【写真】車椅子に座り遠くを力強く見つめるおだゆりこさん

「あの車椅子に乗った、凛とした女性は誰だろう」 あるイベントでゲストとして登壇されていた姿を見たのが、私と織田友理子さんとの最初の出会いでした。 彼女は、2015年に開催されたテクノロジーを使って社会課題を解決するアイデアを募集していた「Googleインパクトチャレンジ」でグランプリを受賞した団体の代表でした。

「たった4.5センチの段差が、車椅子の私にとっては大きな壁なんです。」

電動車椅子に乗ったままステージでスポットライトを浴びながら、そう語っていました。

【写真】満席の会場で堂々と話すおだゆりこさん

その言葉と生き生きとした表情に胸を打たれた私は、イベント終了後に友理子さんを見つけて駆け寄り、「お話とても素敵でした」と声をかけ、いつものように名刺を差し出しました。 友理子さんはにっこりと微笑んで、「ありがとうございます、名刺をお願いしますね」と後ろにいる男性に伝えたのです。その男性は友理子さんの名刺を取り出し、友理子さんの代わりに私と名刺交換をしました。

「あれ、友理子さんって足が弱って歩けないのはわかるのだけど、なぜ名刺交換を別の方が?」

私はまだこのときは気づいていませんでした。実は友理子さんは、歩けないというだけでなく、自分自身の力では腕を上げたり物をつかんだりすることができない状態だったのです。

ーー「遠位型ミオパチー」 友理子さんは、難病と指定されているこの病気の患者さん。 現在は、グランプリを受賞した世界中の車いすユーザーが訪問したエリアのバリアフリー情報をマップ化する「みんなでつくるバリアフリーマップ」の立ち上げに奮闘しています。 足や腕が動かないという状況のなかでも、どうして友理子さんはこんなにも真っ直ぐポジティブでいられるんだろう。

そして、友理子さんはなぜ、こんなにも一生懸命にバリアフリーマップを実現させようとしているのだろう。 友理子さんがこれまでどんな人生を送ってきて、何を考えているのか知りたくて、お話を伺ってみました。

難病患者で障害者であり、働く女性、妻、お母さん

【写真】車椅子に乗り街頭で微笑むおだゆりこさん

友理子さんは今35歳。遠位型ミオパチーの患者会である「NPO法人PADM」の代表をつとめています。 遠位型ミオパチーは、体の中心から遠い部分の筋力からどんどん弱っていき、いずれは寝たきりになってしまうという病気。いまだに薬も治療法も確立されていません。

友理子さんは難病患者であり障害者である前に、働く女性であり、妻であり、息子さんがいるお母さんでもあります。 普段は電動車椅子に乗って生活をしていて、家のなかではキャスター付きのコロコロ転がる椅子に座っているそう。自力で腕や足を動かすことができないので、もちろん日常生活のあらゆることをするのが難しい状況です。そんな友理子さんの日常をサポートをしているのは、私と名刺交換してくれた旦那さんである洋一さんです。

【写真】笑顔のゆりこさんと微笑んでいるよういちさん

インタビューをさせていただいたとき、駅からご自宅へ向かうため車に乗り込む際には、洋一さんが友理子さんをひょいっと抱き上げて、車椅子から車の座席へお姫様抱っこで移動。 お昼ごはんではサンドイッチを洋一さんが友理子さんの口に運んでいたし、顔に髪がかかったときも洋一さんにお願いをしてはらっていました。

友理子さんのヘアアレンジやメイクアップも、洋一さんがやり方覚えてしてくれているそうで、2人の仲のよさそうな様子を見て”素敵だなあ”とうらやましくなってしまいました。

今は握力は全然ないけれど指先は動かせるので、デスクに肘を上げてもらい、パソコンやスマートフォンで文字を打っています。一本一本指を動かして打つので、昔の何倍もの時間がかかってしまうので、なかなか日々のタスクが追いつかず大変なのだそう。

いつも織田さんはかわいい顔文字のある丁寧なメールをくださるのですが、一生懸命にメールを打っている姿を想像すると、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。 友理子さんは今、団体での活動や講演、執筆など様々な活動をしながら、日々を忙しく過ごしています。

