日本の神さまと上手に暮らす法』(中村真著、ダイヤモンド社)の著者は、10代から20代にかけて世界中を旅していたため、日本の魅力について考えることなどなかったのだと明かしています。放浪後は音楽やイベント関係の仕事に就き、当然のことながら宗教にも無関心。現在も、特定の宗教は持っていないといいます。ところが、世界を見てさまざまなライフスタイルに触れるうち、「人間が幸せに暮らすための普遍的な価値」について考えるようになったのだとか。

その末にたどりついたのが、「自然を大切にし、1日1日をいつくしんで暮らす」ということ。そして、環境問題に興味を持ち、エコロジー雑誌の発行人になり、ライフワークとして自然と暮らしの関わりを追求していくうちに、日本の神さまの存在を意識するようになったのだということ。そんな経緯を経てきた現在は、「日本の神さま」をちょっと意識することで、心の背すじがピンと伸びると主張しています。また、「日本の神さまとのつきあい」を日々に取り入れれば、本来の自分を取り戻すことができるとも。

とはいえ、「そもそも、神さまについて基本的なことを知らない」という方も少なくないはず。そこできょうは、基本的なことが解説されているChapter 5「知っておくと世界が広がる神さまのこと ~『神社にまつわる豆知識』をおさえておこう~」に焦点を当ててみましょう。

神社には2種類ある

著者は「あくまで個人的な考え」であると断ったうえで、神社は大きく分けて2種類あるとしています。

1.人を祀っている神社

2.自然を祀っている神社

1の「人」といってもいろいろで、まず「パターンA」は祖先崇拝。たしかに東京の原宿にある明治神宮は明治天皇、日光の東照宮は徳川家康など、どちらも「人/祖先」を祀った神社です。ちなみに第二次世界大戦で命を落とした人たちを祀っている靖国神社には、明治維新、戊辰戦争、日露戦争など、明治以降の国内外の戦争で戦った人たちも祀られています。そして、人を祀っている神社の「パターンB」は、祟り封じ。この根底には、祟りをとても恐れるという日本人の国民性があるといいます。

2の自然を祀っている神社は全国いたるところにあり、龍神や蛇神を神の使いとして信仰する神社が多いのだそうです。自然崇拝の地として代表的なのは、和歌山の熊野。熊野三山は仏教色の濃い神社で、千手観音や菩薩さまも祀られているものの、もともとは熊野川、那智の滝、琴引岩をそれぞれ神とする別々の自然信仰だったのだといいます。そこに神道や、神仏習合によって仏教がまじり、現在の熊野三山になっているわけです。

そして1と2の「まじりあい」が、日本的なところだと著者は記しています。人と自然が一緒に祀られているケースもたくさんあるということ。そもそも神道自体が自然信仰と祖先信仰と農業信仰、仏教もまじって成立したものなので、曖昧さは多く見られるとか。

ところで、「この神社に祀ってある神さまはなんだろう?」と疑問に感じたら、鳥居を見てみるといいのだそうです。鳥居の上部、横に並ぶふたつの柱がまっすぐ平行なものは、人をお祭りしている神社。ちょっと上に跳ね上がっているものは、自然をお祀りしている神社が多いから。すべてがそうだとはいい切れないものの、多くの鳥居に見受けられる違いはここ。(203ページより)

神社と大社はどう違う?

日本で参拝数の多い神社といえば、伊勢神宮と出雲大社。しかし、神宮と大社は、神社ではないのでしょうか? この疑問について、著者は次のように答えています。

どちらも神社でいいのですが、「神宮」とつくのは天皇を祀っている神社。代表格の伊勢神宮に祀られているのは、天皇の祖先神である天照大御神。また出雲大社のように「大社」とつくのは、国津神が祀られていた神社のうち、もともと勢力が大きかったところ。他に宗像大社、熊野本宮大社などがあるそうです。「神明社」とつく神社には天照大御神が祀られていることが多く、明治以降につくられた名称が多いとか。

ただし分類はあくまで目安にすぎず、例外も多数。人がつけた目印のようなものなので、あまりこだわらなくていいと著者は記しています。(209ページより)

