実家のある静岡から東京へはよく買い物に行ってたんです。そのころ、某人気ショップの店員にすごく嫌な態度をとられたり、キレられたりっていう洗礼は見事に受けました(笑)。昔は雑誌しか情報源がないわけですから、田舎者だし、それを見て電話で問い合わせたりもするじゃないですか。「てめえいつの雑誌見てんだよ?」「いついつのです」「てめえ3カ月も前の雑誌見て電話してきてんじゃねえよ!」ってガチャンと電話を切られる。当時はすごくドキドキして辛かったですけど、思い出せば面白い時代ですよね。ただ、僕に暴言を吐いた奴らは、いま誰も成功してないと思います(笑)。

──ファッションからスニーカーへ意識が向いたのはいつごろでしょうか。

長谷川:いちばん大きかったのは、やっぱり「エアマックス95」をきっかけにしたスニーカーブームですね。僕、静岡にいながらエアマックスを持ってたんですよ(笑)。2番人気の赤色でしたけど、なぜか定価で買えたんです。僕は当時からスニーカーは必ず「履く」タイプなので、“エアマックス狩り”にも屈せず履いてましたね。最終的には盗まれたのか、売ったのか……当時、「アイリッシュセッター」(註3)というレッドウィングのブーツが流行っていて、それとトレードしたような気もします。

そのあたりから、スニーカーがファッションのなかで重要なアイテムになっていくという動きを肌で感じてましたね。

わたしの1足

──ではここで、長谷川さんの「わたしの1足」を教えてください。

■NIKE AIR JORDAN 4 RETRO TRAVIS SCOTT 
[University Blue/Varsity Red-Black]

長谷川:スニーカー好きといっても、僕は数を持っているわけではなくて、欲しいと思ったものを狙いにいくタイプなんです。特に、好きなラッパーとのコラボモデルは絶対に欲しい! いまはカニエ・ウエスト(註4)、トラヴィス・スコット(註5)、エイサップ・ロッキー(註6)は常にチェックしていて、この3人が関わるものはほとんど手に入れてますね。

これはナイキとトラヴィス・スコットとの1発目のコラボで、基本は「エアジョーダン4」なんですけど、ところどころベースからトラヴィス仕様になっていて。シュータンにトラヴィスの名前、ヒールの内側とアッパーに「カクタス・ジャック」っていうトラヴィスの運営レーベルのロゴが入ってたり。そもそも、それまでナイキはこういう形のコラボをしたことがなかったと思うんですよ。カニエがナイキから離れたきっかけっていうのが、「エア イージー」の制作過程で、ナイキはソールをぜんぶ、ほかの型の流用で済ませようとしたんですよね。それにカニエが怒ってナイキとのコラボを辞めたという噂があるくらい。それを経て、ナイキも新しいことをやっていこうと思ったんじゃないかなと踏んでいます。

──これはどうやって手に入れたんですか?

長谷川:抽選では外れたので、「ストックエックス(stockX)」という海外のサイトで値段交渉して買いました。スニーカーを持っている人が新品を載せているんですけど、こちらは購入希望価格とその提示期間を記入して、その条件に合った持ち主が売ってくれるというシステムです。僕は基本、プレ値で買うことはないんですけど、ラッパーのモデルはできるだけぜんぶ買いたい。定価よりはちょっとしましたけど、そこまで高くなかったですよ。

──トラヴィスとエイサップはまだ若いですけど、ファッションにもすごく影響力を持ってますよね。

長谷川:そう、年下のマネするのは正直恥ずかしいんですけど、やっぱり彼らは着こなしがカッコいい。昔のラッパーとちがって体型もシュッとしてるんですよね。「なんだお前ら、細いパンツ穿きやがって!」なんて思ってたんですけど、彼らがリック・オウエンスを穿こうものなら、僕も昔のを引っ張り出して穿いてみる(笑)。ニュージェネレーションからもらえる、新しい情報をどんどん取り入れていくのがいまは面白いですね。

そして、わたしのもう1足

■adidas Originals by KANYE WEST YEEZY BOOST 350 V2 “STATIC”

長谷川:ニュージェネレーションもいいんですけど、昔から音楽を聴いていて、ずっと好きなのはカニエ・ウエストなんです。キム・カーダシアンと結婚する前くらいの彼がいちばん好きでしたけどね(笑)。カニエは美大に通っていたこともあるからか、アートワークのセンスがいつもいい。それがスニーカーにも表れているから好きなんです。

これは「350 V2」と呼ばれるローカットタイプのヴァージョン2なんですが、ファーストカラー、セカンド、サード、フォースまでは持ってます。『アメトーーク!』の「スニーカー芸人」回でも紹介した、「750」のグレースウェードもお気に入りですね。

