【写真】車椅子に座り笑顔のおんださとしさんとスーツを着ている秘書の坂田さん 「やりたいことをやる人生は楽しい」 自分が病気になって思うように体を動かしたり、言葉を発することができなくなってしまったとき同じ言葉を言えるだろうか。 ふと、そう思いました。 この言葉をくださったのはFC岐阜の元社長である恩田聖敬さん。難病中の難病といわれているALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っています。 きっと人は、自分の思いこみで自分の可能性を狭めて、私にはできないとあきらめてしまったり、チャレンジしない理由をつくっていることがあると思います。でも恩田さんは、病気が進行し体を動かすことや会話もほとんど困難になっているにもかかわらず、新会社の設立にチャレンジ中。自分のやりたいことに向かって突き進むことをやめません。

「自分の意志だけでどこにでも行ける、なんでもやれる私のほうが諦めてしまってることがあるんじゃないだろうか?」

自分をそう省みるくらい、恩田さんの笑顔ははつらつとしていて、目にエネルギーと輝きが満ち溢れていました。 半年前にSNSで恩田さんのブログを目にし、その姿に胸を打たれた私は、ずっと恩田さんにお会いしたいと思っていました。そんな時に飛び込んできたのは、なんと恩田さんがご自身の会社を設立するというニュース! 恩田さんはどんな未来を描いて起業を決意したのか。そして、恩田さんの発する強いエネルギーや生命力に触れてみたい。それを伝えることで恩田さんの力になりたいと考え、岐阜にお会いしにいってきました。

岐阜市に恩田さんに会いに行ってきた

岐阜県岐阜市に到着した私たちが向かったのは、FC岐阜の事務所のある長良川スポーツプラザ。二階のホールに着くと、恩田さんと秘書の坂田さんが私たちを迎えてくださいました。 車椅子に座り、膝にのせた赤いボタンを指で押し、ipadを操作していた恩田さんは、私たちを見つけるとにこっと微笑んでくれました。恩田さんは顔の筋力も落ちてきているそうで、表情をつくるのも大変そうではありましたが、私たちに歓迎の笑顔を向けてくれていることはしっかり伝わりました。 【写真】車椅子に座りアイパッドで作業をしているおんださとしさん 取材の打ち合わせを坂田さんとしている最中、ホールにいたおばあちゃんたちに「恩田さんですよね?」と声をかけられた恩田さん。恩田さんに会えて嬉しそうなおばあちゃんたちに、恩田さんは言葉を発さず笑顔で返します。 【写真】笑顔で話すおじいちゃん、おばあちゃんとおんださとしさん、秘書の坂田さんとライターのくどうみずほ 【写真】笑顔で握手をするおばあちゃんとおんださとしさん。おじいちゃんと秘書の坂田さんが見守っている すぐに別のおじいちゃんも話しかけにきて一緒に記念写真を撮ったりと、恩田さんは大人気!恩田さんの手は今はほとんど動かすことができませんが、おばあちゃんがしっかり手を握りしめて「頑張ってね」と声をかけていたのが印象的でした。

ALS患者でもあり、経営者、お父さんでもある恩田さん

クラウドファンディングページより

クラウドファンディングページより

恩田さんは1978年生まれの38歳。7歳と5歳の子どもがいるお父さんでもあります。 岐阜県で生まれ育ち、京都大学大学院(航空宇宙工学専攻)を卒業。複数のアミューズメント会社にて、現場、企画、経営管理に携わったのち、2014年4月に Jリーグ・FC岐阜の運営会社である株式会社岐阜フットボールクラブの代表取締役に就任しました。「大好きな故郷をサッカーで盛り上げたい」と精力的に仕事に取り組み、ホーム戦では必ず自らサポーターのお出迎え、お見送りを行なうなど、現場に密着した活動を何より愛し、たくさんの人に親しまれ愛される社長でした。 恩田さんが体に違和感を感じたのは、代表就任前の2013年の年末だったといいます。甥っ子と遊んでいてジャンケンをしたら、右手でチョキを出すのにうまく指が回らなかったり、食事をしていても箸の持ちにくさを感じたり。「脳に異常でもあるのか」と思いすぐに病院で検査をしても原因がわからず、神経が若干傷んでいるかもしれないとのことで薬を飲み始めましたが、改善されることも急激に悪化することもなかったため、2014年4月には代表に就任し岐阜へ。 5月に改めて3日間の検査入院をしたところ、最終的に「ALS」の診断を受けたのだそうです。

