村重さんへ。 | 旬の言の葉

旬の言の葉

俳人 大高 翔のブログです。


昨日、大恩人の村重尚さんが亡くなった。
わたしにとっては「松山の父」、
心の底から信頼し、叱ってもくれる大切な方だった。
「あのな、翔」と、眼をまっすぐ見つめながら話をする時の表情を、
いま、思いだしている。

村重さんは、NHK-BS2『俳句王国』の生みの親、
プロデューサーだった。
初めてお会いしたのは二十歳の頃で、わたしは出演者の一人だった。
それから二年後、番組に司会役として迎えてくださった。
それまでアナウンサーの方が二名で担当していた司会役だったが、
そのうちの一人を「俳人にやらせよう」と、
素人のわたしを抜擢してくれたのは、村重さんだった。

斜に構えて突っ張って、
そのくせ不安で仕方なかったあの頃のわたしを
見つけ出してくれた人だと思う。
のびのびと泳ぎ回ってもいい、この世の居場所を作ってくれた人だった。

経験もない上に、性格的にもテレビ向きでは決してなかったと思う。
抜擢してもらったというありがたさもしっかり把握できていなかった未熟なわたしは、
村重さんとぶつかることもあった。
なんて、わがままで生意気な娘だったことだろう。
でも、村重さんは、その小娘をこども扱いせず、
全力で、真正面から、ぶつかってくれた。
一度もごまかしたり逃げたりせず、納得するまで向き合ってくださった。

わたしはすぐに「俳句王国」のスタッフの一員(はしくれ)となれたことを、
大きな誇りだと感じるようになった。
村重さんを中心としたすばらしいスタッフがいて、
全力で、真剣に、楽しみながら発信した。
次はこうしてみよう、ああしてみようと、皆で番組のことを考えていた。
夢中だった。
皆で心をひとつにして作り上げる番組が、とてもとても愛おしかった。

かけがえのない時間、奇跡のような思い出、あたたかいつながり。
村重さんと出会わなければ、触れることのなかったものたち。


最後にお会いしたのは先月半ば。
愛媛の病院にお見舞いに伺った。

あの日、わたしは村重さんに自分がどんなに愛情をもらっていたか、
やっとわかったような気がする。
手加減なく、心と心で向き合えってくれる人に出会えて、
わたしはどんなに幸せだったか。

村重さんと最後に会った時の姿が、ありありと目に浮かぶ。
ジーンズ姿でベッドに寝転んで、
いきいきと光る眼で、わたしをからかって、
わたしがやり返すと、たのしそうに笑って。

痩せてはいらしたけれど、俳句の番組を作っていたときのように、
きらきらとした少年の心のままの、村重さんがいた。

命がけで、持てる力を全部だして、わたしの目の前にいてくださっているのだと、
全身で感じていた。
こんなふうに生をまっとうすることが可能なのだと、
ここまで命とは美しく使うことができるのだと、
眼前の村重さんに、心打たれていた。

村重さん。
あなたの残したものを、心の中で、わたしは何度も、取り出すと思います。
これからも村重さんに、励まされ、守られて、わたしは生きると思います。

命は儚いものじゃない、こんなにも確かだ、と思う。
こんなにも確かに、村重さんの姿、表情、声が、わたしのなかで生きているのだから。

村重さん、
ほんとうにほんとうに、ありがとうございました。
心より、深い感謝をこめて、
ご冥福をお祈りします。