自分が障害者になったことを受け入れるのは、とても難しいことだった

【写真】街頭で車椅子に乗り微笑んでいるおだゆりこさん

友理子さんが自分の病気に気づいたのは、今から15年前。大学に通っていたときだったといいます。

友理子さん:大学に入ってから、なぜか歩行が遅くなり段差を登ることが大変になっていって。洋一さんとはすでに出会っていたので、荷物持っているのが重たくて持ってもらっていたり、階段が上りきれなくて彼に腕を組んで引っ張り上げてもらっていたんですよね。

最初は自分がなまけているせいだと思っていたので、体を鍛えようと犬の散歩やスイミングに行ってみたりしていたんですけど、全然改善されなかったんです。

やっと病院を訪れた2002年の9月、22歳のときに診断されたのは「遠位型ミオパチー(空胞型)」という耳慣れない病気でした。 「遠位型ミオパチー」は、10代後半から30代後半にかけて発症し、体の中心から遠い手足に筋肉から萎縮が始まり、徐々に進行していく病気。

歩くことも立ち上がることも困難になり、発症から10年ほどで車椅子生活に。命に別条はないものの、やがて全身の筋肉が奪われ寝たきりになるといわれています。日本の患者数は数百人程度といわれていて、薬も治療法もないのにもかかわらず、国の指定難病にすらなっていませんでした。

友理子さん:お医者さんにはいずれ車椅子の生活になると言われましたが、私は現実をあんまり直視していなくて、ならないって思ってました。 寝たきりになってしまうということも、お医者さんは最初気遣って教えてくれませんでしたね。「病は気から」と言うし、気持ちでなんとかなると思いこんでいました。

ですが織田さんの病気の進行は思ったよりも早く、2006年には車椅子に乗らなければいけない状態に。車椅子に乗らないと生活できない=障害者という事実が、友理子さんにとってはとても大きなことだったそうです。

友理子さん:自分が”障害者になった”ということは、受け入れ難かったですね。 特に車椅子にはすごく抵抗があって、乗りたくないって思ってました。借り物の車椅子に乗っていれば、一時的な骨折や具合が悪いと思ってもらえるかもしれないけど、オーダーメイドの車椅子に乗っていると、外から見ても”あの人は障害者だ”と固定されてしまうと感じて。

どうしても出産後に必要になり車椅子をつくったときは手動車椅子だったので、握力もすでに弱くなっていて緩やかなスロープですら乗り越えられなくて。「私はもうひとりでどこにも出れない」って、週に2回しか外に出ない時期が1年半近くありました。

でも電動車椅子に出会い、他の人の手を煩わせずひとりで外出ができると知った友理子さんは、2008年に迷わず自分の電動車椅子をつくることを決めます。電動車椅子に乗ることで、「再び自由を手にいれた」という感覚があったそう。

友理子さん:適切な福祉機器を生活に取り入れることで、自分が社会に出ていけるという状況に変化したことは、前向きな活動に展開できるきっかけでもありました。

自分が動けば何かが変わるんだったら、積極的に声をあげよう

【写真】遠位型ミオパチー患者会「パダム」のみなさん

遠位型ミオパチー患者会「PADM」のみなさん

友理子さんが電動車椅子に乗るようになったのと時期を同じくして、遠位型ミオパチーの患者会の立ち上げにも関わっていきます。医師にも「生きているうちに同じ病気の人には出会えないかもしれない」と言われていたとおり、遠位型ミオパチーはとても希少な疾病。

友理子さん:どこに行っても「遠位型ミオパチー、なにその病気?」という感じで。こういうシビアな病気でそれでも外に出て活動しているロールモデルになる人も、自分のなかで思いあたりませんでした。

2008年4月、同病者のブログを通して知り合った方たちと一緒に、遠位型ミオパチー患者会「PADM(パダム)」を立ち上げました。私は病気には自分ひとりで立ち向かっていこうと思っていて、患者会というものに対して暗いイメージを抱いていたのですが、時間もあったので何かお手伝いできればという気持ちでした。

そんなある日、日本の研究者が私の病気に有効な物質を証明する論文が発表されたのです。ただ進行するしか手立てがない日々を送っていた中、このことを知ってからは、病気が治るかもしれない、治りたいとより強く思うようになりました。