【写真】車椅子に座り観客を出迎えるおんださとしさん

恩田さんは2015年末まで社長の任を全うしました<クラウドファンディングページより>

ALSは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される病気で、難病の一つに指定されています。現在、日本に約9,000人前後の患者さんがいると考えられており、未だに原因や治療法が解明されていなく、研究が多くの研究者によって進められています。 ALSは手や足の筋肉をはじめとして徐々に全身が動かなくなるので、食べることやしゃべること、顔の表情をつくることも困難になっていきます。最終的には呼吸も難しくなるため、患者自身の選択で人口呼吸器をつけるかどうかを決めます。延命を希望せず、人口呼吸器をつけないことを選ぶ患者さんもいますが、呼吸器装着を選んでも、やがて全ての筋肉が動かなくなるため自分の意志を発信する手段がなくなっていってしまいます。

スタジアムでFC岐阜サポーターのみなさんと交流する恩田さん

スタジアムでFC岐阜サポーターのみなさんと交流する恩田さん<クラウドファンディングページより>

「みんなを動揺させてはいけない」と思い、しばらく周囲に病気のことは黙って仕事を続けていた恩田さん。徐々に書類に判を押したり、ペンを持ったりすることもつらくなり、発声にも支障が出てきたため、自ら決断して2015年1月末に病名を公表しました。周囲の理解もあり「体が動く限り仕事は続ける」と頑張ってきましたが、業務をこれ以上続けるのは困難だと判断し、2016年4月25日をもってFC岐阜の取締役を退任しました。

病気になっても私は私

恩田さんのオフィシャルホームページ

恩田さんのオフィシャルホームページ

退任してからも、恩田さんの勢いは決して止まりません。2016年1月には、ブログやSNSを始めて、自分の考えや病気についての情報の発信を始めました。 「自分が元気でいることを知って欲しい。社会とつながっていたい。何か人の役に立ちたい。 そんな思いから、自分の現況や経験、考えを発信することに至りました。alsになっても私は私。社長を辞めても私は私。何も変わりません。」(恩田さんのブログより) FC岐阜のこと、ALSのこと、家族のこと、恩田さんの日々感じていること。恩田さんの紡ぐ言葉は、今病気を抱えている人だけでなく、様々なことに悩みながらも頑張っているすべての人に励みになるような力強いものです。 【写真】真剣にインタビューに応えるおんださとしさんとそれを見守るさかたさん ブログのほか、新聞やメディアでの執筆活動をしながら、起業の準備を進めている恩田さん。毎日は多忙を極めますが、病気はもちろん日々進行しています。移動やコミュニケーションは、坂田さんのサポートを得ながら行っています。

坂田:まだ恩田が声を出せる状態ですので、日常的には恩田が何か言葉を単語で発して私が横で復唱するっていうかたちで確認して、「きょう」「今日」「よていは」「予定は」という感じに復唱して確認している状況です。 恩田が体調が悪い日は声が聞き取れない時もあるので、主に口文字で「あいうえお」と私が言って母音を確認して、「え」だったら「えけせてね」と言って特定しています。今は全部それを確認することはないので、最初の文字だけわかれば、じゃあっていうかたちでわかることが多いですね。主にこの2つです。

合成音声のソフトも昨年開発してもらったので、日常のコミュニケーションではほぼ使用していませんが、講演や公式な場で挨拶をするときには、音声データを用意して使用しているのだそうです。 恩田さんは今は指が思うように動かず、パソコンをタイピングすることができないので、仕事やメールのやりとりには、パソコンではなく指一本で動かせるボタンを使ってipadを使用しています。システムとしては市販のipadと同じもの。指で操作するために使っている赤いボタンの機能自体も、特別なものではなくiOSには入っているものなので、私たちが使用しているiphoneやipadでも全く同じように使えるものです。 赤いボタンを操作して、カーソルが動かし文字を打ちます。恩田さんは徐々に慣れてきて、カーソルの操作スピードが速くなってきたのだそうです。

いい情報や出会いがあるかで患者の生活は決まってしまう

体力の消耗が激しく、恩田さんは会話をするのにも疲れてしまいやすいという状態のなか、恩田さんに30分だけインタビューをさせていただきました。 まず、恩田さんはALSを発症されてから、気づいたことや価値観が変わったことはあるか聞いてみました。質問を投げかけると、恩田さんは少しかすれているけれど、今出せる精一杯の声でこたえてくださいました。 「そうぞう」 「想像以上に」 「こういうびょうきは」 「こういう病気は」 「ほんにん」 「本人」 恩田さんが今出せる精一杯の声で単語ごとに短く切って発話すると、坂田さんがそれを復唱して確認していきます。

