The 100 Heads-up Issues #067

日本車 vs ドイツ車のデザイン──〝普通〞を怖れるな!

トヨタ・プリウスをはじめ、近頃多い煩雑なデザインの日本車に不満の自動車ジャーナリスト岡崎五朗氏と、デザイナーとして日産、アウディで活躍し、A5でのデザインで数々のアワードを獲得、現在はフリーのデザイナーとして活躍中の和田智氏が日独のデザインについて語り合った。
日本車 vs ドイツ車のデザイン──〝普通〞を怖れるな!

本稿は2016年10月発売の増刊号『GQ CARS Vol.2』に掲載した記事です。

和田氏がデザインした2007年発売のアウディA5。 アウディは90年代のアウディ80クーペ以来、久しくこのクラスにクーペモデルをラインアップしていなかったが、このA5で復活した。和田氏は自らがデザインした一連のモデルにシングルフレームグリルを採用。ひと目でアウディとわかるその印象的なデザインは、現行モデルにも引き続き採用されている。
和田氏がデザインした2007年発売のアウディA5。 アウディは90年代のアウディ80クーペ以来、久しくこのクラスにクーペモデルをラインアップしていなかったが、このA5で復活した。和田氏は自らがデザインした一連のモデルにシングルフレームグリルを採用。ひと目でアウディとわかるその印象的なデザインは、現行モデルにも引き続き採用されている。
和田氏が本文中でその大切さを強調していたプランビュー。確かに上から見ると、タイヤの位置が理想的な場所に絶妙な張り出し具合で配置されているほか、ボディによけいな抑揚やラインが一切ないことがよくわかる。

プロダクトデザインのあるべき姿とは

岡崎五朗(以下岡崎)─トヨタのプリウス、シエンタ、ホンダ・フィットといった最近の日本車のデザインを見ていると心配なんです。クルマはパーソナルな乗り物ですが、パブリックな存在でもあります。「自分が好きなんだから文句言うな」と言う人もいるかもしれないけど、街中を走るわけですから街との調和とか景観との相性を考えてしかるべきだと思うんです。

和田 智(以下和田)─僕が初めて買ったクルマはG・ジウジアーロがデザインしたフィアット・パンダ4×4です。当時はジウジアーロの存在を知らなくて、後で調べてすごい人だと知ったんです。何がすごいかというと、彼の作品は数が増えて街にあふれてもカッコよくて、全然嫌みがないんですよ。埋没するわけでもなく。作品を街に溶け込ませながら自己表現もできている。ここが天才の技だと思うんです。マスプロダクションの時代になればなるほど、増えるほどに街がきれいになるようなデザインこそが、デザイナーに求められる仕事なんだなと彼の作品から学びました。

岡崎─なるほど。

和田日産アウディで仕事をしてみて、いろいろな違いに気付かされました。まずディレクターの考えがまったく違う。例えばアウディ時代、ワルター(・デ・シルバ)からは日産時代に言われた「売れるクルマをつくれ」というようなことは一度も言われませんでした。皆、とにかく美しいデザインを描くことに努めていたんです。野望もあったと思う。彼とA6、Q7、A5、A7などで一緒に仕事をしましたが、売れるかどうか考えたことはありません。もしも日本メーカーのデザイナーが〝売れるためならなんだってする〞と考えて仕事をしているとしたら、真逆と言いたいです。

岡崎─しかもそれらは結果的にすべて世界的に成功しましたね。

和田─自ずと売れるんですよ。〝PURE〞なんです。売らんかなのデザインじゃないからこそ売れる、というのがプロダクトデザインのあるべき姿ではないでしょうか。

岡崎─プリウスについてお聞きしたいんですが、プリウスは同じトヨタのアクアとベストセラーを争うクルマです。そういう街にあふれるクルマとわかっていて、今回のプリウスのように先鋭的なデザインにしたことを考えると、トヨタデザインが変わってきているのかなと思うんです。和田さんにはどう見えますか?