患者があまりにも少なくて薬がないけど、自分が動けば何かが変わるかもって思ったときに、「自分がやってみよう。自分がやらなければ変わらないんなら、積極的に声を上げていこう」っていう気持ちに変換できたんです。

国からの難病指定を認めてもらい、1日も早く治療薬開発を始めてもらうことが最初の目標です。患者同士で力を合わせて街頭で市民に対して署名をお願いしたり、様々な場所で講演をしたり。 諸外国の当事者運動の状況を知るために、友理子さんはなんとデンマークに半年間の留学もしました。

長年デンマークで障害者問題に関わってきた人から、「哀れみや同情ではなく、面白い団体だなって思ってもらうことが大切だよ。」というアドバイスを受け、さらに活動を実のあるものにしていく覚悟ができたそう。

累計204万筆の署名を厚生労働大臣へ

累計204万筆の署名を厚生労働大臣へ

「署名を集めて何になるのか」という批判的な声にも負けず、最終的には集まった署名はなんと204万筆!7年ものあいだ地道な努力が花開き、2015年1月にやっと指定難病となることができました。ウルトラ・オーファンドラッグ(患者数が1,000人未満の疾患に対する薬)制度もスタートしました。

まだまだ患者さんが治療薬をつかえるまでには何年もかかる可能性が大きいですが、患者さんの数年は健康な人の数十年にあたるほどの重みです。製薬会社にお願いして回っても断り続けられましたが、1社日本の企業が見つかり、1日も早く治療法が確立されるよう、現在日米で新薬の開発が進められています。

夫婦は目標に向かってともに進むチーム

【写真】フランスの凱旋門の前でのゆりこさんとよういちさん。よういちさんがゆりこさんに寄り添っている

洋一さんと患者会の活動のためフランスへ

パワフルに動き回る友理子さんの隣には、いつも旦那さんの洋一さんの存在があります。 大学時代に交際を始め、その後病気の診断を受けても「絶対に別れない!」と一点張りだった洋一さん。卒業後の2005年に結婚。洋一さんは大学院を卒業して、そのまま自然に友理子さんの日常生活と患者会の活動のサポートをするようになったそうです。

友理子さんには、「この人をずっと私のそばにいさせていいのかな、好きな仕事をしなくていいのかな」という気持ちがずっとあるそう。その言葉を聞いて洋一さんは、「それは余計なお世話ですね」と笑いながら言った。

【写真】笑顔でインタビューに応えるよういちさん

洋一さん:彼女の活動には、絶対意味があるし彼女がやる意義はあると思ってます。そのためには彼女に24時間ついてないといけない、それが絶対条件なわけです。 少しでも世の中に貢献したいという思いもあるので、そのためにはやっぱり自分が一緒になって取り組まないといけないし、その方がより良い活動ができるんじゃないかなと思っています。

私から見て洋一さんは、友理子さんの人生の大切なパートナーであるとともに、ひとつの目標に向かう強力なチームのように思います。

自分と他のお母さんたちをけっして比べない

【写真】青紫色の着物を着て車椅子に乗って微笑んでいるゆりこさんとスーツを着て微笑んでいるよういちさん、笑顔のえいいちくん

友理子さん、洋一さんと息子さんの栄一くん

そして友理子さんと洋一さんには、9歳になる息子さんがいます。 友理子さんは突然主治医から、「今より病気が進行した状態だと出産の時にリスクが高いので、早くしないと子供が産めなくなるかもしれない」と言われたといいます。小さい頃から当たり前に思い描いていた出産・子育てができないかもしれないと知り、そのときはあまりのショックで、診察室から出た瞬間に崩れ落ちて泣いてしまったそうです。

でもそれからすぐに2人は結婚し、友理子さんは妊娠。切迫流産の危険性によって入院した4ヶ月間はずっとベッドの上でした。友理子さんの脚は一人で立ち上がる力がなくなってしまったそうですが、自然分娩で無事元気な息子さんの栄一君を出産しました。今は、周りの人たちとのチームワークを組みながら、子育てをしているそうです。