恩田:想像以上にこういう病気は本人だけでなく周りの家族がどれだけしんどいか、目の当たりにしました。今工藤さんがおっしゃったように、情報がいかに大切か思い知りました。元気な頃は、自分の知りたいことはネットを使えばほぼなんでも知れたけど、今の自分の病気のケアをどうやってやったらいいかっていう具体的な情報はどこにもない。結局、地域で同じ病気と闘ってる人と出会えるかどうかで、自分の生活やケアの質が決まっちゃう。

私自身、様々な障害や病気の方にお話を伺うと、「私たちにとって情報はお金と同じです」という声をよく聞きます。どの患者にも一律に情報が手渡されるわけでなく、よりよい情報を手に入れられる人とそうでない人がいるという現状があり、それは実際の患者の生活の質に直結します。 ALSは徐々に体中の筋力が落ちていく病気なので、「腕を上げられなくなった」「声が出にくくなった」など、できなくなったことを日々受け止めながら生きてらっしゃると思います。100%前向きということはなく、誰でも怖さはあると思います。恩田さんははどうやってできなくなったことや怖さを、受け止めていっているのでしょうか。

恩田:この病気になった以上は、徐々に進行するのはわかっていることなので、できなくなるのはしょうがないと知っています。その代わり、できることを増やしていこうと思っています。i-padもそうだし、今の自分より進行している人でもちゃんと社会につながっている人がいるので、私もそうなるための方法を日々ストックしていけば、なんとかなると思っています。

他のALSの先輩患者さんには、進行が早い方でも精力的に活動している方がいます。その方たちはどうしてらっしゃるかを教えていただくことで、「ここまで病気が進んでも、こうすればやりようがあるかもしれない」と考えておこうと、恩田さんは日々準備を積み重ねているのだそうです。

自分に関わるひとたちを元気にしたい

スクリーンショット 2016-06-14 23.06.36 2016年5月10日、ご自身の誕生日に、恩田さんは「新しい会社を立ち上げる」というチャレンジを発表しました。 恩田さんはALSになってからも、以前と全く変わらず自分の意志を持ってチャレンジを続けているのは、「家でじっとしてしまったら、恩田じゃなくなるしつまんない」という考えが根底にあるからなのだそうです。

恩田:多分立ち止まったら、そのまま腐っちゃう。自分は仕事をして世の中とつながってそこで少しずつでも成長してきたので、何かやることがあることが、自分をだいぶ悩むことから解放している。治療に専念して治るならそうするけど、今これからも進行するならまだ動けるうちにいろいろとやりたい。

先月は自分をモデルとしてデッサンしてもらうことで、ALSの理解を広めるイベントを開催

先月は自分をモデルとしてデッサンしてもらうことで、ALSの理解を広めるイベントを開催

ALSは、現状では完治のための方法がない病気。「ゆっくり休んでください」と言われることもあるけれど、このまま進行していくのであれば、「今だからできることを一生懸命頑張っていきたい」と恩田さんは日々動き回っています。 『ALSになったことで、私の生き方の核を変えたくない。』 ブログにそう書かれていたとおり、恩田さんの生きる軸や信念は、病気にすら奪うことができないものなのです。 【写真】ライターのくどうみずほと真剣にインタビューに応えるおんださとしさんとさかたさん これからも家族のために働き社会の役に立ちたいという強い思いで、新会社の設立に踏み切った恩田さん。まずは、執筆や講演活動などを通じて、ALS、ビジネス、FC岐阜、地域活性化などの自分の経験を伝えていきたい。そして、自身が病気になって、いかに自分の生活における福祉と医療体制整えるのが難しいかを知った恩田さんは、それによって患者やその家族が負担を抱えるのを防ぐため、医療、福祉サービスの改善に努めたいそうです。 ただ、けっして病気や障害といったことに関わる事業をしたいから起業をするわけではありません。

恩田:自分はALSだけど、別に健常者と障害者を分けてなく、普通に心は元気なので、障害者ということを別に特別とは思ってない。単純に関わった方々を笑顔に元気にしたい。さっきのおばあさんみたいに、自分と会うことで誰かが笑顔になるならそれはすごく嬉しいことです。

