日本対イラクの前半、突破をはかる本田=6月13日、パススタジアム 【No Ball,No Life】2018年ロシアW杯アジア最終予選、日本-イラクが6月13日に行われた。場所はイランの首都テヘラン。記者は取材のため現地に滞在したが、イランでイラク戦が行われる不思議さを感じずにはいられなかった。
イランとイラクは1980年から88年まで戦争していた。約8年にわたり、紛争が続いた「イラン・イラク戦争」だ。イランを支援したのはイスラエル、シリア、北朝鮮。一方、イラクを支援したのは米国、ソ連、フランス、中国などの列強国だった。88年、国連の停戦合意を受け入れる形で停戦。両国合わせて100万人以上が戦死したという。
今から約33年前、この戦争を取材にいったカメラマンがいた。記者の叔父だった。戦地の状況をフィルムに収め、現地の生々しい悲惨さを伝えるため、まさに命がけの取材だった。わずか数センチ先に弾丸が飛んだこともあったそうで、宿泊ホテル周辺では、つねに銃声が鳴り響いていたという。
今回、何の因果か、記者がイランへ取材に行くことになった。サッカーの取材だし、命の危険にさらされることはないだろうと、安心しきっていた。ところが渡航前日、イランでテロが起こった。国会議事堂前で銃撃戦、地下鉄では爆破テロ…。イランへの渡航をためらう記者もいた。こちらは予定通りに現地に赴くと、街中に機関銃を持った兵士がおり、地下鉄などは厳重な警戒態勢が敷かれ、恐怖を実感した。
帰国後、叔父にイラン滞在を報告した。80歳ながらまだまだ元気。「機関銃? 30年前に比べれば、たいしたことはないよ。それより、6日間、アルコールが飲めなかったことをよく我慢できたね」と笑った。「当時はどうだったんですか」と質問すると、「アルコールなんて、もちろん飲めなかった。かりにあっても、飲みにいけるような状態ではなかったからね」と懐かしそうに振り返った。
イラン・イラク戦争は、イラン有利のまま終戦を迎えたという。米国はイラクを支援していたため、イランと米国は最悪の関係だった。1979年に起きた「イランでの米国大使館襲撃事件」が両国の関係を悪化させたともいわれている。