友理子さん:赤ちゃんを産んで子供ができたときに思ったのは、けっして他のお母さんと比べないということ。自分で決めて子供を産んだんだから、他のお母さんはできるのに自分がこれをやってあげれないとか、そういうことで悩むのはナンセンスだし子供に失礼なので、やめようと誓いました。

私は幸せの絶対値が低くて、本当に”この子がいるだけでいい”ってレベルなんです。人生は選択の連続っていいますけど、私ができないっていうことに対しても、それはそれ前提で自分が選択した人生。 だからいつも、自分の選択にたいして責任を持たなければいけないって思っています。

栄一くんを抱いて電車に乗る友理子さん

栄一くんを抱いて電車に乗る友理子さん

結婚したら夫にこうしてあげなければならない、子供ができたらこうしてあげなければならない。 そのような気持ちにとらわれて、理想どおりにできない自分を責めてしまう人も多いと思いますが、友理子さんはすべて自分の選択の結果として腹をくくることで前に進んでいるのだと感じました。

車椅子で世界中を飛び回る「車椅子ウォーカー」

【写真】電動リフトで車椅子に乗ったままゆりこさんがバスに乗っている。

電動リフト付き観光バス 車椅子ウォーカーin鹿児島

友理子さんは患者会での活動以外に、2014年からはYouTubeでの動画サイト「車椅子ウォーカー」も運営し始めました。このサイトでは、友理子さんが車椅子に乗ったまま、様々な場所のバリアフリー情報を動画で伝えています。

飛行機での移動、船釣りやみかん狩りの体験、車椅子ユーザーでも安心して使えるホテルや映画館。旅行会社のエイチ・アイ・エスや航空会社のANAともコラボレーションしたり、難病治療研究のカンファレンス参加などで訪れたアメリカやフランスなど海外のバリアフリー情報も掲載。 普段生活している時には気づかない、「こんなすごいシステムあったんだ!」とワクワクするようなバリアフリー情報がいっぱい!

このサイトを運営しているのは車椅子ユーザーに情報を届けたいというだけでなく、車椅子ユーザーがもっと外に出ることで、健常者の人々にもっと障害者を身近に感じてほしいという思いもあるそうです。

友理子さん:社会が進んでいる一方で、”心のバリアフリー”とよく言いますが、人々の意識っていうのはまだ追いついていないかもしれないなって思うところもあります。私もかつては健常者だったので、すごく納得できます。

でも、私のことをサポートしてくれる健常者の人たちは、あの人がかわいそうだから助けようじゃなくて、みんな”手助けができてよかった”って思ってくれていると感じます。

だからこそ勇気を振りしぼって「困ってないですか、お手伝いすることないですか」って言ってくださる方々に対して、私は感謝の気持ちをちゃんと伝えることを心がけています。善意の気持ちに寄り添うことは障害者としてできること、しなければいけないこと。

人の役に立つとか誰かのために何かできることって、人間にはすごくやりがいとか生きがいとかにつながると思うんです。だって私みたいな重度の障害を持っていたとしても、それでも誰かの役に立ちたいなっていつも思いながら活動してるので。

健常者と障害者が出会って友達になることから、壁がなくなっていく

私自身、半年前に車椅子に乗っている友人ができてから、駅のエレベーター情報や段差の有無が気になるようになりました。そこにはやはり、健常者と障害者の壁があり、あまりに出会いがないということが原因としてあると思います。

健常者と障害者の壁を、生きてるうちに少しでもなくしていきたい。そのためには学童期から障害者と出会う機会も必要だと思っています。海外ドラマでは当たり前に障害者がいて溶け込んでいます。教育の現場で車椅子ユーザーに対する接し方だとか、病気に対する考えを学ぶようなこともなかったですよね。

洋一さん:子供の頃からちゃんと障害者とふれあう機会があれば、大人になってどうすればいいんだろうみたいに引っ込み思案にならないんじゃないでしょうか。知識がなくても友達になったら、その日から障害者への見方も意識も変わりますよね。友達になれると、やっぱりいいですよね。