恩田さんのコアにあるのは、「自分に関わるひとを幸せにしたい」という強い思い。何かしら自分が頑張ることで元気になる人がいるのであれば、精一杯自分の活動でそれに応えたいと考えているのです。

恩田さんの行動力や人を惹きつける力に引き寄せられた

【写真】笑顔でインタビューに応えるさかたさん。 ほとんど体を動かすことやしゃべることができず、日常生活も困難な状態の恩田さんが自分のやりたいことに向かっていけるのは、周りにいる人たちの支えが大きくあります。秘書を務めている坂田さんは、恩田さんが外出をするときはいつも同行しています。

坂田:もともと大学が一緒で、恩田が3年の時の1年の新入生だったんです。私たちは大学の合唱団にいて、そのとき学生指揮者を恩田がやっていたんですが、いろいろとよくしてもらって。当時から恩田は人を喜ばせたり、上級生も下級生も居心地をよくしたいといろいろとやっていたなかで、楽しく過ごさせてもらったこともあって尊敬している先輩のひとりでした。

以前は福岡で働いていた坂田さんですが、「新しく秘書が必要だから」と恩田さんに声をかけてもらい、今年の3月に岐阜に引っ越してきたのだそうです。

坂田:FC岐阜の社長になったのはFacebookで知ったんですが、もともと何かしらたくさんの人を笑顔にする仕事につくんだろうなと思っていたのですごく嬉しかったです。なので、ALSを公表したとき自分自身もショックを受けました。何かできることはないかなと思って、「すごく自分にできることがあったら何かお手伝いをしたいので、その時は今の職を辞めてもかまわないのでお声がけくださいね」と言っていたんです。

恩田さんのそばには、いつも坂田さんの姿があります

恩田さんのそばには、いつも坂田さんの姿があります

移動や身の回りのサポートをしながら、恩田さんの言いたいことを予測しながら言葉を聴き周囲に伝えるなど、恩田さんの業務全般を支えている坂田さん。お二人の姿からは、しっかりとした信頼関係があるのだということが伝わってきます。 きっと坂田さんという伴走者のサポートがあるからこそ、恩田さんは自分の持つ力を活かすことができるのだと思います。

坂田:今さら僕が言うのも恥ずかしい話ですが、恩田には行動力や人を惹きつける力はすごくあると思います。今も身近に接していて、恩田は「病気でも働きたい、周りの人を笑顔にしたい」と思って活動しているので、それが皆さんに伝わっているんだなと感じています。

恩田さんを見て「私にだってチャレンジできるかもしれない」と感じてほしい

【写真】微笑んで座っているあきもとしょうじさんとおんださとしさん 思いだけでは起業はできない、お金や戦略ももちろん必要です。100%思うように体が動かせない恩田さんの起業をサポートする心強い存在が、「恩田聖敬応援団」です。その世話人の一人が、秋元祥治さんです。 秋元さんは岐阜県に拠点を置くNPO法人G-netの代表をつとめており、人材育成を通じて地域活性に取り組んでいます。もともと恩田さんと秋元さんの出会いは、FC岐阜に長期インターンシップを送るようになったことがきっかけでした。

秋元:お会いしたときから親しみがあったし、僕のひとつ上の同世代がFC岐阜でリーダーシップをとるということにとても共感して、応援していました。恩田さんはとてもお忙しいので30分くらいのミーティングを一ヶ月に一回するくらい。FC岐阜とG-netでインターンシップを中心にした人材派遣の連携協定を結んだので、恩田さんと私で記者発表をしたこともありましたね。

恩田さんがALSになったということは、記者発表で知った秋元さん。

秋元:簡単にどう声かけていいかよくわかんないし、少なくとも現状で言うと治らない。とりあえず「ニュース見ました、応援してます」ってメールをして、なにかできることはないかと思って、インタビューをさせてもらい、6/21の世界ALSデーにその記事をあげたんですよ。そしたらその記事をたくさんの人に読んでもらうことができたんです。

その後、FC岐阜の社長を退任することになった恩田さんは、同じようなスピード感で様々なことにチャレンジしていく秋元さんを見て、ぜひ自分の起業を手伝ってほしいとお願いしたそう。相談を受けた秋元さんは、このように伝えたそうです。

