ギャラ交渉も航空券手配も自分で。格闘家・青木真也が語るフリーランスとしてのキャリア論

青木真也は恐怖の人だ。

いかつい格闘家ということではない。恐怖心を燃料にして生きられる人間なのだ。子どものころから夏休みに出される宿題は、最初の1週間に終わらせてしまうタイプだった。「怖がり」だからだ。

今34歳。プロの格闘家として将来のキャリアに対する不安感が出始める年齢だが、悲壮感とは無縁なのだ。

青木真也選手

「最近は格闘技への注目も薄れ、スマホでの撮影も多くて。きちんとした形で撮影してもらえるのはありがたいです」と青木は話す。

試合後に号泣した理由

2015年5月、シンガポールでの試合を終えた青木が、日本へ戻る飛行機を空港のラウンジで待っているときのことだった。

「いまだに覚えているんですよ。『あぁ、やっと終わったんだ』と、涙がグワーッと出てきて、ものすごい安堵感があったんです」

プロの格闘家の道へ足を踏み入れた直後に、関係者から言われた言葉で忘れられないものがある。

「引退までに1億円を稼いでいなければ、プロのアスリートをやる意味がないよ」

格闘家だけでなく、スポーツの世界は、現役時代に「どれだけ稼げるか」で将来が決まると言っていい。その半面、勝負のプレッシャーからか、稼げば使いたくなるのもこの世界。特に格闘技の世界では、ファイトマネーを手に、試合後に後輩たちを引き連れて夜の街を練り歩き、豪遊するタイプも少なくない。宵越しの金は持たないという考え方がもてはやされがちな世界でもある。

でも、青木は違う。豪快さを体現するようなライフスタイルとは無縁だった。

「僕がもし死んでも、3人の子どもたちを含めて家族は困らないなという金額を計算しました。その金額は残しておきたくて。思えば、その数字と戦い続けていましたね」

具体的な数字は明かさないが、その目標額に達したのが、2015年の5月だったのだ。

青木真也選手

「練習と試合は別物」と意識して練習に臨む。

試合になれば本気のパンチやキック、寝技が繰り広げられるのが総合格闘技だ。現役で活動できる期間は決して長くない。契約を結ぶ団体があるとはいえ、終身雇用なわけではもない。他のプロのアスリートがそうであるように、職種としてはフリーランスとなる。

「プロのアスリートだから、周囲の人たちにお膳立てしてもらう」。青木はそんな生き方とは正反対の道を歩んできた。マネジメントを任せている人もいない。海外での試合のときにホテルから航空機のチケットの予約、請求書の発行も全て自分。ファイトマネーの交渉、スケジューリング、練習場の確保など環境を整えることも、全て自らが担ってきた。「フリーランスで働く社会人」としての感覚が青木にはあった。

「アスリートって、そもそも格好つけるじゃないですか。でも、競技を辞めたら『ただの人』。以前は、『俺は他とは違うアスリートなんだ』と思ってましたよ。交渉をしてくれる代理人もつけて、スポーツ誌「Number」に出てくるような本田圭祐的な世界観に憧れていました。でも、どう逆立ちしても、その規模の感じにはならない。それならもう、開き直ろう、みたいな感じですね」

「アスリートの人が、『請求書はどうしますか?』とか、聞かないでしょう(笑)。自分は個人事業主というか、フリーランスなのだと言い聞かせて、偉そうにするのはやめようと思ったんですね」

ファイトマネーは12分割の月給で

青木が早稲田大学を卒業時に選んだのは、地元静岡で警察官として働く道だった。

だが、大学卒業を間近に控えていた時期に、飛ぶ鳥落とす勢いだった格闘技団体のPRIDEからオファーが届く。当時は、PRIDEをはじめとした格闘技の人気はすさまじく、試合はゴールデンタイムに放送され、大晦日の人気コンテンツとしても定着していた。紅白歌合戦の瞬間視聴率を上回った番組もあった。

一度は警察官になったものの、格闘技を思う気持ちは強かった。そこまでの地位を築いている団体ならば……。就職からわずか2カ月で退職して、プロの格闘家として歩むことに。

ファイトマネーのもらい方も青木流だった。普通は試合ごとに一定額のファイトマネーをもらえるのだが、それを1年間、12分割する形で月給制にしてもらうよう交渉した。

「持っているお金もそんなになかったですし、毎月の収入がないと不安で練習ができなくなると思ったんです。明日食べていくのにも苦労する生活をするという恐怖心があったんですよ」

