Oscar Predictions 2018

映画評論家・芝山幹郎のコラム──「たかがオスカー されどオスカー」

第90回アカデミー賞の授賞式が3月4日に開催される。映画評論家の芝山幹郎がオスカーの行方を予想する。 文:芝山幹郎
写真:ロイターアフロ
写真:ロイター/アフロ

スウィープ(総なめ)が起こるのか。それとも、各部門で票が割れるのか。

アカデミー賞は、ハリウッドのお祭り騒ぎだ。馬券を買うのではないこともわかっている。だが、この季節が来ると、映画好きはいそいそと予想をはじめる。われわれ外野の意見などまったく結果に反映されないというのに、あれやこれやと占いを立てる。受賞結果と個人的な好みの差を見て、アイロニカルな、もしくは自虐的な喜びさえ覚えることもある。もちろん、各部門の有力候補は、すでにいろいろなメディアをにぎわせている。総数約6000人といわれるアカデミー協会会員の傾向も、おおよそは察しがつく。

もっとも、投票の全体的傾向は、以前ほど露骨ではなくなった。つい数年前までは、「平均年齢60歳以上の白人男性」が会員の圧倒的多数を占めていたのだが、2016年にいわゆる#OscarsSoWhite論争が起きたことを機に、女性会員の数や有色人種会員の数が、それぞれ40%を超えたといわれる。今年の監督賞候補には、「米国籍の白人男性」がポール・トーマス・アンダーソンひとりしかいない。

ただ、時代の潮流や社会の傾向で映画の良否を決めるのは面白くない。そういう観点の大半は一時的だし、映画には映画固有の価値基準がある。そもそも、人間の技術や美意識や感受性には階級があるのだ。演技や撮影や美術には、その階級が色濃く反映される。

私が個人的に支持する映画は、アンダーソンの『ファントム・スレッド』とギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』だ。好みでいうなら、私はこの2本に本命と対抗の印を打つ。

前者の舞台は、1950年代中盤のイギリス、後者の舞台は60年代前半、冷戦下のアメリカだ。両者とも、演出力が図抜けている。俳優に深い芝居をさせる一方で、彼らの棲息する世界を豊かな美術や装置や衣裳で満たし、その空気を観客にたっぷりと吸わせる。

PHANTOM THREAD, from left: Vicky Krieps, Daniel Day-Lewis, 2017. ph: Laurie Sparham /© Focus Features /Courtesy Everett Collection

とくに前者は、主人公のファッション・デザイナーを演じるダニエル・デイ=ルイスが絶品だ。映画史上に残る「わがままで神経質な王様」の複雑きわまる愛憎を、彼は恐ろしく高度なレベルで造型する。この「どうしようもなく嫌な奴」は、逆説的にいうと男の理想像に近いのだ。美しく、才能に恵まれ、性格の悪い男が周囲を狂わせ、自身も、一見凡庸な女の無意識に狂わされていく。その官能的な波のうねりとエレガンスは、アルフレッド・ヒッチコックやヘンリー・ジェームズを連想させる。私は陶然とした。

逆にいうと、『ファントム・スレッド』は、観客の単純な共感や感情移入を求める映画ではない。受賞がきびしそうなのはそのためだ。もしこの作品が複数の部門で受賞するようなら、私はアカデミー協会を見直すだろう。

一方の『シェイプ・オブ・ウォーター』は共感を呼びやすい映画だ。簡単にまとめると、ある秘密研究所に運び込まれた不思議な生物をめぐって、酷薄な軍人と純情な清掃係が死闘をくりひろげる話。軍人(マイケル・シャノン)は、生物を解剖して新兵器を開発しようとし、口の利けない清掃係の女(サリー・ホーキンス)は、水槽に収められた生物と恋に落ちて意外な行動に出る。

ありがちなファンタジーに聞こえるかもしれないが、デル・トロは情感と技術の両面で卓越した手腕を見せる。もともと彼は、繊細な情感描写を得意とする監督だ。弱者をいたわるだけでなく、辛辣な皮肉や不敵なユーモアを、物語の急所で繰り出してみせる。

そんな彼が、ここでは自身の映画的貯蓄を惜しげもなく投入している。30年代のミュージカル、40年代のノワール、50年代のホラー。それらさまざまなジャンル映画の富が、必要に応じてつぎつぎと動員され、絶妙の配合で観客をかどわかしていくのだ。