【写真】インタビューに応える真剣な表情のゆりこさんとよういちさん

障害を持っている人の声は、小さき声として見過ごされていることも多いと思いますが、きっとその声はよりよい社会をつくっていくヒントでもあるのではないかと思います。

友理子さん:今存在している障害者の人たちの存在を無視してしまっては、困っている課題に気づけず社会が動いて、取り組みがなされないまま時代が変わってしまう。

だけどその人たちの声をくみ取ることによって社会変革が起こされて、少しでもいい世の中の仕組みを構築していければ、「全然自分と関係ないよ」って思って外野で見ていた人が実際他人ごとではなく自分ごとになった場合に、「こういう日本であってよかった」って感じるかもしれません。

私は車椅子に乗り始めたタイミングで最寄駅にエレベーターが設置され、先人たちの取り組みによりかなり助けられています。だからこそ、自分たちの活動が今いる目の前のひとたちだけじゃなくて、その先にも続くようなものにしないと意味がないんだなって思ってます。

洋一さん:僕らだけやってても何も生まれないし、本当にいろんな人に支援していただいてることに感謝していて。本当につながっていって、輪が広がっていくということが大切だと思っています。

参加型でつくる世界最大のバリアフリーマップを

Google インパクトチャレンジでグランプリを受賞

Google インパクトチャレンジでグランプリを受賞

協力の輪を広げていくための一つの活動が、友理子さんが中心となって現在開発中の「みんなでつくるバリアフリーマップ」です。

「世界最大のバリアフリーマップをつくることで、車椅子ユーザーの世界が変わると信じています。」

Googleインパクトチャレンジの最終審査会では、友理子さんの熱い気持ちがつまったこの言葉にたくさんの共感があつまり、見事にグランプリを受賞しました。

こちらは世界中の様々な場所のバリアフリー情報を、誰でも写真や映像で投稿できて、みんなが閲覧できるアプリです。障害者が事前にバリアフリー情報を得て外に出るきっかけをつくれるだけでなく、今まで何かしたいと思いつつもどう関わっていいかわからなかった人たちも、情報を投稿することで力になることができます。

友理子さん:まだ開発段階ですが、バリアフリーマップは、みんなに投稿してどんどんシェアしてもらって、みんなで一緒に作り上げていきたいです。

そのためには、どういう風にしたらみんながやりがいを持って喜んで投稿できるか、その空気づくりが一番の課題です。協力していただけるのも、いただけないのも自分たちの頑張り次第と思っています。

健常者と障害者両方を経験した「中途障害者」としてできること

アメリカで、GNEミオパチーの研究者であるイスラエルのアルゴフ先生と。

アメリカで、GNEミオパチーの研究者であるイスラエルのアルゴフ先生と。

友理子さんは難病患者であり、障害者であることを公表し、それを活かして活動につなげていますが、けっして全ての難病患者や障害者が自分のようにする必要はないと考えているそう。

友理子さん:病気の名前や障害があったとしても、その人のパーソナリティがそうかっていうとまた違った話です。私の場合はパーソナリティを”障害者です”と言って活動してますけど、それがみんな「障害者です」と言って生きてかなければいけないかっていうとそうでもないと思います。

本当だったらそんなこと考えなくてもいい世の中が望ましいから。私は、健常者と障害者両方経験している「中途障害者」として、障害や難病であってもその人らしく生きられるボーダレスな社会が創りたいのです。

自分が進行性の病気により身を持って経験できていること自体に、意味があるだと思いたい。その裏付けのできる活動をしていきたいので、経験を全て活かしていけるような自分になりたいです。

障害とか難病、LGBT、子育てとか社会にはいろんな問題ありますけど、その問題が存在することで、人々がより密接につながっていき社会をよくする価値に転換するきっかけになるはずですよね。

【写真】日差しがさしているバルセロナで車椅子に乗ってえいいちくんを抱いているゆりこさんとよういちさん。

家族3人で妹夫婦が住むバルセロナへ

織田さんはとてもポジティブなパワーに溢れていますが、今もどんどん病気が進行していて、日々筋力が衰えてできないことが一つ一つ増えていっています。

友理子さん:今で止まってくれたらいいのにっていつも思います。進行するごとに、”またこれできなくなったって。そっかー”と落ち込んで、受容していきます。そしてまた立ち上がってっていう、その立ち上がりをどれだけ早くできるかっていうのは、けっこう勝負どころだと思います。 私はよく、旦那に愚痴ってなんとかしていますね(笑)。

