「棚ぼた」「傍流」と呼ばれた田中社長 実績残しに焦った?

 東芝の田中久雄社長は平成25年6月、佐々木則夫社長(現副会長)の後任として副社長から昇格した。調達部門出身の田中氏が社長に昇格するとは当時は誰もが思わず、周囲は「傍流社長」、「棚ぼた社長」と呼んだ。「傍流出身」ゆえに田中社長は実績を残そうと焦り、部下への圧力につながったとみられる。

 「周囲から傍流といわれて、平然としていたが、内に秘めたる思いは強かったはず」と語るのは東芝の関係者だ。同年2月、事前の予想で名前も上がっていなかった田中氏の社長就任が発表され、東芝社内に衝撃が走った。

 当時の東芝は、西田厚聡会長(現相談役)と佐々木社長の対立が激しかった。東芝の元幹部は、田中氏が社長になった背景に「西田氏の信任が厚く、調整能力も高い。敵が少ないのも大きかった」として、社内抗争の影響があったことを挙げた。

 田中社長は、若手のころから工夫を凝らした調達に定評があった。海外に14年駐在、ハードな交渉を数多く経験し、頭角を現していった。16年にパソコン事業の資材調達部長に就任。そこで西田氏に目をかけられ、18年に調達部門から初めて常務に昇格した。

 田中社長の若い時代を知る関係者は「普段は冷静だが、負けず嫌いなところがある」と話す。さらに、社長に引き上げてくれた西田氏の期待に応えようというプレッシャーがあったとみられる。

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