初の書籍『文化水流探訪記』が話題のミュージシャン、やけのはらさんインタビュー

やけのはら『文化水流探訪記』インタビュー

こんにちは、ブクログ通信です。

愛読家ミュージシャンとして知られるやけのはらさんが、初の書籍を刊行しました。音楽家から作家、漫画家、映画監督、文化人、プロレスラーまで、『文化水流探訪記』で取り上げられるテーマはさまざまです。幼少期より「創作物の世界」を考察することが好きだったというやけのはらさんに、そのユニークな“興味の変遷”の歴史と「書くこと」についてのお話をお伺いしました。

聞き手/高橋圭太(音楽ライター)

やけのはらさん『文化水流探訪記
ブクログでレビューを見る

読書の記憶と「書くこと」について

−まずは、初の書籍『文化水流探訪記』刊行おめでとうございます。これはもともと雑誌『POPEYE』での連載だったんですよね。

はい、基本は連載をしていたコラムです。他の媒体に書かせてもらったコラムや書き下ろしもあるんですけど、基本的には、連載をまとめたものです。

−連載の開始はいつから?

2012年の春です。

−そもそも原稿の依頼が来たときはどういうお話だったんですか?

それが残念ながら、何も面白い話がなくて、ただメールが来たんですよ。特に知り合いだったとかでもなく。

−なにか書いてくれっていう依頼で?

そうですね。『POPEYE』がリニューアルするっていう話で打ち合わせに行って、なんとなく自然に決まっていった感じで。毎回誰かを取り上げるみたいのは、自分からこういうのにしたいと言ったかもしれないです。あとはどこまでどう続くか最初はわからないじゃないですか、だから、後はなんとなくですかね。

−では、毎回ある事象やテーマを取り上げて紹介するという体裁は、最初から絵面として見えていた?

まあ、そうですかね。編集の方が、対象の人物の本なりDVDなり、アイテムも取り上げましょうという感じで、雑誌的にしてくれて。では、それで、ということで。

−ちなみに『文化水流探訪記』というタイトルはどういった意図で付けられたんでしょう。

盛り上がらない話で申し訳ないんですけど、思い付きです。ただ、このコラムでずっと書いていたように、こういう歴史性や連続性だったり、逆に、すべてがきれいに連続しているわけでもないので、非連続性とか、そういうことには興味を持っていた時期だったのかもしれないです。このごろ、担当してもらった編集の方から言われて思い出したのですが、「文化水源」にすると、源=ルーツが一番良いということになってしまうから、「水流」、流れが大事だと、当時、私が言っていたみたいです。

あと、「文化」って言葉は、違和感があるというか、堅いというか、ダサいというか古臭いというか、今そういう言い方ってあんまりしないから、選んだみたいなのは、なんとなく覚えています。

−連載が始まる以前はほかの媒体でも書いていたんでしたっけ?

昔、雑誌とかに、ちょこちょこ書かせてもらったこともあるんですけど、やっぱり音楽やってるからそっちで頑張りたいですし、なので、あんまりいっぱいやっていたわけじゃないんですけど、誘われたり、自分の立場でもできそうなコラムとかは少しやっていました。ただ、毎月の雑誌連載は初めてですね。

−文章を書くにあたってこれまでの読書体験って重要だと思うんですが、やけのはらさんの最初の読書体験は?

多分みんな一緒でしょうけど、最初は絵本ですね。『ぐりとぐら』が好きでした。オムレツができるページを何度も繰り返して読んで、「わあ、うれしー!」ってやってました。

そのあとは漫画ですかね。だから小学校低学年とか、『まんが道』が好きで、漫画家になりたいと思っていました。

あと、『ドラえもん』とか『こち亀』とかですかね。そのあとは、『坊っちゃん』とかって小学校何年生で読むんでしたっけ? それは面白いなと思ったのは覚えていますね。

あとは『ぼくらの七日間戦争』っていうのが、宮沢りえさん主演で小学校の時に映画でやってて。その映画も角川とかなのかな、それで人気になって、それの子供向けの小説が出ていて、それは読んだ記憶があります。

−その後の多感な時期に読んだものとしては。

中学生は筒井康隆とか、あとパロディ小説が得意な清水義範って人がいるんですけど、そういう子供でも読みやすいものを読んでましたかね。でも中学生くらいになったら漫画を卒業し始めて、古本屋で文庫とかを見てた気がしますね。でも何を読んでたかな、ちょっと思い出せないですが。

−純文学なども読みました?