和田─僕は現役デザイナーなので、なるべく他のデザインの批評はしたくないんですが、聞かれたことに答えるとすると、豊田章男社長の影響が大きいんじゃないですか。ピンクのクラウンがありましたよね。あの頃トヨタが変わったと感じました。僕はアウディでシングルフレームグリルをデザインしたのですが、多少は他社に影響を与え、フロントマスクのデザインのひとつの軸というか定番になったと自負しています。クラウンのあのフロントグリルのデザインを見て、シングルフレームがこういうかたちで影響を与えるのかなとも思いました。レクサスのスピンドルグリルを見ても感じることですが、先にあったものを受けて、それを〝もっともっと〞という感じでふくらませていくデザインともいえますね。

岡崎トヨタはアルファード・ハイブリッドのフロントマスクのデザインで、レクサスのスピンドルグリルに近いようなことをやっています。社内物からの拝借ともいえる。僕はあまりいいことではないと思うんです。

和田─それは現代のクリエイティビティが抱える問題でもあるんです、オリジナルであることは本来非常に重要なんですが、これだけ商品が多数あると、オリジナルであることがむずかしい、という状況があります。

岡崎─それで、オリジナルの〝もっと〞化を進めていくと、女子高生が友達とメイク競争しているうちに、互いにだんだん過激になって、気づけばふたりともヤマンバみたいになっちゃう、というようなことになりかねない。

和田─べつにトヨタだけのことではなくて、最近のモーターショーを見ていると、仮装大賞のようなノリのものもありますね。文化性や余韻のようなものをあまり感じさせてくれず、びっくりさせたもの勝ち、みたいなところがあるのかな、と。で、最近のトヨタ車の場合、退屈なおとなしいデザインにならないように努めるあまり、奇抜なモチーフを多用しているような感じがしています。かつて「80点主義」だとか、デザインがおとなしいとか言われてきたので、そういうことへの反動があるかもしれない。

岡崎─そうかもしれないですね。でも、そうやって刺激的なデザインに走り、やがてそれを反省し、というようなプロセスを経て、素晴らしいデザインができる可能性もありますよね?

和田─もちろんあります。いまは試行錯誤している段階なのかもしれません。この先デザイン面でも尊敬されるメーカーになる道の途中にある、と考えたいですね。

〝ない〞ことを怖がる日本人

岡崎─いったりきたり、両極に振れながら、いつかデザインで尊敬を集めるようになるには、何か確固たるデザインの方向性、言語、表現したいことというのを明確化すべきだと思います。皆がわかるように。トヨタの人にそう言うと「クルマの種類が多いからむずかしいんですよ」と言われてしまうんですが。

和田─これからは〝愛されるクルマかどうか〞というのが大事だと思うんです。家電を愛することはできませんが、クルマは人間に最も近い道具であり、愛することができます。クルマ離れなどが言われるなかで、この先はいかに愛されるデザインにするか、というのがデザイナーの仕事だと思いますね。

──高性能を追求するのではなく、愛される存在を目指すとなると、メーカーのあり方からして変わらなくてはなりませんね。

和田─そうかもしれません。2~3年でマイナーチェンジして4~6年でフルモデルチェンジするような現在のサイクルも変える必要があるかもしれない。いまのデザインは、オートメーション化された生産システムに適したデザインですから。

岡崎─ファッションのように、クルマも半年ごとにデザインが変わったっていいということですか?

和田─いえ、クルマのつくり方、デザインの方法を変えるべきなんじゃないかということです。インハウスのデザイナーは上司から「お前のデザインは普通だな」と言われるのが最も怖いわけですが、VWアウディのデザインはきわめて普通なんですよ。変わったことは一切やっていない。厳格にプロポーションを決め、肉付けをし、タイヤとのバランスを考える。素晴らしい普通を生みだす作業をしています。そうした仕事では、日本車が一生懸命やっているようなスキンデザインの工夫はさほど重要視していないんです。とはいえ、VWアウディでも、新しい世代のデザイナーはむしろ日本的な作業法に引っ張られているようにも見えますけどね。

岡崎─ああ、それはあるかもしれない。

和田─そうでなかったら、ドイツ車のデザインがこんなに「劣化」しないですよ。OBとして言わせてもらうと。

──良くも悪くも日米欧のデザインは互いに影響を与え合うということですね。

和田─その通りです。グローバル化の功罪ですね。話を戻すと、クルマのつくり方やデザインの方法を変えるといっても、大メーカーは急に変われないわけです。世界中に工場があって、投資してきているわけですし。だから、これからはベンチャーがデザイン面でもクルマづくりの面でも重要なポジションを占めていくような気がします。