大変な病気になったからこそ、全ての人に生きる意味があると信じたい

病気にも障害にも負けない友理子さんに、どうしても私が聞きたいことがあり、勇気を出してインタビューの一番最後に質問してみたことがあります。

今の社会では、自分がやりたいことや好きなことをすること、人のために役に立つという、”自分の意志にもとづいて能動的に何かする”ということに価値があると考えられているような気がします。でもALSという難病の患者さんのように、体が動かなくなって何もできないし、言葉をしゃべったり発信するということのすべてができなくなくなってしまう人もいる。

友理子さんはいずれ寝たきりになってしまい、自分の意志で動くことができなくなってしまう。その時がきたとしても、もう自分では誰かに何もできなくなったとしても、友理子さんは「私には生きている意味がある」と思うのでしょうか。

【写真】インタビューに微笑んで応えるおだゆりこさん

友理子さんは、間を置かずにこう答えました。

友理子さん:「意味があると信じたい」って、思うと思います。 人の存在価値って自分だけでは決められないし、わからないと思うんです。自分の頭や心で理解することと、それ以外に波及することによって与えるものとは全く違うじゃないですか。

自分の解釈だけによって全部心に落とし込めてしまっては、何もできなくなったときに、何か行動することや発信すること、誰かに影響を与えることをしないと、自分の気持ちを満たせない、生きている意味を見出せない可能性があるかもしれないですよね。

「目に見えることだけが全てではない」と友理子さんは続けます。

友理子さん:たとえば寝たきりで何もできない状況になっても、生きていることによって、その人自身が理解し得ないレベルで周りの人に与える影響があります。それは誰も推し量れないことだと思います。

その人がいるから研究が進んだり、まちがよくなったり、家族が仲良くなったり、いろんな人が協力し合えるようになったり。そんなことが自分の知らないところで起こっているかもしれない。いつ起こるかもわからない。だからその人自身が感じることと、周りが感じることはイコールではないです。

人が生きてる意味なんて誰がどういう風にジャッジするのか、それは誰もできないこと。生きている限り、自分の意思にもとづいて能動的に何かしています。周りの人より影響力があるかないかによって人の存在価値が変わるはずがない。

人との比較によって感じる相対的幸福ではなく、自分の中で幸せを見出していく絶対的幸福を追求していきたい。存在する人すべてに意味があるはずだと、大変な病気になったからこそ信じ続けたいです。

友理子さんはよく、「したい」という言葉を使います。そう感じたい、思いたい、信じたい。 私にはとうてい想像もつかない、いろんなつらさや苦しさがありながら、それでもいつも友理子さんは前を向いて進んでいる。でもけっして強いから前向きでいれるのではなく、「〜したい」という言葉に「思いこみだとしてもいいから、それでも前に進みたい」という願いをこめて、自分に魔法をかけているのだろうなと思うのです。

この写真は、駅に私を迎えに来てくれた時の、友理子さんと洋一さんの後ろ姿です。

【写真】車椅子に乗っているゆりこさんとよういちさんの後ろ姿。 この2人の歩んでいく道に、いったいこれからどれだけの奇跡が起こるのだろうと思うと、私はワクワクしてしまうのです。その先にある未来を、ぜひ私も一緒に見たい。 1日も早く遠位型ミオパチーの治療法が発見され、ちゃんと治る病気になること。車椅子ユーザーでも安心して世界中を飛び回れるようになること。そして、障害者と健常者という壁がなくなりみんなが支え合って生きる未来をつくること。 友理子さんと洋一さんの、たくさんの人を巻き込み人生をかけたチャレンジを、ぜひみなさんにも応援していただきたいです。

関連情報 NPO法人PADM 遠位型ミオパチー患者会  https://npopadm.com/ みんなでつくるバリアフリーマップ  https://www.wheelog.com/ 車椅子ウォーカー  http://www.oda-y.com/

織田友理子さんの著書 「ひとりじゃないから、大丈夫。」、DVD『Walker 「私」の道』が発売されました! (写真:馬場加奈子