野口啓代・スポーツクライミング──特集「躍動する夏のアスリート」

スピード、ボルダリング、リードの3種目で行うスポーツクライミング複合(コンバインド)が東京オリンピックの種目に初採用される。クライミング競技の先頭を走ってきた野口啓代は、大会を前になにを思う?

先頭を走り続けるパイオニアの矜持

 2002年、小学6年生のときに、野口啓代は競技をはじめてわずか1年で全日本ユースを制覇。日本人にクライミングが馴染みのなかった時代から手探りで世界に挑み、ワールドカップ年間優勝を4度獲得した。この先駆者が、スポーツクライミングがはじめて正式種目に採用される東京オリンピックを迎える。

「クライミングはマイナーなスポーツだったので、大会で活躍したりメディアに出ることで少しでも競技の認知度を上げたいというモチベーションでやってきたところはあります。オリンピックに不安の声があると思うんですが、もちろん開催してほしいと思っていて、開催された暁にはやってよかったな、選手のパフォーマンスを見られてよかったと思ってもらえるように、準備をしています」

そして野口は、この夏で競技の第一線を退くことを表明している。

「この先になにをやるかは決まっていないんですけど、いままで通り、じぶんにしかできないことをやろうと思います。日本人が世界大会やワールドカップに出ていなかった時代から少しずつ参加するようになって、徐々に競技がメジャーになって、いまは日本が強豪国になった。国別ランキングで何年も1位を取り続けているんです。そういうふうに成長してきたことがうれしくて。引退しても、じぶんらしい方法でクライミングを広げていけたらいいなと思っています」

ベスト ¥308,000、ショーツ ¥121,000、ベルト ¥137,500、頭に巻いたスカーフ ¥60,500、右耳イヤリング ¥60,500、ネックレス ¥91,300、ブラウス、左耳イヤリング、左手リング すべて参考商品〈すべてDIOR/クリスチャン ディオール〉  その他スタイリスト私物

じしんの競技活動を支えてくれる人を尋ねると、「父です」と即答した。

「茨城に住んでいたので、練習や試合に行くのには父のサポートが必要でした。去年のステイホーム期間も、父が建ててくれた“au CLIMBING WALL”で練習することができたので、とても恵まれた環境だったと思います」

野口の父である健司氏が自宅敷地内に建設したプライベートウォールは、野口だけでなく、所属であるTEAM auの練習拠点にもなっている。同所属の楢﨑智亜も、「世界的に見てもこれだけの練習施設はなかなかありません。競技を続けるうえで感謝したい人はたくさんいますが、野口パパはその筆頭です」と語っている。楢﨑はクライミングの選手である実弟の明智とともに練習に励む。スポーツクライミングという競技を野口が牽引してきただけでなく、野口ファミリーがクライミング界に世界トップクラスの環境をサポートしているのだ。

試合前のルーティンを聞くと、こんな答が返ってきた。

「国や地域によって環境が変わるので、必ず食べるものとかは決めていません。ただ、ひとりになる時間をつくるようにしています。この大会に出る意味とか、大会の価値、じぶんはなにを表現したいのか、勝つことにどんな意味があるのか、ということを問いかけて再確認する、ひとりの時間が大事です」

大きな大会になるほどモチベーションがあがって力を発揮できるタイプだと野口は自己分析する。また、課題が難しければ難しいほど楽しくなるとも語る。

スポーツクライミング王国の礎を築いた野口啓代が、オリンピックで難易度の高い壁を前に、集中して、楽しんでいる姿を見たい。心からそう思った。

PROFILE 

野口啓代(のぐち・あきよ)

1989年、茨城県生まれ。小学校5年生のときに、家族旅行で訪れたグアムでクライミングと出会う。ワールドカップで通算21勝をあげるなど、クライミング界の絶対女王。

Styling 櫻井賢之 Masayuki Sakurai / Hair 吉村 健 Ken Yoshimura / Make-up 國本麻貴 Maki Kunimoto@mod’s hair / Words サトータケシ Takeshi Sato

Photos マチェイ・クーチャ Maciej Kucia@AVGVST 

野口啓代・スポーツクライミング──特集「躍動する夏のアスリート」
ギャラリー:野口啓代・スポーツクライミング──特集「躍動する夏のアスリート」
Gallery3 Photos
View Gallery