キミはAphex Twinを知っているか? 一から学ぶテクノビースト伝説:『Syro』発売に寄せて

13年ぶりにリリースされた、“テクノビースト”Aphex Twin(エイフェックス・ツイン)の最新アルバム『Syro』。いまぼくらはその音楽をどう受け止めればいいのか? そもそもエイフェックス・ツインって何者なのか? 『ele-king』編集長の野田努、音楽ライター三田格両氏による対談を、可能な限り生の状態で、お届けする。
キミはAphex Twinを知っているか? 一から学ぶテクノビースト伝説:『Syro』発売に寄せて
PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

エイフェックス・ツイン(以下、エイフェックス)こと、リチャード・D・ジェームスとは何者か。

三田格曰く、最新作『Syro(サイロ)』リリースにあわせたインタヴューにおいて、かつて社会との関連性を否定していた彼は、「世の中を本気で変えたいと思っている」と語ったと言う。そして、かつて自分を動物にたとえて「パンサー」だと言っていた彼は、いま改めて、「カモメ」だと答えたとも。

その対話の最後の瞬間、リチャードが考えに考えて出したもうひとつの答えは、三田による『ele-king Vol.14』掲載予定の記事を待つとして、本記事では、エイフェックスとは何者なのか、という基本のキに、野田努と三田との対談でふれていこう。


<strong>13年ぶりとなる新作、ついにヴェールを脱ぐ</strong> 『Syro』Aphex Twin(Warp Records / Beat Records )

[リチャード・D・ジェームスのソロプロジェクト、Aphex Twin。2001年の『Druqks』以来、約13年ぶりのアルバムは、フリーソフトのTorブラウザーを使用したプロモーションなど、リリース前から話題を喚んでいた。(iTunes Storeはこちらから)](http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00MVR4XAI/condenetjp-22/)


そもそもエイフェックスってすごいんですか?

三田格(以下、三田) まず彼は、どんどんイメージが変わっていったじゃない。

野田努(以下、野田) 大きく分けて2回、あるよね。

三田 日本にエイフェックスが紹介されるようになったときはすでに、ギャグのキャラクターとして広まっちゃったところがあるじゃない?

野田 「On/On Remixes」(1993年)までが第1期、そして『I Care Because You Do』(95年)以降が第2期、という感じだね。

三田 ぼくらにはその95年から遡って3〜4年前の、非常にシリアスなエイフェックスをずっと追いかけている時期がある。この時期にエイフェックスと向き合ったかどうかで、彼の印象はずいぶん違うんじゃないかと思う。

野田 本当にそうだね。だからエイフェックスを好きだって言うとき、『Selected Ambient Works 85-92』(92年)をリアルタイムで聴いた人たちと、『I Care Because You Do』以降の、歪んだビートと悪趣味的なものも混じったエイフェックスを好きになった人とでは感じ方が変わってくる。

三田 というか、当初のイメージからすると、あんな風になるとは思わなかった(笑)

野田 ほんとに。真逆のキャラクターをひとつの時系列のなかで演じたというかね。初期のエイフェックスはシリアスというか、よく臆面もなくここまでドリーミーな音楽をつくれるかって人だったからね。

野田努(写真/左)、三田格(写真/右)の両氏。

三田 「Digeridoo」(92年)が出たときに、ぼくはエイフェックスのことを『NME』で知ったんだけど、そもそもNMEがクラブ系のミュージシャンを1ページも使って紹介することが初めてだったのね。それが発売される2〜3カ月前から盛り上がっていて。「Digeridoo」自体も、のちのち聴くと、そのたびに違って聞こえるという不思議な曲で。それから3カ月後に出た『Xylem Tube EP』(92年)に収録されていた1曲目「Polynomial-C」もイメージががらっと違った。バロック調のピアノなんかも入っていて。この人はどうなっちゃうんだろう、ファーストアルバムはどうなるんだろうって思っていたら、その年の暮れに出たのがアンビエントものだったんで、最初はがっかりしたね(笑)。

野田 あ、そう?