秋元:その段階ではまだお話は出来たのですが、「滑舌が悪くなってる感覚があるからこの先しゃべれなくなるだろう」というのはあるので、物理的に声を発することはできなくても、ソーシャルに声を発することができれば世の中的には存在感を発揮できると思うと伝えました。恩田さんはSNS全くやってなかったんですね。だからとりあえずやりましょうと。

秋元さんにいちからやり方を教えてもらい始まった恩田さんのブログはたくさんの人に読まれ、他のメディアにも転載されるように。インターネットを通じた情報発信は、恩田さんの存在やその思いを世の中に届ける一番の手段となっています。 秋元さんが恩田さんに協力することは、けっして仕事ではありません。それでも、忙しい時間の合間をぬって恩田さんに協力するのは、どんな思いがあるのか聞いてみると、返ってきた答えは意外なものでした。

秋元:いや、だって、ほっとけないっしょっていう話ですよ(笑)。目の前で溺れている人がいたら、とりあえず助けに行くよねっていう話の延長線だと思っています。 あとは自分と同世代ってことと、子どものことですね。恩田さんは7歳と5歳の子どもがいて、うちも同じくらいの子どもが3人いるんですよ。半年前に「子どもって病気のことどう考えてるんですか?」って聞いたら、「あんまり気にしてないよ。」っていうんですよ。でも、「腕力が落ちてるから子どもを抱っこできない」って聞いたときに、「ちょっと待ってください、子ども抱っこできないってそれはつらすぎるでしょ」って思ったんです。同世代が病気になったのを見て、「自分がもし明日発症したらどう思うんだろう」って妄想を広げるにつれて、自分も当事者意識を持ったんですよね。

秋元さんが恩田さんを応援するのは、恩田さんが世の中に与える影響はとても大きいと考えているからでもあります。

秋元:恩田さんの起業は、恩田さんだけの話じゃないと思うんです。ALSそのものは調べてみると思っていたより患者数が多くて、岐阜県内に1人とかそういう病気ではなく、もっとたくさんいらっしゃるとわかりました。でももう少し抽象度を上げて理解して、「本人の思うようにはならないような外的な理由で制約条件を持っている人たち」というふうに捉えると、これってすごく普遍性のある話だと思うんですよ。 例えばひとり親だってそうかもしれないし、貧困もそうかもしれない。もちろん病気や事故もそうですよね。そう考えたとき、人より比べると遥かに重いハンディキャップを持っている恩田さんが挑戦する姿って、多くの人たちに勇気になる。恩田さんすらっていう表現は不適切なんでしょうけど、「ああいう環境においてすらチャレンジをしている人がいるなら、私だってできるかもしれない」って思う可能性を、恩田さんのチャレンジは提示してくれるんじゃないかって思っています。

秋元さんは恩田さんの応援団として起業を後押ししている

秋元さんは恩田さんの応援団として起業を後押ししている

もともとG-netのチャレンジは、「どんな環境であっても夢に向かって挑戦できる社会をつくる」ということそのもの。秋元さんと恩田さんは、活動の内容は違えど共通する思いが根底にあります。 秋元さんは恩田さんの「これがやりたいから協力してほしい」という思いに動かされてサポートをすることを決めたので、もし病気や障害であきらめていることがあるとしたら、恩田さんのように一歩踏み出してほしいという思いがあるそうです。

秋元:今回のクラウドファンディングも、「恩田さんのこと知らんやん」って人もたくさん「少ないけど協力したいんです」って言って支援してくれるんです。インターネットってすごくいいなって思いました。 簡単に言うなよって言われそうですけど、たとえ病気があるとしても、今回のメディアを見ているひとたちはネット環境にいるので、もしやりたいことや取り組みたいことがあったら言ってみたらいいんちゃいます?って思います。ブログ書いたらいいし、SNSやったらいいし、やってないんだったら「やりたい」って周りの人に言ってみるのはきっと負担じゃない。 インターネットのよさは元気玉ができることだと思ってるんですよ。恩田さんは確かに他の人よりも注目される存在だったっていうのはあるかもしれないけど、そういう元気玉が今回のプロジェクトを後押ししてると思うし、みんな同じようにできるんじゃないかなって思います。

インタビューが終わった後も、「恩田さん、次この人紹介しますよ」「クラウドファンディングはこんな感じで進めていきましょうか」など、二人ともワクワクした顔でこれからの話をしていたのが印象的でした。そこには、病気かどうかなんて関係なく、「やると決めた人とそれを全力で応援する人」の姿がありました。

