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ライバルは、あそこにもいた。

仕事が忙しくなるとぼくは、衝動買いをはじめる。

喫緊の用があるわけでもないのにショッピングサイトに出かけ、本だの洋服だのバッグだの家電製品だの文房具だのを、だらだら眺め購入したり、しなかったりする。衝動買いということばの響きからだろう。長らくぼくは、それをストレス発散の、やけっぱちな行為なのだと思っていた。

でも最近気づいたのだけど、ぼくにとってのネットショッピングとは、暴飲暴食的なストレス発散の発露というよりも、もっと純然なエンターテインメントだったのだ。自分がそれを買うこと、買うかもしれない可能性をもって眺めること、買った自分を想像し、それを着たり使ったりしている自分を想像すること。これらはいずれも、とんでもないワクワクなのだ。その「おれを主人公としたワクワク」を求め、疲れたぼくは栄養補給をするようにショッピングサイトに出かけているのだ。

たとえば ZOZOTOWN というサイトを、「読みもの」として捉えなおす。あまたあるオウンドメディアと「読み」くらべる。情報量もワクワクも、到底かなわないのではないだろうか。

コンテンツ淘汰の本質が時間の奪い合いであるかぎり、ぼくらは「ZOZOTOWN で過ごす1時間よりもおもしろい1時間」をめざして、文章を書くべきなのかもしれない。同じ文脈で「友だちとのLINEよりおもしろいもの」や「まとめサイトよりおもしろいもの」くらいまでは考えていたし、意識もしていたのだけれど、ZOZOまではちょっと考えが及んでなかったなあ。そしてあそこで過ごす時間は、かなり手強い気がするなあ。

たいへんな時代になったもんだと、堺屋太一のような無邪気さで思う。