羽生三冠の考える、プロとアマチュアの一番の違いとは?【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

羽生三冠の考える、プロとアマチュアの一番の違いとは?【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年06月14日

よく学校教育では「人の気持ちを考えて行動しましょう」と子供たちに呼びかけます。将棋では自分の手を読みながらも、自然と相手の立場になって、相手の手も読んでいきます。相手の指したい手、自分にとっては指されたら嫌な手を考えることは辛いことでもありますが、だからこそ手に入るものがあるのです。

対局中もリアルタイムで検討する控え室で

プロ棋士の中には、自分の対局はもちろんのこと、他のプロ棋士の対局を見に将棋会館を訪れる方もいます。控え室では、今まさに指されている対局の検討が、リアルタイムに行われるのです。七大タイトル戦の控え室ともなれば、立会人や大盤解説、指導将棋などの仕事で来ているプロ棋士もいますから、大勢のプロ棋士でにぎわいます。

対局が進行していき終盤戦ともなると、激しい戦いが繰り広げられます。その様子を控え室でビデオ観戦している人達も、ああでもないこうでもないと口々に盤面を検討し合います。そんな中、誰の目にも勝敗がつきそうに見える局面が現れると、「うーむ、厳しいな」とか「挽回する手はもはやないだろう」といった声があちらこちらから聞こえてきます。

ところが、「そんな手があったか!」というような、控え室では検討に上がっていなかった手が、敗色濃厚と思われていた対局者の方から繰り出されることがあります。そうなると、もう終わるだろうと緩みかけていた控え室の空気が一変し、どよめきとともに再び真剣な検討が始まります。

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(第42期棋王戦 第5局より )

最後の最後まで、勝利の女神はどちらに微笑むのかわからない

将棋では「これで勝てる!」と思った瞬間が一番危ないのです。

勝利を目前にし、早く決着をつけてしまいたいと前のめりで勝ちに向かうとき、そのはやる気持ちが心の隙になり、墓穴を掘ってしまうことがあります。勝利を掴みかけたと思ったときほど、勝利を取り逃がす危険が大きいのです。

プロ棋士の皆さんはそれを体験でわかっているので、対局中に勝ちに近づいたような局面であっても、ぐっと踏みとどまってもう一度読み直すと言います。中原誠十六世名人は現役当時、勝ちが見えたらいったんトイレに入って心を落ち着け、戻ってきてからもう一度読み直して、冷静になって決めの一手を指したそうです。

最後の最後、決定的な勝利を手中に収めるまでは、勝利の女神がどちらに微笑むのかは決まっていないのです。逆の見方をすれば、決定的な負けになるまでは、まだ勝つ可能性があるということです。

なかなか寄せられない局面、誰が見ても不利だと思われる局面で、諦めてしまうことは簡単です。たった一言、「負けました」と言い、あっさりと負けを認めてしまえば、不利な局面で手を考えなければならない苦しみから解放されます。

しかし、大切なのは、そこでいかに耐えられるかということです。とにかく最後まで粘ってみよう、可能性がほんの少しでもあるなら最善を尽くそう、と踏みとどまれるか。その踏ん張りが勝利をたぐり寄せるポイントなのです。

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耐え抜く力が勝負を分けるポイント

以前、羽生三冠に「プロとアマチュアの将棋で一番の違いは何ですか?」と伺ったことがあります。羽生三冠は、「なかなか寄せられない終盤戦をいかに耐えて行くか。その我慢の力ですかね」とおっしゃっていました。

勝利を目前にして勝ちに向かうとき、あるいは負ける寸前だが可能性はまだ残されているとき。そうした踏ん張りどころこそ、もっとも自分が試されるときであり、一流のプロ棋士は、そこをぐっと耐えることができるのです。

ではどうしたらそうした耐える力をつけられるのでしょうか。

そのためには、常に相手の気持ちになって考えることが最高の訓練になります。相手の気持ちになって、相手がこちらを攻める手を考えるのです。自分が攻められる手を読むということは、「こういう嫌な手もある。この手を指されたら困る。」と、自分にとって嫌な手をひたすら読んでいく作業です。この辛い作業を我慢して続けていく中で、耐える力が養われるのです。

冒頭のスローガン「人の気持ちを考えて行動しましょう」をもう一度思い出してみてください。しかし大人でも子供でも、今日という1日の中で本当に相手の気持ちを考えてどれほどの時間を生きているでしょうか。子供は正直ですから、「今日、人の気持ちを考えてきたのは何分?」と聞いたら、「0秒」と答えるかもしれません。

ところが将棋をやっている最中は、相手になり代わって、自分にとって指されたら嫌な手を考えなければ勝てません。そうした苦しい時間をじっと耐え抜ける力がついたとき、その子は大きく伸び、自信もつくのです。

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(第64期王座戦 第3局より )

耐え抜く力は観戦者にも試されている

苦しい局面で赤くなってじっくり考えている子供を見ていると、苦しみを耐えているのが伝わってきます。一方で、その様子を観戦しているお母さんの中には、「かわいそうで見ているのが辛い」とか、「もうダメなんだから、やめなさい」などとおっしゃる人がいます。けれどもその苦しみには意義があり、子どもにとっても成長の大きなチャンスなのです。たとえ負けたとしてもその時間を相手の立場になって考え生きていた時間は、決して無駄にはならないのです。

観戦者側になったときも、辛い様子を眺める様子をいかに耐えるか、試されているのです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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