純文学は中学生の時には読んでないと思います。うちは母親が本が好きな人だったんで、本棚の背表紙とかで古典文学の名作と呼ばれるもののタイトルは知ってたんですけど、読むのは高校生になってからですかね。高校生くらいでそういう名作みたいなのをつまみ食いしたり、比較的近代の日本人の作家を手に取るようになりました。ただ音楽が好きだったから、本のほうはつまみ食いっていうか、順を追ってきれいに読んだわけじゃなくて、楽しみとしてちょこちょこ読んでましたね。

−なるほど。

今思い出したんですけど、僕は小学校高学年の時にプロレスが好きだったんです。当時、新日本プロレスが夕方とかにテレビでやってたんですよ。だから、子供も見られたんですよね。それでプロレス雑誌も買いだすくらい好きになって。それで、『週刊プロレス』って雑誌に「ターザン山本」っていう名物編集者がいたんです。今は、面白おじさんみたいなキャラになっているので、当時を知らないとイメージしにくいかもしれないですが、売り上げを何倍にもしたっていう団塊の世代くらいの名物編集者で。普通、プロレスの原稿だったら、ある程度私情はいれても、基本は試合の空気を伝えたり、どんな試合だったかを書くじゃないですか。でも、ターザン山本は哲学を持ち出したりしつつ暴走するんです。活字プロレスっていう呼び方もあったんですけど。

で、アントニオ猪木とかが一番後期で、年に何回か戦ったりしてた時期なんですけど、未だに覚えているんですが、猪木の試合をターザン山本が書いた原稿で、巻頭の6~8の結構長いページ数を、基本的にずっと、哲学的なポエムみたいな文章で、一切内容に触れないで書いていて。「猪木は禁断の実を食べた」とか書いていて、それは今でも覚えていますね。だから、ターザン山本のよくわからない文学観に影響を受けた部分はあるかもしれないですね(笑)。

−その影響でこの本ができてると。

ターザン山本さんが通ってきたであろう、60年代の思想みたいなものを孫請けしたというか。うろ覚えの印象だけなので、今読み直したらどう思うかは分からないですけど。だけど、その当時の他のプロレスの原稿は覚えていないので、そういう意味ではインパクトがあったというか、大袈裟に言えば「文学」に触れたと言うか。

元の質問に戻るんですけど、音楽だとテクノ・ミュージックが好きで、ぼくが中学生の時に、『ele-king』って雑誌が出て、最初はダンス・カルチャーの12インチ・レコード文化に合わせて12インチ・サイズで出してたりして、その『ele-king』って雑誌の野田努さんって人が、どちらかというと色のある書き方をする人なんです。あと三田格さんって人も、文学とか色々なものに博学な方で、そういう人が『ele-king』に書いていて、好きでした。

偉大な先人に対峙すること

やけのはら『文化水流探訪記』インタビュー
やけのはらさん ©武政涼

−連載の話に戻りましょう。この本では毎回、さまざまな人物や物事を取り扱っていますが、テーマの選定の基準は?

基本的には、ぼくが好きなようにやらせていただいていました。それこそ半年で終わるのか、もっと続くのかわからないので、最初は手探りというか。ただ1回目がタモリさんで2回目が伊丹十三さんで、その辺りはすごく思い入れがあったり、スタートダッシュにふさわしい人っていうイメージがありましたけど。まあ、あとはやりながらですかね。

そのうち、リニューアルした『POPEYE』がすごく人気になったんです。なので、これはもう少し連載は続くかなと、先を見ながら選んで行きました。あと、この連載、6年とかやってたんです。だから自分がアルバム作ってたりするとすごい忙しくなるとかあったので、その時々の興味のある人に、たまにはもともとそれなりに詳しい、調べ物をしなくてもいい人を挟んだり、今後困ったらこの人を取っておこうというバランスを見ながら。ぼくはDJをずっとやってるから、「DJ感覚」というのは意識してましたね。流れがあるところとないところ、そうしないと飽きちゃうので。いい意味での驚きというか。

−“DJ感覚”という意味でいえば、本書全体にもそういった意識を感じますね。

近いゾーンで続くところがあったりしつつ、全然変えたりとか。例えば『まんが道』からヒップホップ映画の『ワイルド・スタイル』へとか。『まんが道』の前もムッシュかまやつさんとか。流れがあるんだかないんだか、ですね。

−資料もだいぶ読み込まれていたとか。

とはいえ、ここに取り上げている人って、ものすごく熱心なファンがいる人も多いので、すごいマニアックに好きな人のレベルまでは行けてないと思うんですけど。そういう人も見る可能性もあるので、できるだけ、詳しい人が見ても失礼がないように、というくらいにはその時々なりに頑張りました。ただ逆に、お仕事だから調べてるって感じだときついと思うんですけど、だけど全然そういうつもりじゃなくて、もともと調べものをしたり、研究というか、何かにはまったりするのが好きだから、ほっといてもそうしてるという感じではあります。

−取り扱っている人物に関しては基本的にもともと興味があったと。

そうですね。もともと好きな人もいれば、その時々に気になった人が入っているっていう感じです。

−ちなみに、やけのはらさんのが本書の中で特に思い入れがあるのは?