"2大メジャー"は八幡さまとお稲荷さん

神社と聞いてすぐに思い出すのは、「八幡さま」と「お稲荷さん」ではないでしょうか。それもそのはずで、小さな祠(ほこら)のようなものまで含めれば、八幡宮(八幡神社)はおよそ4万社、稲荷神社は3万社ほどもあるのだといわれているそうです。そして、八幡さまは戦いの神さま、お稲荷さんは商いの神さま。

八幡さまの総本山である大分県の宇佐神宮に祀られているのは、応神天皇と神功皇后。応神天皇は第15代天皇であり、文武両道といわれた戦いの神様でもあるそうです。応神天皇の霊を「御霊分け」でいただいて全国各地で祀ったのが、4万を超える八幡宮だというわけです。そんな八幡宮が広がったのは、戦国時代のこと。当時は戦いが一生をかける仕事だったため、どこの国の殿さまも自分の領土に戦いの神さまをお祀りし、武将たちは熱心に祈願していたのです。

「どれも八幡宮で、もとをたどれば同じ神さまの支店みたいなものなのに、いろんな国から『わが軍を勝たせてください!』と祈られても困るんじゃ...?」という疑問がわかなくもありませんが、昔の人は大らかで、あまり気にしなかったのかもしれません。(212ページより)

さて、徳川家康が天下を取って江戸時代が始まると平和が訪れ、人々の仕事は戦いから商売へ。武士は引き続き八幡さまにお参りしていたとはいえ、そんなことから以後は商売繁盛のお稲荷さんが庶民の人気を集めたのだそうです。なお稲荷神社の総本山は、京都にある伏見稲荷大社。赤い千本鳥居が有名で、外国人観光客の人気スポットとしても有名です。伏見稲荷と愛知県の豊川稲荷、佐賀県の祐徳稲荷は、三大稲荷として知られています。

『古事記』によると、ここに祀られている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は穀物の神さまで、当初は素朴な土着信仰だったのだとか。それが五穀豊穣を願う農家の人たちの信仰を集め、江戸時代以降は商売の神さまという解釈にまで広がっていったということです。(211ページより)

お稲荷さんのルーツは?

なおここで著者は、お稲荷さんのルーツについても解説を加えています。それによると、ルーツには諸説あるのだとか。たとえばそのひとつが、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大御神と宇迦之御魂神は同一の神さまだというもの。天照大御神の食を担うために呼ばれた豊受大御神は、衣食住の神さま。宇迦之御魂神と守備範囲が同じで、豊受の「ウケ」と宇迦之御魂神の「ウカ」が近いことから、この説が生まれたということのようです。

ちなみに「お稲荷さん=キツネ」というイメージがあるかもしれませんが、キツネは祀られているわけではなく、神さまのお使いとして神社にいるのだそうです。しかもキツネのルーツは、はるか1500年前だというから驚きです。

552年に日本に伝来した仏教は、それまで日本にあった素朴な自然信仰とまじりあうことになります。これが神仏混淆(しんぶつこんこう)。稲荷神社も神仏混淆で、もともと祀られていた宇迦之御魂神と仏教の荼枳尼天(だきにてん)が混淆して祀られるようになったということ。荼枳尼天のお使い役はキツネであり、キツネに乗った女神の絵も残されていることから、キツネがお稲荷さんのシンボルになっていったといわれているそうです。

「お稲荷さんは怖い。お礼参りをしないと祟られる」といわれることがありますが、これは「キツネは霊験が強い」といわれていたから。特に仏教色が強い豊川稲荷は、「お参りをすると必ず応えてくれる。そのかわりお礼参りをしなかったら罰が与えられる」と信じられていたため、そこから「安易にお稲荷さんにお参りしちゃうと、その後が大変だよ」という俗説が広まっていったということのようです。(213ページより)

日常生活に神さまを取り入れる方法からお参りのマナーまで、アプローチがソフトでわかりやすい内容。読んでみれば、いつも通りすぎていた神社のことを身近に感じられるようになるかもしれません。

(印南敦史)