岡崎─デザインの傾向を見てみると、プレミアムメーカーのほうがシンプルでスッキリしたデザインで、大衆メーカーは線をたくさん描いて目立とうとしているように思えます。

和田─日本人は〝ない〞ことを怖がるんですよ。エディトリアルデザインでもそうだし、クルマのデザインでも、例えばボディサイドの余白が怖いとかね。日本メーカーは、とくに経営陣は、その余白に耐えられないんです。普通に見られるのが怖くて。ドイツはメーカーもユーザーも余白のもつ深みや強さに価値を見出すような教育を受けているんだと思います。

岡崎─そういえば、週刊誌とかは余白が少ないですよね。

和田─デザイン本になればなるほど、グラフィックの哲学や思考が入って、余白は増えます。僕はクルマは鏡面だと思っているんです。ガレージから出てきたクルマがパブリックな場所に出ていって、社会を映す鏡になる。実際に景色がボディに映り込むという意味でも鏡だし、いまの社会の時代的な美意識を可視化している。トヨタ車や日産車のボディサイドにはたくさんのラインがあって、面をねじりまくってます。そうなると、映し出される風景も歪む。なんか、社会を反映しているデザインなのかな、と思ったりします。僕は〝普通の原理〞をドイツで学んで帰国後にいろんな人に話しましたが、わかってくれる人ばかりではありません。

岡崎─たくさん線を引いて複雑な面構成をしたほうがデザイナーがよく仕事をしているということになるのかな? 有名な書道家が、漢字の「一」が一番難しいと言っていたけれど、それと似ているかもしれませんね。

クラシシズムこそ最高の栄誉

和田─A5はオスカーという優れたドイツ製品に贈られるデザイン大賞を獲ったんですが、その際の受賞理由が「究極のクラシシズムだ」というものだったんです。モダンという言葉は一切入ってなかった。当時の僕はそれが不満でした。クラシックだと限定されたことが。まだ僕が日本人の感覚だったからです。日本人のクラシシズムに対する評価はヨーロッパと比べると全然低いですよね。新しいものこそすべてで、過去を振り返るなと。日本車のデザインもそう。〝新しさ〞にとらわれすぎている気がします。トヨタにも日産にもホンダにもせっかく素晴らしいヘリテージがあるにもかかわらず、使おうとしない。僕はことあるごとに日本メーカーの人に言うんです。「まもなくアジアの隣国がいろいろな意味であなた方を追い越しますよ。その時に日本メーカーの財産となるのは先輩がつくったものですよ」と。

岡崎─ゴルフとカローラの違いはそこじゃないですか。

和田─まさに。毎回新しいデザインでやってくるカローラと、前のモデルから激変せず、連綿と続くデザインのゴルフの違いですね。例えば、僕はトヨタ2000GTのヘリテージを用いたクルマをデザインしてみたいですね。あのクルマがあの時代のトヨタから出てきたことは奇跡だと思います。

岡崎─まぁ、前だけ見て新しいものを追い求める時期も必要なんでしょうけどね。

和田─そうですね。ただ時代は変わりました。これからもそれを続けるのは危険です。ある時「A5をクラシックと言われて心外です」とワルターに伝えたら「それでいいんだよ」と言われたんです。「それこそアウディアウディを超えたという評価なんだよ」と言われて気づいたんですよ。クラシックであることは素晴らしいことなんだと。

岡崎─それに対して、新型A5や新型TT、それに最近のBMWにも感じるんですが、どうしたいんだろうなと思うんです。

和田─それは私の最近のドイツ車に対する印象と同じです。

岡崎─和田さんに聞いてみたかったんですが、最近のジャガーはどうですか?

和田─基本的なプロポーションはいい線いっていますし、余白も使えている。あたたかみのある面の使い方もできている。だがまだジャガーとしては物足りない。というのもジャガーがもっているヘリテージは非常に大きいですから、もっとやれると感じるんですよ。

岡崎─僕もすごくよいデザインだと感じるんです。けれど、多くの人が理解できるデザインではないような気もします。いわゆるデザインリテラシーが高くないとよいと思えないんじゃないかと。

──ただ「このデザインをわからない人がダメ」というのは、プロダクトデザインの場合、NGワードのような気もしますが……。

和田─いや、それは表現のしかた次第ですよ。さっき我々が言ったことを否定的にとらえられるのは本意ではなく、前向きにとらえてもらえる言い方やデザインの提案はできると思っています。

