追悼、ダリオ・フォー──権力に抵抗した「現代の道化師」

2016年、偉人がまたひとり、この世を去った。10月13日、90歳で亡くなったダリオ・フォーは、1997年にノーベル文学賞を受賞したイタリア人劇作家で、世界で知られる演劇作品を生んだ。
追悼、ダリオ・フォー──権力に抵抗した「現代の道化師」
イタリアの演劇人にしてノーベル文学賞の受賞者、ダリオ・フォー(1926〜2016年)。PHOTO: REUTERS / AFLO

文筆家、俳優、演出家、そして劇作家。ダリオ・フォーは、実に多くの顔をもっていた。祖国イタリアよりも国外でより人気があったグローバルなアーティストだ。1997年には、ノーベル文学賞を受賞している。

彼の芸術を世に知らしめたのは、コンメディア・デッラルテ(Commedia dell’arte; 仮面を用いる即興演劇)の喜劇様式を再構築したことにある。彼は風刺的な志向をもっていたので、結果的に社会的なテーマと向き合うことも、それが政治的行動に変化することもあったが、彼はそれをまったく厭わなかった。

フォーは、1926年3月24日、ヴァレーゼ・サンジャーノに生まれた。彼は、年若い義勇兵としてファシストの軍隊に入隊した。これは、のちに少なからぬ論争を引き起こすこととなる。というのも、彼はそれからのち、(イタリアの)左翼知識人を代表する1人となったからだ。

ブレーラ芸術学校で学んだあと、彼はRAI(イタリア国営放送)で俳優・脚本家として仕事を始めた。そこで、のちに妻となる女優のフランカ・ラーメと出会う。彼女は、人間的な意味でも芸術的な意味でも常に彼のそばにいた。当時、彼はTVヴァラエティ番組「カンツォニッシマ」のために短編シリーズを手がけたが、その番組に対する検閲をきっかけに、彼はテレビを捨てて演劇に向かうきっかけとなった。

彼の最も重要な作品のなかに、「ミステーロ・ブッフォ」(神秘劇)がある。そのなかではフォーは舞台上唯一の俳優となり、特殊な朗唱の言葉、グラメロ(風刺劇で用いられる、実際の言葉のように聞こえる意味のない発声)を用いて古いテキストをアレンジした。

彼の政治参加をよく示す作品として、『ある無政府主義者の不慮の死』(Morte accidentale di un anarchico)がある。1992年には、アメリカ発見500周年を記念して『ジョアン・パダンのアメリカ発見(Johan Padan a la descoverta de le Americhe)』を執筆した。

そこでは、異端審問を逃れるためにヴェネツィアからスペイン、ついには新世界へと向かった貧しいベルガモ人のことが語られる。

彼の作品は、世界の非常に重要な劇場で上演された。ノーベル賞が彼に与えられたのは、「中世の道化師の伝統に従って、権力を嘲笑し、抑圧される人々に尊厳を取り戻したため」である。

10月、ミラノでの葬儀では多くの人が彼の死を悼んだ。PHOTO: LAPRESSE / AFLO

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TEXT BY REDAZIONE

TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI