鮮烈なデビューを飾った選手はあまたいるが、元ヤクルトの川本良平さん(35)もプロ初安打は神宮球場で放った3ランだった。
「新しい人生は勉強ばかりです。球場は懐かしいですが、今はこの仕事についてよかったと思っています」
交流戦さなかのZOZOマリンスタジアムで、現役当時よりふっくらとした川本さんに会った。2005年にドラフト4巡目でヤクルト入り。07年の1軍デビューで古田敦也兼任監督の後任として期待されたが、故障やライバルの登場などで出場機会は減った。13年にはトレードでロッテへ、15年に戦力外通告を受けるとテスト入団で楽天に移籍。しかし翌年、再び戦力外となった。
「野球の世界に残りたいという気持ちはもちろんありました。ただ…」
戦力外通告は昨年10月下旬。他球団でバッテリーコーチの話もあったがタイミングが遅すぎた。
それでも前向きだった。「むしろ踏ん切りがついた。もともとポジティブ思考なので新しい世界に挑戦してみようと」
知人のつてで紹介を受けたのがホテル経営の「APAグループ」。今春から第2の人生をスタートしたが、電話の受け答え、名刺の渡し方など戸惑うことばかりだった。「法人営業部 購買戦略室アシスタントマネージャー」として、上司について得意先を回ったり、単独でアメニティの取引にも飛び回っているという。
「たとえば歯ブラシ1本を何円で仕入れるか。これが何万本という単位になると大きい。そんなこと、選手時代には考えてもみませんでした」
昨年限りで引退した日本選手は125人。日本野球機構(NPB)ではセカンドキャリアについて一般企業を奨めるが、野球関係の仕事に就いたのは約70%にのぼる。
「視野を広げるため違う世界をみるのはいいこと。この会社では元プロ第1号ですが、結果を出して元プロは使えるという道筋がつけられたら」と意欲を燃やす。
まだ慣れない手つきで渡してくれた名刺の裏には、選手時代の経歴が記されている。過去の栄光には区切りはつけたが、経験してきたことはこの先の人生に生かされるだろう。(芳賀宏)