岡崎アルファロメオ155を最初に見た時になんじゃこりゃと思い、デザイナー本人にそれを伝えると「君のその感覚は時間が解決してくれるよ」と言われたんです。で、実際どんどん気に入って、最後は買っちゃったんです。そういうデザインがいいデザインだと思うんです。近頃の日本車に多い、最初に見た時に衝撃を受けるデザインは、急速に見飽きちゃったり、増えれば増えるほど嫌になってくることが多い。このあたりにいいデザインとは何かというヒントがあるような気がするんですよね。

和田─90年代のアウディには素晴らしいデザイナーが数多くいて、素晴らしいデザインをたくさん見ました。ただ、インパクトのある新しいデザインを提案すると日本の経営者やディレクターは飛びつくんですが、アウディでは新しいデザインを見せると、まず「セラーへ持っていけ」と言われるんです。しばらく寝かせるわけですね。で、何かの拍子に「この前のあれ持ってこい」と言われる。持ってくるとしばらく眺めて、また戻すよう言われる。そういうシーンを何度も見ました。彼らは新しさに懐疑的なんですよ。多分クラシシズムのほうが大切なんです。新しいデザインが提案されると、これがヨーロッパの文化に根付くことができるかどうかの判断にすごく慎重なんです。

岡崎─新しいアイデアをいくつももって入社した若いデザイナーがアウディに入ったらフラストレーションが溜まるんでしょうね。

和田─そうでしょうね。真のクラシシズムを理解するまでは。そういうデザイナーは日本の会社に行ったほうが最初から活躍できるかもしれませんね。

プランビューこそがデザインを決定付ける

和田─今回、A5のプランビュー(真上から見た図)を手描きしてきたんです。なぜプランビューかというと、アウディは上から見た時にタイヤの位置がどこにあるかということをすごく重視するんです。サイドビューに比べて見る機会が極端に少ないですよね。デザイナーくらいしか意識していない。けれどこのプランビューこそがデザインを決定付けるんです。プランビューと面構成とタイヤの置き方でデザインはほとんど決まってしまうと言ってもいい。日本のメーカーではプランビューを意識することはほとんどなく、多くはサイドビュー(横から見た図)でデザインを決めていくんです。だから実際のクルマを見た時にタイヤの位置がおかしかったり力感がなかったりするんです。

岡崎アウディには守るべきドレスコードがあるということですね。

和田─そうですね。

岡崎─日本のメーカーはどうなんでしょうね。ずっと守ってきた一本の筋というようなものはなさそうですが。

和田─例えば、アウディはA1とA8でクオリティについての考え方は共通なんです。A8のほうが高いので高価なパーツを使えますから、A1のほうがより頑張らなくてはならないんですが、乗った時の充実の度合とか満足感のようなものは同じにしているんです。

岡崎─そこは日本の量産メーカーとは違いますね。冒頭でジウジアーロの作品は街にあふれても見飽きないし、増えれば増えるほど環境というか街の光景がよく見えるようになるとおっしゃいましたが、量産メーカーはそういうデザインを目指してほしいと思います。で、そういうデザインのカギはどのあたりにあると思いますか?

和田─まずはプロポーションです。例えば、現行のプリウスのプロポーションは美しさを目指しているとは言い難いですね。かなりのウェッジシェイプです。2代目からだんだんウェッジが強まってきたのですが、それにもかかわらず、タイヤは小さくバランスは微妙です。リアフェンダーのあたりは浮き気味で弱い感じがする。そのためか、そこにラインを含めたいろいろなデザイン要素を加えています。さまざまな制約によってああいうデザインになってしまったのかもしれませんが。だから、日本車のデザインを変えるためには、メーカー全体、特に経営陣の意識を変える必要があると思います。デザイナーの社内での地位も含めてですが。とにかく目新しさばかりにとらわれないでほしいと思います。

**岡崎五朗(おかざき・ごろう)**
1966年生まれ。大学卒業と同時にフリーランスの自動車ジャーナリストとして活動を開始。現在、自動車専門誌、一般男性誌の他、テレビ神奈川『岡崎五朗のクルマでいこう!』のメインキャスターを務める。日本自動車ジャーナリスト協会理事。グッドデザイン賞審査委員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

**和田 智(わだ・さとし)**
1961年生まれ。1984年に日産自動車に入社し、セフィーロやプレセアなどのエクステリアデザインを担当。98年アウディへ移籍。シニアデザイナー兼クリエイティブマネージャーとして、A6、Q7、A5などのエクステリアデザインを手がける。2009年独立、クルマを中心に、さまざまなプロダクトをデザインする。