好きな格闘技に取り組みながら、毎月“給料”が振り込まれる。青木には明るい未来が待っている……はずだった。

所属団体の突然の消滅

しかし、10カ月もたたないうちに、PRIDEがアメリカの団体「UFC」に買収されてしまう。そして、ほどなくして消滅してしまった。公務員という安定した職業を捨てて飛び込んでいただけに、ショックは大きかった。所属している団体がなくなるなんて、考えもしなかった。

青木真也選手

格闘技の話をするときには表情がほころぶことも。

その後、新しく設立された団体DREAMに籍を移す。そこでも青木は慎重だった。契約時には、ファイトマネーの振込日もきちんと確認した。格闘界では振込日に支払われないこともよくある。予定日から1日でも振り込みが遅れれば、すぐに事務所に電話をして、抗議もした。ファイトマネーを試合前に半分もらい、試合を無事に終えたら残りの半分をもらう約束を取りつけたこともある。

「K-1の運営母体が倒れたりと、日本国内がバタバタした時代だったんですよ。ファイトマネーの未払い話もぽつぽつ聞かれて。声が小さい人が後回しにされるものなので、ともかく声高に騒ぐタイプでしたね」

とはいえ、かつてのPRIDEのような栄光が訪れることなく、2012年に入ると経営が傾き、年末に倒産してしまう。だが、倒産の連絡があっても、今度は驚かなかった。過去の苦い経験があったからだ。

2012年7月にシンガポールを拠点とするONE FCと契約した。PRIDEを買収したUFCからもオファーがあったが、ONE FCの方がはるかに良い条件だった。以降、試合の舞台は海外だ。

やりがいを搾取する仕組みでは衰退する

PRIDEやDREAMがなくなったとき、多くの格闘家が路頭に迷った。格闘技から離れた者もいたし、安く買いたたかれるようなファイトマネーで戦っている者もいた。青木は彼らとは何が違ったのだろうか。

一つには先に挙げたような、恐怖心から来る周到な用意があったことだ。もう一つが、“ある”モチベーションだった。

実は青木は大学在学中にも修斗という格闘技団体に所属していた。当時のファイトマネーは、1試合で最高でも20万円。試合前にはそれなりのトレーニングが必要だから、毎週試合というわけにはいかない。食べていくには程遠い状況だった。

好きなことをやっているから、収入が伴わないでもいい。そんなやりがいや好きな気持ちを搾取するような仕組みが嫌だった。大学時代の同級生たちが一流企業に就職し、「青木は好きなことをやっているんだから、収入が少なくてもしょうがないよね」と同情されるのも耐えられなかった。

「搾取されていくと、その世界は衰退していくんですよ。それは悲しい。自分の好きなものは栄えてほしいという気持ちがあるんですよ。それは業界をより良くしたい、というような大義ではない。みんなが幸せになってほしいと思うシンプルな考えというか、そういう博愛主義観はあるんでしょうね」

青木真也選手

キャリアのなかで大きなケガをしないように予防してきたことも、長く現役を続けられている要因だ。

現在は34歳。5年ほど前からは年齢も考えて、あえて試合数を減らしている。代わりに、1試合あたりの単価を上げる交渉をした。

「2012年くらいから身体的にも気持ち的にも少ししんどい部分も出てきて、単価を上げてもらう交渉をしました。それがすごくうまくいった面はあるんです。例えば、大きい試合を年1回にすると、露出が少ない分だけ1試合当たりの値段が上がるものなんですよね」

格闘家としての折り返し地点は過ぎていると自覚している。だから、今はある不安と向き合いつつ、次の道をも見すえている。

「37歳くらいまでに格闘技の試合をしつつ、それ以外の楽しみも見つけていかないと、と考えているんです。格闘技を引退するときは必ず来るわけですから。何か熱中できるものを見つけておかないと、極端な話、自ら首をくくってしまうんじゃないかなと思うんですよ。スポーツ選手にとって、試合以上の興奮を得られるものはない。だからこそ、ここ2、3年は格闘技を真剣にやる期間にしつつも、別の熱中できるものを見つける期間にしようと思っています」

11月24日にシンガポールで行われた「ONE Championship」でこれまでよりも1階級あげて試合に臨んだが、無敗の王者アメリカのベン・アスクレンに敗れた。試合後、改めて青木に聞いた。

「9月の試合決定からの濃密な2カ月半を過ごしました。結果は1分弱での敗北でしたが、2カ月半の間、どうしたら勝てるかと過ごす日々は充実していたし楽しかった。結果はどうであれ自分の物語は続いていきます。明日もまたこつこつと自分にできることをして生きていきます」

いつも勝てる訳ではない。それでも青木はこう話す。

「僕は生きていくのは、つらく、苦しいことだという認識です。そんな苦行を和らげるものが家族であり、格闘技であり、仕事なんですよ」

(文中敬称略)

(文・ミムラユウスケ、撮影・今村拓馬)

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