LIFE LOG(ここにはあなたのブログ名)

タクシーで社会復帰できた元高齢ニートのブログ

首吊り10秒前くらいのギリギリのところですんなり社会復帰できました。

約10年もニートをしていたけど社会復帰はあまりに簡単だった

「あの地獄のようなニート時代は悪い夢だったんじゃないか」


そんなふうに思うことがよくある。


のべ10年弱もニート生活を続けてしまった僕が、ある日突然、生活自助できるようになり、今日まで楽しい日々を過ごせている。


なんの努力もせずにタクシー運転手として社会復帰できた。
そして、なんの努力もせずにノンストレスでこの仕事を続けてこられた。


ニート時代の末期ではいよいよ自殺寸前まで追い込まれていたのにもかかわらずである。


さながら、異世界転生を果たしたかのよう。
非科学的で馬鹿げていることは承知だが、僕は割と本気でそう信じている。


それもある意味当然と言えよう。
僕自身の能力や精神性はニート時代と比較してこれっぽっちも変わっていないからだ。


僕はベットリ汚れた便所紙のほうがまだ綺麗に見えるクソ以下の履歴書を携えタクシー会社の面接に臨み、年齢相応の老成を逃したことによる幼児性丸出しな発言を営業所長に繰り返し、簡単なアルバイトすらままならぬ低スペックそのままで採用され社会復帰し、艱難辛苦とは無縁の今に至る。
ザックリ言えばこういう道をたどってきたということになる。


例えば、『アリとキリギリス』における教訓を信じるならば、こんな甘いシナリオは僕の人生に用意されていないはずだった。

”怠け者は自らがこさえたツケを必ず払わされる”

良識派の皆さんが大好きな、救いのないあの教訓だ。


何年も何年も人間や社会に怯え、雨戸の閉じた部屋で雌伏の時を過ごしてきた僕は、ついに自殺を決行するとか、タコ部屋送りになるとか、そんな悲惨な末路を迎えるのが妥当なところだったろう。


実際、社会や世の中の人たちが僕のような落伍者に破滅的な総決算を求めていることを感じる場面が多々あった。

新卒で入社した会社(※一瞬で辞めた)の元上司はあるとき飲み会の席で「なんでニートが死刑にならないのか理解できない」と唸っていた。

どこまで本気かわからないが、僕は2chなんかで福島原発の除染作業はニートに強制的にやらせろ』だとか、ニートを飼ってる親は責任とって一家心中しろ』だとかいう書き込みをこれまで100回は見ている。


悲しいことに、ニートはこれほどまでに「不道徳」で「反社会的」と見做されているのだ。
ほとんど凶悪犯罪者と同じような扱いと言ってもいいだろう。


これではニートの社会復帰は困難になるはずだ。
多くの人々から破滅を切望される存在にわざわざ雇用を与える使用者はそうそういるもんじゃない。


では、なぜ僕はすんなりと社会復帰を果たし、なんの苦労もなく平和な毎日を過ごせているのか?


それは、

タクシー運転手がニートにうってつけの仕事だから。

いささか乱暴な答えだが心からそう思う。


繰り返しになるが、僕はニート時代と今とでなんら変わっていない。
能力、性格、体力、コミュ力、労働意欲……あらゆる要素が悪い意味で変わっていない。根っからの社会不適合者のままなのだ。
もし仮に、これから僕がタクシー運転手から足を洗い普通のサラリーマンになったとしたら、3か月そこらで完全に潰れるはずだ。心身ともにズタボロになって。


そんな僕だというのに今の仕事は難なくこなせている。
はっきり言うと、タクシー運転手をやっていて自分の無能を感じたことは一瞬たりともない。


別に僕が脱ニートを果たして傲慢な男になったというわけではない。
タクシー運転手という仕事があまりにもイージーなだけなのだ。
同僚たちも「こんな楽な仕事はない」とよく言っている。


裏を返せば、世間における大半の仕事があまりにも苛烈ということだ。


今や労働のあらゆる無駄が省かれ、最適化に向かっている。
賃金1単位あたりに求められる成果や、それに伴って生じる苦痛がどんどん大きくなっている。
気が付けば、喫茶店やゴルフ練習場で平日午前を費やすサラリーマンは絶滅危惧種だ。


そんな汲々とした社会において、タクシー運転手は相変わらず気楽な稼業のまま。
少なくとも僕の所属するタクシー会社はそうだ。


勤務時間中に雀荘へ行くのも、自宅で昼寝するのも自由。
とんでもなく酷い客となら大喧嘩しても問題にならない。
管理職が運転手の売上の悪さを咎めようものなら「歩合給だろうが‼ ふざけたこと言ってんじゃねえぞ‼」とどやしつけられる。


サラリーマンの流儀しか知らなかった僕はこの世界に飛び込んだとき、唖然とすると同時に感動を覚えた。
タクシー業界は3K(キツい、汚い、危険)として敬遠されているが、徹底的にフェアで自由なカルチャーを美しいとすら思った。


理不尽や我慢がオミットされた世界。
タクシー運転手ほど『雑』『楽』が放置されている商売はほとんどないだろう。
この仕事を丸1年やって身に染みてわかった。


だから、僕はタクシー運転手という仕事を自信を持って人に薦められる。
特にニートの社会復帰にはおあつらえ向きだ。


好都合なことに、タクシー業界は慢性的な人手不足に陥っているため運転免許さえ持っていれば誰でも採用される。
誇張ではなく、本当に誰でも採用されてしまう。
いつかこのブログに書こうと思うが、僕の同僚には刺青が入っている人も、前科持ちもゴロゴロいる。


たかだがニートごときでは経歴上の傷にならないとでもいわんばかりの特殊業界なのだ。


タクシー運転手として食べていくにはニートのスペックで充分すぎる。
なんの付加価値もない人間が、なんの努力もせず、なんの苦労も味わわず、人並みかそれ以上に稼ぐことができる世にも珍しい仕事だ。


つまり、僕は「タクシー運転手になる」という決断をしたからこそ平穏無事な日々を手に入れることができたのだ。
逆に、タクシー運転手という選択肢があることを僕はずーっとずーっと気づけずにいたから、10年弱に渡って暗黒時代を過ごすはめになったとも言える。


だから、僕はこのブログを通じてタクシー運転手という仕事や楽しい脱ニートライフについて発信していこうと思う。
地獄のニート生活を抜け出せずにいるかつての僕のような人たちがこのブログを読んで気楽に社会復帰できてくれたら物凄く嬉しい。