三田 彼のテクノの集大成が来ると思ってたら、なんだ、アンビエントかって(笑)。

野田 エイフェックスが出た当時、テクノ好きのなかでは「白、黄色、茶色」っていう言葉があったね。茶色が「オービタル」、黄色が「ハードフロア」で、白が「アンビエントワークス」。とにかく3枚そろえれば、いまのテクノが分かるっていう触れ込みがあった。それ以前は、UKロックメディアが推していたUKテクノって、LFO(91年結成)だったでしょう? 彼らはどちらかというとクラフトワーク系でさ、さらにもうひとつ、バンド系の808ステイト(88年結成)もいて。対するエイフェックスはソロだった。その、「1人」っていうのが、大事だったんだと思うよ。ポリゴン・ウィンドウ(リチャードの別名義)でのクレジットを見ると、“プロデュース、アレンジ、ミキシング&〜 BY リチャード・D・ジェームス IN コーンウォール”って書かれいてて、とにかく自分のベッドルームで生まれた音楽だということが強調されていたじゃない。

野田努|TSUTOMU NODA
1963年、静岡市生まれ。1995年に『ele-king』を創刊。2009年の秋に宇川直宏に活を入れられてweb magazineとして復刊させる。著書に『ブラック・マシン・ミュージック』『ジャンク・ファンク・パンク』『ロッカーズ・ノー・クラッカーズ』、石野卓球との共著に『テクノボン』、中原昌也『12枚のアルバム』、編著に『クラブ・ミュージックの文化誌』、『NO! WAR』など。

日本での、エイフェックス

野田 日本の80年代にはYMOがいたので、いわゆるテクノポップ・ファンがいたんですよ。例えばディスクユニオンにもテクノポップのレコードがそろえてあって。

三田 うんうん。

野田 ジャーマン・ニューウェーヴとかデペッシュモードとかさ、いわゆる“ニューウェーヴ時代のシンセポップ”みたいなものが、ものすごく揃っていたけれど、90年代前半当時はハウスには距離を置いていたんだよね。エイフェックスが出てきたとき、YMOやクラフトワークを80年代に好きだった人の多くは、聴かなかったと思う。エイフェックスは、ハウスの文脈で聴かれていたんだよね。

三田 そういえばエイフェックスのレコードを買ったときに、店内でデペッシュモードの「People Are People」がかかってたのを憶えてる。

野田 そこには明らかに乖離があったじゃない。エイフェックスをテクノだと位置づけることに違和感をもっている人はいたし、それはいまもいると思う。それにエイフェックスのイメージってやっぱり、ロボティックでもマシナリーでもなく、ガキっぽくて、しかも、どちらかというと森とか田園とか、牧歌的なものだったと思うしね。

三田 『Selected Ambient Works 85-92』には最初、「えっ」て感じだったけど、聴いているうちにこういう側面もいいかな、と思うようになっていった。当時はまだアンビエントってシーンではなかったから。93年になってはじめて“アンビエントブーム”っていうかたちでメディアが記事にし出してきて。エイフェックスも、それは先導している感じになって。

野田 完全にそう。『Selected Ambient Works 85-92』は、ア・ガイ・コールド・ジェラルド(808ステイトのオリジナルメンバー)の流れもあるし、時代感覚としてはマイ・ブラッディ・バレンタインの『Loveless』の流れもある。要するに、ハウスであり、サイケデリックミュージックなんだよね。だから、あの音楽はブライアン・イーノにもクラフトワークにもつくれない。89〜92年という時代を共有した人間でないとつくれない音楽だ、という印象がある。本当にサイケデリックで、単にメロディがきれいなアンビエントとか、そういうんじゃない。

三田 そうそうそう。

三田格|ITARU MITA
ロサンゼルスで生まれ、築地の小学校、銀座の中学、赤坂の高校、上野の大学に入り、新宿の本屋、御茶ノ水の本屋、江戸川橋の出版社、南青山のプロデュース会社でバイトし、原宿で保坂和志らと編集プロダクションを立ち上げるもすぐに倒産。2009年は編書に『水木しげる 超1000ページ』、監修書に『アンビエント・ミュージック 1969-2009』、共著に中原昌也『12枚のアルバム』、復刻本に『忌野清志郎画報 生卵』など。