自分の価値観や幸せを目指して、一歩前に進む

【写真】インタビューに真剣に応えるおんださとしさん 現在クラウドファンディングで集まっている金額は、740万円。秋元さんをはじめとした恩田さんの応援団のみなさん、秘書の坂田さん、そして一番近くで恩田さんを支えているご家族など、様々なひとのサポートを得て恩田さんは目標に向かって突き進んでいます。 でも、今の時点で治療法のないALSは、いずれ自分から一切の発信ができなくなってしまう病気だと聞きます。もしいつか、誰かに対して何もしてあげられない自分になったとしても、恩田さんはそうなったとしても自分は”生きる意味や価値”があると感じることができるのでしょうか。

恩田:それは重たい質問ですね。

私がそう聞いたとき、恩田さんは少しだけ困った顔で笑って、合間を置いてこう答えました。

恩田:まず答えになってないけど、私は何かしらの方法で必ず発信を続けられると思ってるし、そのための情報を前もって集めています。全く発信できない場合を想像すると、それは確かに地獄だと思う。でもたぶん、家族はそこにいるだけでもいいっていう思いがあるかもしれない。それにどう答えるか。答えはまだ出てないですね。

恩田さんは、発信が全くできない状態にはならずに済むと信じ、そのために「こういう状況ならこの方法ができる」という情報を先輩患者の活動から集めていくのが大事だと思って行動しているのだそう。「できなくなりたくないし、ならないと信じる」、それが恩田さんを動かすコアの部分になっているのだと思います。 「縁あって出会った周りのひとを笑顔にしたい。幸せにしたい。」 この社会のなかでずっと変わらず、そんな思いを持って家族を大事にしながら仕事をしてきた恩田さん。病気になってからも、恩田さんのその信念は全く変わらず恩田さんを支えています。

自分の価値観や幸せを目指して、一歩前に進む

【写真】車椅子に座り、真剣にインタビューに応えるおんださとしさん soarを読んでくださっている方のなかには、難病指定にすらなっていない難病や重度の障害を抱え、働くこともできず家から出られないで日々過ごしている人もたくさんいらっしゃいます。きっと苦しさからネガティブな思いにとらわれてしまうこともあるだろうし、自分に可能性があるとわかっていても、なかなかその一歩を踏み出せない人も多いと思います。 恩田さんは、もしそんな人が目の前にいるとしたら、こう声をかけたいのだと言います。

恩田:自分は他の患者さんに比べてすごく恵まれてると思います。でも、みなさんが私のようにする必要は全然なくて、それぞれの方が持っている価値観と幸せを目指して一歩でも前に進むと、人生楽しくなると思います。私はやってると楽しいと思っていることをやってる最中ですので、やってみたら楽しいよとみなさんに言いたい。

私はそのとき言葉にできない嬉しさがこみ上げてきて、なんだか笑顔なんだけど泣きそうな、不思議な気持ちになりました。 思わず恩田さんに、もう一度「今、楽しいですか?」と聞いてしまった私。恩田さんは笑顔でうなずきました。 自分の価値観を大切にしながら、自分のやりたいことをやる、自分が楽しいと思うことをやる。 困ったら、周りのひとに力を貸してほしいと頼んでみて、サポートをしてもらおう。 とってもシンプルで、とっても大事なことを、恩田さんはその存在を持って伝えてくれるひとなのだなと思います。人間がたったひとりでできることはとても小さいけれど、ちょっとずつ誰かの力をかりることで、たくさんの人の心を動かす力になります。 取材が終わった後には、恩田さんの声を登録してある音声ソフトで、「今日はありがとうございました」というメッセージを届けてくださいました。 恩田さんの挑戦は、まだまだ続きます。私も恩田聖敬応援団の一員になって、恩田さんに遠くからエールを送りつづけます。そして私も、その時の状況でできる精一杯で「やりたいことをやる人生は楽しい」と言える人生を送りたいなと思います。 【写真】微笑みながら車椅子に座っているおんださとしさんとさかたさん、ライターのくどうみずほ

関連情報 恩田聖敬さん オフィシャルホームページオフィシャルブログ 「ALSと共に生きる〜FC岐阜前社長 恩田聖敬の新たな挑戦を応援したい!〜」 クラウドファンディングへのご支援はこちらから NPO法人G-net ホームページ

<写真・岡本 亮(First Create)>