見出し画像

百合俳句鑑賞バトル 二回戦「鬼灯を裂く過ちの初めかな」(正木ゆう子)

課題句(選句:みやさとさん @paststranger)

鬼灯を裂く過ちの初めかな/正木ゆう子(句集『羽羽』より)

バトル参加者:
佐々木紺さん @kon_00528
平田有さん @eurekabird
実駒さん @mkm_

萌える! と思った鑑賞文に投票をお願いいたします。 https://twitter.com/asa_co/status/852491570146295809

A.

 鬼灯で笛を作ったことがあるだろうか。この句で作中の人物は鬼灯笛を作るために「鬼灯を裂」き、懐かしさとともに「過ちの初め」を思う。具体的な事実は定かではないが、生きていれば当たり前に犯す「過ち」を、自らの行為のうちに初めて見つけてしまったときの苦しさを、この句からは感じるのである。過ちを過ちだと知ったころ。それはちょうど子どもとも大人ともつかない、曖昧な時期ではなかっただろうか。
 外からの評価も、自分自身の認識もどこかちぐはぐで納まりが悪く、感情も自由にならなかった。たとえば、とても仲のよかった友人に恋人ができたと聞いてしまったとき。説明できないさみしさが元で関係がこじれてしまったりした。本当は素直に気持ちを伝えられたならよかった。「わたしもあなたが好き」だとか。裂いてしまった萼も壊れてしまった関係も元には戻らない。鬼灯の萼を裂くかすかな暴力性と結びついた「過ちの初め」がにがく、くるしい。

B.

 ほおずきの遊び方を知っているだろうか。
 灯籠のような莢の中心に赤い実がついている。これを揉んで中の種を抜き、皮だけを口に含んで鳴らす。
 ほおずき笛を仕上げるのに必要なものとは、何か。実がじゅうぶんにやわらかくなるまで揉みほぐし続ける根気と、細かな作業を丁寧に行う器用さ。成功すれば、笛はきれいな袋状に仕上がる。失敗すると裂けてしまって、音を鳴らすことができなくなる。
 無残にも破れた実を掌にのせて、考える。
 機が熟すまで耐えることができなかった。そのせいで、このような結果に終わってしまった。
 だが、「鬼灯を裂く」ことを「過ちの初め」と断じる潔さからは、境界を踏み越えてゆく意志すら感じられてはこないか。
 「鬼灯」は、暑さの残る初秋の季語である。汗ばんだ首筋に髪が張りつく。人は過ちを犯さずには生きられない。
 それでも、怖じることはない。未熟さも生まれもっての不器用さも、まるごと引き受けて、愛することならできる。

C.

 ひとが自分の行為を振り返って過ちというとき、どんな感情が含まれるだろう。反省、悔恨、多少の自己憐憫、そんなところだろうか。しかしこの句の「過ち」には、不思議にそれらの匂いがない。ある種の居直りのようなものすら感じられる。
 その理由は、あまりにも強い「鬼灯を裂く」の切迫感にある。句の主体は手の中でぱんぱんに膨らんだ鬼灯を、気持ち良く割るのではなく、音も立てず密やかに引き裂くことを選ぶ。何かを終わらせるのでなく、始めるために。字面も鬼を裂く、ようで一瞬どきっとする。「鬼灯を裂く」のインパクトが「過ち」に打ち勝ち、また主体性をもって引き受けているように見える。そこには今からすることが過ちであっても構わない、今ここにいる自分はそうせざるを得ないという覚悟と決意がある。
 様々なシチュエーションが考えられるが、私の脳裏には少女たちの炎のような瞳が浮かぶ。レズビアンが好きな女を虐待している夫を殺して、女2人で逃避行する物語のことをすこし思い出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?