第1期、『Selected Ambient Works 85-92』

野田 『Selected Ambient Works 85-92』を繰り返し聴いてみて、あれがカセットテープで何度も録音されたものだということが、重要かなって改めて思うよ。当時はハードディスクレコーダーなんてものはないし、彼は自宅で、自作の機材を使っているんだよね。イギリスのコーンウォールの大学生が、自分のベッドルームでつくる音楽。当時はまだ安かった303や606、自分でつくったエフェクタみたいなもので、カセットテープに録音してつくっていたんですよ。

三田 だから「音が悪い」なんて思わなかったよ。いまだにCDで聴いたことがないんだけど、リマスター盤が出たときに「(リリース時は)音が悪かったので」なんて書かれていたけど、そうだったのかって思ったくらい気にならなかった。

野田 アナログ盤で聴くと、音がすごくこもって聞こえるんだよね。

三田 それがいいんじゃない。

野田 クラブのサウンドシステムで聴くと、あのこもり方がよくわかるし、とにかく低域がすごい。いまでいうサブベース。ブーンって響くようなね。あの低域は、カセットテープじゃないと絶対に出せない。

三田 だからいま、アメリカあたりでドローンをやっている人は、みんなカセットに録音してるんだよね。リチャードのやり方は早かった、とも言える。

野田 すごく臆面もなくドリーミーなトラックをつくる一方で、奇抜な音もたくさん出しているし、BPM160のハードアシッドトラックの「Digeridoo」を世に出している。彼のダンスミュージックに対するアティテュードは、当時としてはすごくラディカルで、賛否別れるものだったけど、結果を言えば、フロアでも受けたんだよね。

レイヴ、ハウス、IDM

三田 さっきから野田くんの言う「臆面もなく」って表現が気になっているんだけど。ぼくは、「無邪気に」って言うほうが合っていると思うな。

野田 時代性が大きいんだろうけど、あんなロマンティックな音楽は、いまつくろうと思ってもつくれないでしょ。あえて荒削りな音を出したり、彼にはいろんな側面があるけど、ともかくおれは、ものすごくロマンティックな音楽をつくるときのエイフェックスが、最高にいいと思ってる。ポリゴン・ウィンドウは、もはや時代は、いわゆるレイヴカルチャーじゃないだろうというアンチテーゼだった。12インチのアナログ盤ではなくて、1枚のアルバムを通して聴く“エレクトリック・リスニング・ミュージック”をやっていくんだっていう意志があって、IDM(Intelligent dance music)と呼ばれるムーブメントのきっかけにもなるんだけど。ポリゴン・ウィンドウは、その前にリリースされた『Selected Ambient Works 85-92』と比べて、ハウスの要素を差し引いているじゃない。

三田 リチャード自身は、レイヴそのものに距離を感じているんでしょう? というのも、彼はミックスCDを絶対にリリースしないって宣言してる。

野田 それはさ、レイヴカルチャー自体が、リチャードが有名になり出したころにはすごくコマーシャルになっていたからだと思うよ。それに彼は、ハウスミュージックの文脈をひきながらも、ハウスミュージック的なグルーヴをもたない人だから。だからハウスが好きな人からすると、なんじゃこりゃ、だよね。

数限りない、ウソ

野田 92〜94年にかけて、彼は変名も使いながら、ものすごい量の音源を出していった。あの、短期間の濃度たるや、すごかったよね。

三田 そうだね。聴いている方としては、だんだん疑心暗鬼にかられてくるんだよね。これ、ほんとにエイフェックスなのかなって。誰かがウソついているんじゃないかなって。

野田 『Selected Ambient Works Volume II』(94年)は、どうだった?