「ずっと好き」ってことで言えばタモリさんとか、伊丹十三さんの映画も子供の頃から好きでしたし、大人になってからはエッセイも大好きです。赤塚不二夫さんも子供の頃から漫画を読んでいたりして思い入れはあります。エルヴィス・プレスリーは逆に、その面白さや存在感、カルチャーの中での立ち位置を理解したのは近年なので、大人になっていろんなことを知っていくうちにわかるようになったという感じですかね。

エルヴィス・プレスリーは、すごく大事ですよね。この本の中でもそういう取り上げ方だと思うんですけど、テレビ・カルチャーの初期のヒーロー、一番最初のメディア・ヒーローなんですよね。ビートルズもエルヴィスのファンだったわけですし、「ロック」、「ロックン・ロール」史上で、エルヴィスの音楽、存在、偶像性って、ものすごく偉大だし、興味深いですよ。

−さまざまな音楽家や文化人が取り上げられているなか、トーマス・エジソンに関してもページを割いているのが特に興味深かったです。

エジソンは、レコードの原型を作ったとされている人ですよね。それは特許の問題もあるからエジソンが全部作ったわけじゃなくて途中まで誰かが作ったとか、色々あるみたいなんですけど。エジソンがレコードを作ったっていうのは、20世紀全体を変えるメディアの話ですよね。これは、録音物ってのが無いことが今更想像できないくらい、めちゃくちゃ重大なことですよね。だからある種エジソンは「頭で好きになった」というか、今の音楽のことを考える上でもエジソンは大事だなと、大人になって思います。

−複製音楽が普通になっている現代ですが、エジソンが果たした功績というのは、改めて重大だったと。エジソンが築いた礎の先の文化を我々が楽しんでいるということですね。あと個人的に興味があるのは大瀧詠一さんの話なんですが、これに関しては。

大瀧詠一さんは岩手の人で、一人っ子で、青森の三沢基地の米軍放送をラジオで聴いて、音楽を好きになった人なんですよね。一人っ子で一人遊びに熱中した人みたいです。私も一人っ子で、本の「まえがき」にも書いたんですけど、今でも一人遊びに熱中してるのが続いてるっていう実感があって、僭越ながら、勝手にそういう親近感はあります。

−音楽の捉え方という部分で、ある意味でメタな目線を常に持っていた音楽家という印象があります。

ものを作る人でも、いろんなタイプの自意識、例えば表現と自分との距離みたいなのがありますよね。想像ですけど、例えば、ジャニス・ジョップリンみたいな人は、音楽という器を使って、自分を、自分の自意識を表現するというか、自分が出るし自分が伝えたいことがある印象というか。大瀧さんみたいな人は、音楽を作るということ自体がスタートでありゴールであると思うんですよ。そういう気持ちは、私もよくわかります。音楽を使って有名になりたいとか、音楽を使って自分の気持ちを表明したいっていう、そういうのがあんまりないんです。勿論、人が何かを作るので結果として反映はされちゃいますけど、基本は、ただ音楽が作りたいから作っているというか。

−今回このように一冊の本にまとまったわけですけど、このまま『POPEYE』での連載が続いていたら扱いたかった人とかはいますか?

それは連載最終回にも書いたんですけど、忙しくなった時に書こうかなと思って取っておいた大ネタは忌野清志郎さんですね。困った時のために取っておいたけど登場の機会なく。

−本書では連載とは別に、これまでに書かれたコラムも収録されていますね。

はい、全体のトーンに合うものを選んだので、入れてないものもあるのですが。あんまり昔すぎると自分も恥ずかしいし、ある程度近年で、全体の流れに合うものを入れました。

−本書の中でご自身が会心の出来と思う回やコラムは?

エジソンの回を二回書いたんですけど、ここらへんは最初の方で取り上げておくべきものとして、歴史性の話がちゃんとできたので良かったです。「文化水流」っていっても、『POPEYE』の読者に読んでもらう前提ですし、基本的に取り上げているのは近年の大衆文化が中心で、結局20世紀の複製芸術のことなので、その始まりとしてエジソンを連載の初めの方で取り上げられたのは良かったなと思います。あと、エキゾチック・ミュージックと距離の話とか、モータウンというアメリカの有名なレーベルがあって、日本のURCというフォークのレーベルがあって、そこらへんの「インディペンデント」のことを書いたのも記憶に残ってますね。

−ザ・ブルーハーツはいかがでしょう?