──「イージーブースト」もとても人気があると思いますが、日本で買えたのでしょうか。

長谷川:これは運良くハワイのフットロッカーで見つけたんですよ。でもふだん、こういった人気コラボのスニーカーを手に入れるときには「スニーカー同好会」(註7)の人たちが協力してくれるんです。「長谷川はカニエが好きだもんな」って、同好会の方々が抽選にエントリーしてくれて、僕が外れたとしても当たった人が譲ってくれたりするんです。

「スニーカー同好会」はLINEを駆使してるんですけど、「このモデル、いつ発売ですか?」って訊いたら、秒で情報が戻ってきたり(笑)。同好会にはヴィンテージが得意な人もいますし、ラッパーのモデルが好きな人もいますし、3つくらいジャンル別で分かれていて、それをうまく使って情報交換してますね。

──さいごの質問です。スニーカーへの執着とお笑いへの態度にはなにか繋がりがありますか?

長谷川:直接の繋がりとはいえないかもしれないけど、欲しいスニーカーがあるからお笑いを頑張れる(笑)。そういう起爆剤にはなっていると思います。たとえば、いいことがあった日に、ここから仕事が好転して……そうしたら40万のアレが買えるなって想像するのが楽しみなんです。僕にとってのスニーカーは、仕事がうまくいったら気持ちよくお酒が飲めることと同じなんですよね。

「お笑いに一生を捧げる覚悟」をした長谷川を支えるもののひとつは、スニーカーへの愛だった!


(1)ランバード:現在販売されているミズノ製品に必ずついているマークのこと。1983年にシューズ専用として作られ、2006年に全世界の全種目の製品でマークを「ランバード」に統一した。天体観測が趣味だった2代目社長・水野健次郎のアイディアから、軌道を表す曲線で構成されたデザインが完成した。

(2)ギャング系:1986年に結成された伝説のヒップホップ・グループ、N.W.Aを筆頭としたギャングスタ・ラップブームによって定着したファッション。西海岸と東海岸、また「チーム」ごとにも違いがある。日本でも好んで真似された西海岸系の代表的な着こなしは、コーチジャケット、ワークパンツ、チェックのフランネルシャツ、白いハイソックス、キャップにバンダナなど。N.W.Aのメンバーが愛用したことで、ナイキのスニーカー「コルテッツ」がアイコニックなモデルとなった。

(3)アイリッシュセッター:1905年に米ミネソタ州で創業したレッド・ウィング社から発売されている、ワークブーツの定番ともいえるモデル。バリエーションはいくつかあるが、共通して使われていたレザーの色が猟犬アイリッシュセッターの毛並みを想わせたため、「アイリッシュセッター」と名付けられた。

(4)カニエ・ウエスト:1977年、米イリノイ州シカゴ出身。アメリカのブラックミュージック業界を代表する人物で、ヒップホップ歌手の他、音楽業界におけるMC、プロデュース業など幅広く手掛ける。近年のスニーカーブームに大きな影響を与えている人物のひとり。彼が最初にコラボレーションをした「ナイキ エア イージー1」が2009年に発売されると、90年代のスニーカーブームを彷彿とさせる人気が爆発。その後「エア イージー2」を2012年と14年に発売。ナイキとロイヤリティ問題でもめ、契約を解消したあとは、2015年からアディダスとのコラボを開始した。

(5)トラヴィス・スコット:1992年、米テキサス州生まれのラッパー。ヒップホップシーンに欠かせない存在であり、ファッション・アイコンとしてもさまざまなブランドとコラボし、多方面に活躍するアーティストである。カニエ・ウエストの妻、キム・カーダシアンの異父妹であるカイリー・ジェンナーとの間に一女がいる。

(6)エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky):1988年、米ニューヨーク州生まれのラッパー。ニューヨークのハーレムを中心に集まったメンバーからなる新世代クリエーター集団「エイサップ・モブ(A$AP MOB)」に所属。ラッパー、プロデューサー、ファッションデザイナー、ビデオディレクターなどが集まっており、音楽、ファッション、アートなど様々な分野で幅広く活躍している。

(7)スニーカー同好会:レイザーラモンRGの呼びかけにより集まった、スニーカーを愛してやまない芸人たちによる同好会。この連載の第1回に登場したグッドウォーキン・上田歩武、第2回のダイノジ・大地洋輔もメンバーである。

長谷川忍(はせがわ しのぶ)
PROFILE
1978年、静岡県生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。NSCで出会ったしのぶと2006年に「シソンヌ」を結成。愛猫家でもあり、持参したスニーカーには猫の毛がたくさんついているのが微笑ましかった。

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文・横山芙美(GQ) 写真・鈴木竜一朗