ペリー・ロビンソン

12月に入ってペリー・ロビンソンも亡くなってしまった。1938年生まれなので、ちょうど80歳か。

元来はオーソドックスなスタイルだったのが、何かの拍子に前衛ジャズをやり倒すようになるという人がいて、その代表がディキシーランド・ジャズのミュージシャンだったのにいつの間にかセシル・テイラーと共演するようになったスティーヴ・レイシーだが、ロビンソンもその一人と言える。オーソドックスなことができるということはテクニックには問題がないわけで、あとはやる気というか勇気の問題ではあるのだが。

1962年の初リーダー作 Funk Dumpling (しかしファンク団子とはすごいタイトルですね)は、ジャケットはダリの猿真似だし、そこにアヴァンギャルドの萌芽が見られると強弁できなくもないが、音楽的には充実したハードバップである。バックはケニー・バロン、ヘンリー・グライムズ、ポール・モチアンという豪華版で、特にグライムズが絶好調。

Funk Dumpling

ベニー・グッドマンやアーティ・ショウを擁し、1930年代のスウィング期にはこの世の春を謳歌したジャズ・クラリネットだが、ビバップ以降はたまにサックスから持ち替える人がいる程度のマイナーな楽器になってしまった。音量や運指の問題などいろいろ理由はあったらしいが、とにかくロビンソンは、バディ・デフランコと並ぶモダン・ジャズ・クラリネットの第一人者でもあったのである。

それが、1965年に前衛の牙城ESPレーベルから出たThe Callでは、こんな感じになる。

The Call (1965)

これはヘンリー・グライムズのリーダー作として有名だが、プロデューサーのバーナード・ストールマンによれば、ロビンソンはこのアルバムの成り立ちに深く関わっていて(たしかに全6曲のうちタイトル曲を含む2曲を作曲している)、実質的にはグライムズとロビンソンの双頭バンドだったという。

その後はアーチー・シェップ(有名な67年のMama Too Tightに参加)やギュンター・ハンペルらとフリーもやりつつ、デイヴ・ブルーベックの親子バンドにも参加するなど、フリーとオーソドックスを行き来する活動を続けたが、個人的には晩年にESP仲間(?)のバートン・グリーンと組んだクレズマーものが印象に残る。彼らが2009年に発表したTwo Voices In The Desertは、ジョン・ゾーンのTzadikレーベルから出たせいかあまり話題にならなかったが、傑作だ。

Mama Too Tight

Two Voices In The Desert

2011年というので最晩年のライヴ。出だし、やたらブルージーなピアノは誰だろうと思ったらマシュー・シップでびっくり。このくらいになるともうトラッドとかフリーとか一概に言えないくらい渾然一体となっていて、ロビンソンの音楽としか言いようがないですね。

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