僕は、ブルーハーツとRCサクセションが好きで、ヒップホップとテクノと日本のロックが音楽のルーツなんですよ。ブルーハーツを取り上げた世の中の文章って、だいたい「青春パンク」みたいなものに括られて、すごく一面的な解釈が多い気がして、ずっとモヤモヤしていて、もっといろんな面を書けたらなという気持ちはありました。書けたか分からないですけど。

−今回このために新たに書きおろしたものでいうと?

後半の「ヴァリアス・コラムズ」に入っている「新感覚☆知的連想ゲーム「といえば」」ですね。

−これ、最初は単にやけのはらさんが考えた連想ゲームの説明だと思って読んでいくと、最後に向かうにつれて、だんだんナンセンス小説みたいになっていくという。

違うんですよ、このゲームをルールだけ説明して書いていったら、結局伝わらないので、そうするとやってるところを入れなきゃいけなくなって、それで途中からキャラクターが出てきて「といえば」という僕が考えたゲームをやっていく話になりました。

−いや、これすごく面白かったので、皆さんぜひ読んでみてください。

はい。「といえば」という連想ゲーム、これをどこかで番組にしたいのですが、現状、実現の可能性がないので、いち早く考えたことを世に残しておこうと思ってここに書きました。一回しかやったことないんですけど、ビビッときました。

−表紙の話も伺いたいんですが、表紙の女性の絵はどなたの作品なんでしょう。

1960年代に、イギリスで活動したポップアートの作家、ポーリン・ボティさんの作品で、ローリング・ストーンズとも関わりがあったみたいです。彼女は20代の時、これからいっぱい活躍する時に癌で亡くなられたようで、あんまり作品数は残してないんですが。この絵の中の女性は本人ではなくて、確かテキスタイル・デザイナーか何かで有名な人で、ボティの友人で、後ろにエルヴィスとかの写真が貼ってあるんですけど、「彼女が好きだったヒーローたち」っていう絵です。

−この絵にした理由は?

最終的には直感としか言いようがないんですが、インターネットで探している中で見つけました。この作品はポルトガルのリスボンの美術館から借りてもらったんですけど、これを見た時に「これしかない!」と思いました。言語化は難しいですけど、エルヴィスも写ってるし、”無常観”みたいなものにもピンと来ました。

−なるほどですね。では最後に訊きたいんですが、今後も文章を書いていく予定はありますか?

こういう方式は調べたりも大変なので、対象人物がいないエッセイとか書いてみたいなという気はありますが、今のところ全く予定はないです。

−やけのはらさんが書く小説やフィクションにも興味があります。

書いてみたいですけど、あんまり本読んでいないんで勉強中ですね。ただ、小学生の時は漫画家になりたかったですし、音楽も絵も、文を書くことも創作という括りで同じと言うか、どれも興味はあります。たとえばミュージシャンでも、本は全く読まないとか他の表現や他人の表現に全然興味がない人もいますけど、ぼくは、メディアが違っても人が何かを作ったり表現すること、創作物全般に興味があるタイプなんです。だから、音楽をずっとやってきたので、人間の時間も限られていますし、音楽で手一杯で、文を書いたりは、あんまり出来てなかったんですけど、いつか本を出したいなとかはずっと昔から思っていました。興味はあるけど今までやれなかった新しいことにもチャレンジしてみたい気持ちもあります。だから小説とかも、勉強や鍛錬も必要ですし、中々書けないですが、いつか書いてみたいなと思っています。


やけのはらさん、ありがとうございました!

(*このインタビューは、2018年10月28日(日)にHMV&BOOKS SHIBUYAで行われたトークイベントを再構成したものです)

著者:やけのはらさんについて

やけのはら『文化水流探訪記』インタビュー
やけのはらさん ©武政涼

1980年、神奈川県生まれ。DJやトラックメーカー、ラッパー、執筆業など、多様なフィールドを確かな審美眼と独自の嗅覚で渡り歩く。「FUJI ROCK FESTIVAL」などのビッグ・フェスティバルから、アンダーグラウンド・パーティーまで、10年以上にわたり、日本中の多数のパーティーに出演。2013年にリリースした楽曲「RELAXIN’」のMVが、「第17回文化庁メディア芸術祭」で新人賞を受賞。勉強家、見習い。「猫またぎ」を研究中。

関連記事

やけのはら Twitter
やけのはら Instagram
YAKENOHARA WEB
YAKENOHARA SOUND CLOUD