私は感心した。技巧や手法が独り歩きするのではなく、奇怪な幻想と密度の高い映像を結びつけ、映画全体に血液を行き渡らせている。ホラーや幻想映画はオスカーに縁がないといわれてきたが、『羊たちの沈黙』(90)以降、傾向は変わってきた。作品賞と美術賞はこの映画が受賞しても異存はない。

THE SHAPE OF WATER, front, from left: Sally Hawkins, Octavia Spencer, 2017. TM & © Fox Searchlight Pictures. All Rights reserved. /Courtesy Everett Collection

作品賞部門で『シェイプ・オブ・ウォーター』の対抗馬になりそうなのはマーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』だ。マクドナーは監督賞の候補から漏れたが、これは、閉鎖された空間が変容していかなかった窮屈さと無関係ではない。率直にいうと、マクドナーは「俳優の映画」をめざした。空間を変えずに、登場人物だけをねじれた形で変容させようとしたのだ。警察に喧嘩を売る主人公(フランシス・マクドーマンド)だけでなく、病身の署長(ウディ・ハレルソン)やレイシストの警官(サム・ロックウェル)も、映画のなかで意表をつく変貌をつづける。ここは、役者も腕の見せどころだったにちがいない。マクドーマンドの主演女優賞とロックウェルの助演男優賞はまず堅い。

主演女優賞の対抗馬としては、先述のサリー・ホーキンスと『レディ・バード』のシアーシャ・ローナンを挙げる。助演男優賞の穴馬は『シェイプ・オブ・ウォーター』のリチャード・ジェンキンス。助演女優賞は、『アイ,トーニャ』で怪物的な母親に扮したアリソン・ジャニーが最有力だ。対抗は『レディ・バード』の母親役を演じたローリー・メトカーフ。ふたりともキャリアの長い実力派で、これまで気づかなかった世間の眼が節穴だ。

ここまでに挙げた映画以外でも、賞に絡んでくる作品は少なくない。

DARKEST HOUR, Gary Oldman as Winston Churchill, 2017. ph: Jack English /© Focus Features /Courtesy Everett Collection

主演男優賞の本命は『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』のゲイリー・オールドマンだ。『裏切りのサーカス』(11)で受賞しなかったのが不思議なくらいだが、名優に必須の「自己隠蔽欲」がこれほど機能した例も珍しい。チャーチルの肉体や無意識の奥深くに潜入し、いつものオールドマンらしさにぴたりと蓋をしたのが見事だ。

脚色賞は『君の名前で僕を呼んで』のジェームズ・アイヴォリーが本命視されている。ただ、私は彼と相性がよくない。文芸色を強調しようとするあまり、この老作家は話をくどくすることがある。好みとしては、高度な台詞術を俳優に要求したアーロン・ソーキン(『モリーズ・ゲーム』)や、アクション劇画に情感の深みを与えたスコット・フランクとジェームズ・マンゴールド(『ローガン』)を推したい。受賞はむずかしいだろうが。

一方、オリジナル脚本賞はかなりの激戦だ。『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール、『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグ、さらに前述のマクドナーが、ほぼ横一線で並んでいる。最も挑発的なピールが優勢か。

あとは駆け足で行く。撮影賞は、『ダンケルク』のホイテ・ヴァン・ホイテマと『ブレードランナー2049』のロジャー・ディーキンスの争いだろうが、『シェイプ・オブ・ウォーター』のダン・ローストセンが割って入るかもしれない。編集賞は『ダンケルク』のリー・スミスと『ベイビー・ドライバー』のポール・マクリスとジョナサン・エイモスの一騎打ち。衣裳デザイン賞は『ファントム・スレッド』のマーク・ブリッジスが抜けている。もし『ファントム・スレッド』がこの部門のみの受賞にとどまったら、アカデミー賞とはやはりその程度のものと思うしかないだろう。

芝山幹郎
1948年、金沢市生まれ。東京大学文学部仏文科卒。翻訳家、評論家。『週刊文春』シネマチャートの評者を約30年務めている。近作に『今日も元気だ映画を見よう 粒よりシネマ365本』(角川SSC新書)がある。