2014.04.17

突き抜けた6次化商品を作る、「不死鳥鈴木魔人」の挑戦【前編】---鈴木賢治(47PLANNING代表取締役・福島県いわき市)

鈴木賢治氏(47PLANNING代表取締役)

詳細は後で記すが、この男。とにかく周囲に熱い人間の集まる男だ、と思う。そして、集まった人間を引きつけて離さない男だ、とも思う。その魅力をどうしても深堀したくなり、某日、無理を言って東京・新宿のオフィスに押し掛けた。

飲食やイベントなど様々な手法により、日本全国各地域の魅力を発掘・発信することを生業とする47PLANNING(ヨンナナプランニング)代表取締役・鈴木賢治氏(31)。東日本大震災後、被災地での起業家の輩出を目指し立ち上がったNPO法人TATAKIAGE Japan理事長でもある。

出身は福島県いわき市。震災後わずか3カ月後の2011年6月には福島県産の食材を前面に押し出した「47DINING福島」を東京・杉並にオープン。その5ヵ月の11月にはさらに、シャッター通りであったいわきの駅前エリアを復興飲食店街「夜明け市場」として再生、衆目を集めた。

最近では、福島県産のコメのバンズに、東北の食材を用いた具材を挟み込んだライスバーガー「こめて KOMETE」が羽田空港の空弁として採用され、月末には、いわき産の食材で作ったスムージー「Hyaccoi(ひゃっこい)」などを扱うカフェのオープンも見据えている。

2013年11月に2周年を迎えた「夜明け市場」。シャッター通りが現在では11テナントが稼働、しかも人通りができたことで周囲にも10を越える店がやってきた

その方向性は一貫してブレない。地域活性に貢献し、結果として日本という国が元気になる一助となれたらいい。そのために、「突き抜けた6次化商品を作る」。特に今は、故郷・福島が原発事故に端を発する風評被害の影響を受けていることに強い問題意識を持ち、対峙し続けている。

東大生の彼女と行ったシンガポール。そこで我彼の志の差に衝撃を受けた

大志に燃え、走り続ける鈴木氏だが、聞けば学生の時分は「愛情も教育も当たり前のように与えられ、とりあえず2年ぐらいメーカーに勤めたら、実家に帰って親の仕事を継ぐんだろうぐらいにしか考えていなかった」らしい。

鈴木氏が「賢治」という同じ音の名を譲り受けた曾祖父・賢二氏は幾多の事業を興し、福島の三長老の一人にも数えられた人。いわゆる地元の名士だった一家は、しかし、時を経て3代目の伯父の代で本家が倒産。次男である鈴木氏の父に億単位の保証責任が残り、突然、家には借金の取り立てがやってくるようになった。

いわき市で家族と(左)。父が守り抜いた製氷会社や実家は2011年3月、津波に押し流された(右)

父が承継していたのは、さほどには大きくない事業規模の製氷会社だけ。しかし、「払えねぇもんは払えねぇ」と突っぱねながらも、淡々と払い、事業や家財を立て直す父の姿を見てきた鈴木氏にとって「親父が守ったものを自分が継ぐのは当然のこと」。逆に言えば、別の人生の選択肢は考えたこともなかったのだ。

そんな鈴木氏は大学に入って3年目の夏。忘れられない経験をする。東大生の彼女ができ、「シンガポールの国立大学に1年の交換留学をするという彼女を追いかけ、自分も2ヵ月ほど現地で暮らした」ときのこと。そこで出会う若者が次々と将来の夢や社会に出て解決していきたい課題について語る姿にがく然としたのだという。

「この差は何なのだろう、と思った。別に頭の回転が違うとは思わなかった。誰かのために、何かのために、という発言に胸を突かれるものがあった」

帰国後、鈴木氏は公認会計士の資格を取る決意をする。それなら父の会社を承継した後も、知識を活かし地域経済の活性化などに貢献できると考えたためだ。卒論テーマは「地域経済におけるフランチャイズの進出」。東京在住を3年間のばし、資格試験の勉強に専念することにした。

ところが、ある日、気晴らしで入った店で偶然に、あのゲームと出会ってしまう。対戦型格闘ゲームの「鉄拳」だ。

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