三田 リリースされた頃に、ちょうど(石野)卓球の家にいて。それで、当時創刊されたばかりのクラブミュージックの雑誌に載っていたレヴュー記事を2人で読んだらもう、ぼろくそに書かれてて(笑)。それを見て卓球は、「そろそろこういうのが出ると思ったね」って言ったんだよね。それに影響されたのか、すぐはよくわからなかった。

野田 おれはもう、世紀の最高傑作のひとつだと思ってるよ。何がいいかって、サイケデリックミュージックとして捉えたとき、キックドラムの音が、自分の心臓の鼓動みたいに聞こえるじゃない! あれは、トリップ状態をそのまま表現しているとしか思えない。

三田 まさに、そう。何かのインタヴューで、彼が「夢で見た音楽を記憶の通りにやっているだけ」って語っていたのを読んで、そういうふうに聴けばいいのかって思った。

野田 いや、あれはどうもウソみたいだよ。当時の彼はメディアでもて囃されて、とくに『NME』の持ち上げ方がすごくて、“テクノ・ジーニアス!”だとか“テクノ・モーツアルト!”だとか“ワンマン・クラフトワーク!”だとか、とにかく天才だって言われていた。彼はまだハタチくらいで、しかもこんなに美しいメロディをつくってしまうっていうんで、メディアは盛り上げてね。結果的に彼は、メディアへの対応がシニカルになっていくでしょう? そのなかで、高名な評論家のデヴィッッド・トゥープ相手に、「夢のなかで作曲したんだ」なんて言って。

三田 確かに当時の彼は、ウソばっかり言っていたみたいだよね。あとになって、「自分はライヤー(liar)だった」って言っているくらい。

野田 「ON」までがロマンティックなエイフェックス時代だとしたら、その後『I Care Because You Do』以降の、自分をネタにした悪趣味路線に入る、その兆しはこのあたりにあるんですよ。

純真、朴訥、苦しみ

三田 まあ、でも、純真な人だよね。当時のレイヴカルチャーはまだアンダーグラウンドで、エイフェックスがいわゆるポップフィールドに出てくるのは、 もっと後だよね。

野田 よく覚えていることがひとつあって。1995年かな、当時有名なロンドンのテクノのパーティーに行ったとき、メインフロアではロラン・ガルニエがプレイしていて、セカンドルームにエイフェックスがいた。聴きに行ったらさ、フロアにビヨークがいたんだけど、客はおれとビヨークとその友だちくらいしかいないような不人気ぶり(笑)。ポップアイコンといっても、いわゆるアイコン然としたものとは違っていて、クラブの現場ではマイナーだったし、アンダーグラウンドだったんだよね。彼がポップアイコンになったのは、時代との巡り合わせが無視できないと思う。もうロックスターをちやほやする時代は終わったというなかで、自分の家でDIYで音楽をつくっている名もない若い青年がいる。こういうやつが時代を更新していくんだっていう気運が、メディアにはあったでしょう。

三田 イギリス人の好きそうな、典型的なタイプかもしれないけれどね。社交が苦手で、みたいなさ。

野田 今回のアルバムに予算が書かれているのはなぜだろうって考えたんだけど。それはきっと、自分がデビューしたときのシーンはもっと純粋だったって言いたかったのかなって思うんだよね。

三田 肥大していくイメージには苦しんでいたのかもしれない。あるインタヴューで、いままでのベストパフォーマンスは何かとを訊かれて、彼は「知らない人の結婚式に出前で音楽をやりに行ったとき」だと。それが「ものすごく楽しかった」って。自分の手の届く範囲っていうのには、ものすごくこだわっているね、ずっと。今回の『Syro』についても、事前に聴かせたのは自分の子どもと、その友達だけって言っていて、なるほどねって思ったな。

おれが好きな、エイフェックス

野田 おれはどっちかというと、第1期が好きなんだけど、三田さんはどう?

三田 どっちかと言われればそうだけど、「Windowlicker」(99年)も好きだよ。追いつめられて、自分のパブリックイメージのなかで遊ぶしかなくなって、自分の顔をいじり過ぎて、あまりにもグロテスクでさ。「こんなにイヤなものになっても離れないのか?」というメッセージなんだろうけど、それがまた受けてしまう。肥大した自分のパロディをやったのに、世界に受け容れられてしまうという。

野田 その姿をどう評価するかって、ものすごく難しいよね。

三田 そう。その後リリースされる『Girl/Boy EP』(96年)は、彼の作品のなかのひとつの完成型だと思うけど、完成してしまうということは少し退屈にも感じる。未完成なままローリングしているときの方が惹かれたかな。

野田 「ON」までは、ピアノをつかったロマンティックな曲。その前のアルバムが『Selected Ambient Works Volume II』で、ビートが入っていない。シーンとしては、93年くらいからアンビエントサマーとか言われて、エイフェックスの真似をしてみんながアンビエントをつくり出すんだよね。そのブームの裏をかくようにして、グリッチ・ビートを強調した『I Care Because You Do』が登場するんだよね。当時はみんなエイフェックスにキレイな音楽を期待していたんだよね。けれども、ものすごく汚い音楽、いわゆるグリッジホップ、ドリルンベースを出していく。

三田 彼がシーンにどんな影響を与えたかというと、結局、レイヴカルチャーに対する異化効果が高かった気がする。レイヴってピンキリで、ダンスクレイズみたいなところとは違う聴き方をクラブシーンにもってきた人だと思う。

野田 おれはまったく正反対。レイヴカルチャーが生んだ、UK音楽の最高峰のひとつ、という感じかな。アメリカの『Pitchfolk』はやたらとポリゴン・ウィンドウを評価するじゃない? それは、UKのセカンドサマーオブラブみたいなムーヴメントがアメリカになかったからじゃないかと思っていて。まさにベッドルームでつくったIDMみたいな文脈でしか評価できないと、ポリゴン・ウィンドウになっていくというか。『I Care Because You Do』は、レイヴに対する異化作業かというと、単純にはそうも言えない部分もあって、やっぱり、ダンスミュージックじゃない。ただそこには、レイヴに対する甘い想いとシニカルな想いとが混在していると思うんだよね。

時代に取り残された2000年代

野田 一番微妙なアルバムは『drukqs』(2001年)でしょう。

三田 あれは何をやりたかったのかよくわからない。

野田 やっぱり、時代と彼の感覚とが離れていったんじゃないかな。彼が切り拓いたIDMやドリルンベースで、ほかにスゴイ人たちが出てきた。「Windowlicker」まではつきあっていたけど、そのあとは、もうつきあえなくなってきたじゃない。爆笑したけど、そのあとに何も残らなかったっていう。

三田 そのころになると、仕上げが雑で、途中で放り出している感じがする。繊細さに欠けるというだけでなく。

野田 時代から取り残されている感覚は2000年代、ずっとあったからね。

三田 彼の言う、音楽をつくりたいけどマテリアルをつくりたくない、というのは本音なんじゃないかなって思うところがあって。はじめてインタヴューしているころからずっと彼は言っているけれど。

野田 『Selected Ambient Works 85-92』を出したころから言われていることだけど、彼は一日中音楽をベッドルームでつくっている、と。実際それは本当だと思うんです。ひたすら作り続けているイメージがあって、初期のころの無邪気さを考えると、自分がどう見られたいのかってことは一切考えていなかった感がするじゃない。田舎育ちの、朴訥とした青年だったわけで。それが、ある時期から素直な出し方をしていない。だから、リリースするにはそれなりの契機がないと出せない人なのかなと。

9月24日発売の日本盤には、限定となるボーナストラックが追加収録されている。

いま、エイフェックスを聴くべき理由

野田 『Syro』は、90年代後半の、セルフパロディで悪意を込めてリリースされた作品とは違っているじゃない?

三田 まったく違ったね。

野田 それは正解だったと思ってる。ジャケットもなるほど、象徴的な“a”マークで来たかって。考え方によっては、「ON」以来、ようやく素直に出せたアルバムなんじゃないの?

三田 まったくそうでしょう。今回はまず、まとまりがいい。

野田 すごくいいんだよね。いままでにないくらい。

三田 つくりこみ方にも、落ち着いた感じがあって。『I Care Because You Do』の“You Do”が、彼のなかからようやく消えてくれたんじゃないかなって。

野田 そんな気がする。ある種、コーンウォール時代に戻れたっていうね。そもそもエイフェックスが当時、なぜそこまで評価されたかというと、極論言えば、LFOや808ステイトが模倣に過ぎなかった一方で、エイフェックスには自分の音があったからじゃないかって。

三田 LFOのファーストシングルが出たとき、デリック・メイが『NME』でシングルの紹介コーナーを担当していて、「これは全部デトロイトテクノがやってきたことだ、まったく新しくない」って言っていて。LFOのシングルをめちゃくちゃけなしたんだよね。当時のUKレイヴカルチャーはムーヴメント優先だから「モノまねでいい」というのが合言葉だったんだけど、そういう意味では、はじめて作家性を出した人なのかも。

野田 USのインディーシーンではずっとここ10年、打ち込みの音楽がすごかったでしょう。UKで90年代に起きていたことがようやくUSで一気に拡大して、そのなかで何が契機になったかというと、エイフェックスはその大きなひとつなんだよね。USのアーティストにインタヴューすると、大学時代にエイフェックスを聴いていたって言うんだ。それはとくにここ2年くらいで、ただ、たぶん5年前にはエイフェックスの名前は出てこなかったと思う。

三田 この5、6年で西海岸がレイヴカルチャーに突入していった当初、アメリカの白人たちはやっとデトロイトテクノを発見するんだよね。いったんヨーロッパを通らないと伝わらない。

『Syro』、13年ぶりのアルバム

三田 2、3回聴いて思ったのは、これはダンサブルな『Selected Ambient Works 85-92』だなと。第1期エイフェックス・ツインに戻ったけれど、当時のような無邪気さだけではなく、大人っぽいところもあって。

野田 悪意のあるユーモアではなく、ほんとにユーモラスな曲もあるでしょう? 今回のアルバムは、だから彼が無心でつくれたんだろうなって。簡単に言えば、ピュアな作品だとおれは思えたな。

三田 『Syro』には、突拍子もない曲は入っていないし、同指向のものをきっちりコレクトしてつくってあって。意味もなく人を驚かせたいという子どもじみた気持ちもなくなっているのかもしれないなって。

野田 クラフトワークがさ、91年に『The Mix』ってアルバムを出すじゃない。彼らはダンスカルチャーに触発されて、昔の曲をミックスし直して出すわけだけど、『Syro』はあれにあたるのかなって気がしない?

三田 自分の過去の持ち味を、洗練させてリプレゼンテーションするっていう感じ?

野田 共通しているのは、音色なんですよね。LFOなんかがつくる音は、結局アフリカ・バンバータたちのようなデトロイトテクノ、シカゴアシッドハウスと同じじゃんって受け取られた。でもエイフェックスは、あのゴボゴボしたベース音、ポリゴン・ウィンドウで聴かせてくれる最初のベース音みたいなものがあるじゃない、あれをつくったのが、ひとつの発明なんじゃないかって。

三田 『Syro』は、誰の音楽か知らされなくて聴いても、エイフェックスだと分かったと思うよ。

野田 あの、ちょっとエコーがかかったバウンシーな音、だよね。それが彼にとっての「アナログバブルバス」っていう言葉で表現される音なのかって思うんだけど。まさに電子の泡みたいな音が、出てくるじゃない。たぶんあれをつくったときに、エイフェックス・ツインは成功したんじゃないかって思うんだけどね。

三田 コーンウォール、ゆえの音なのかな。真似できた人すらいない気がする。だから、よく復活してくれた!と思います。

冒頭にも紹介したとおり、『ele-king Vol.14』は「エイフェックス・ツイン特集号」。三田によるリチャード・D・ジェイムスのインタヴューほか取りそろえ、10月15日に発売予定。

<strong>初エイフェックスの人も、チェック!</strong> 『Syro』Aphex Twin(Warp Records / Beat Records )

[リチャード・D・ジェームスのソロプロジェクト、Aphex Twin。2001年の『Druqks』以来、約13年ぶりのアルバムは、フリーソフトのTorブラウザーを使用したプロモーションなど、リリース前から話題を喚んでいた。(iTunes Storeはこちらから)](http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00MVR4XAI/condenetjp-22/)


PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

TEXT BY SOTA TOSHIYOSHI